2005年8月3日水曜日

友達の値段、妻の値段。ブロガーの値段、読者の値段。



世の中には、売り物が存在する。
同時に、売り物ではないものも存在する。


世界中に転がるものの、ほとんど多くは売り物である。
では、残り少ない数少ない、「売り物ではないもの」とは何だろう。





売り物は、何故売られるのか。
答えは単純にして明快、つまりは簡潔。


「売れば幸せになれる」からだ。
売ることにより、金銭を得られる。
その得た金銭で、後輩と呑みに行ったり、恋人とグアムに行ったり、新しいカレー粉を買ったり、季節外れのおでんを炊いたり、ふかふかのベッドで眠ったり、新作エロ漫画を買い漁ったりする事により、人は幸せになるのである。


つまり、即ち。
人がものを売るのは、「幸せになるため」である。






ところが、である。

「売れば不幸せになるもの」がこの世の中には存在する。
例えば、10年前に貰った妻からの手紙。
それは唯一品であり、妻との思い出である。


「10年前に貰った妻からの大切なラブレターを1850円で売ってくれ!」
普通の人は「売れないね」と答えるだろう。「これを手放せば不幸せになる」と考えるだろう。1850円の価値など到底存在しないものに1850円という高値をつけてくれた相手を無碍もなく、ほとんどの人が追い返すだろう。




けれども、それが、1000億円だとしたら同じように「これは売れないよ」と答えられるだろうか。1000億円もあれば、後半生を妻と幸せな生活を送れるだろう。売らないという選択肢を取るよりも、もっと幸せになれるし、幸せにしてやれるだろう。



「売ったら不幸になる品物」「手放すことの出来ない大切なもの」というものも、一定の金額を超えてしまえば簡単に手放す。それが人間というものである。

ゲイツと正義とアブラモビッチが「一晩俺らとファックしろ!」と1000円札を差し出せば、ほとんど誰もがお断る。けれどもそれが1000円ではなくて、1000億円ならば、幾らかの人は承る。多くの人にとっての、穴という穴の一晩の値段は1000円から1000億円の間にあるのである。




結局の所、値段か。
結局の所、金額か。

そうではない。
違う、のである。




絶対に売られないもの、というのは存在する。
売っても何も得られぬものは、誰も売ろうと思わない。

「幸せになるため」という「人は何故ものを売るのか」に対する回答。
即ち、どれだけ法外な値段で売ったとしても、幸せになれないものは売られない。




「貴方の命を100兆円で売ってくれ。」
ほぼ全ての人はこう答える。

「それを売るだなんてとんでもない!」
何故か。
命を売ってしまえば、金を使う機会を失うからだ。
「幸せになる為に売る」という売る理由を満たすことが出来ないからだ。




例外がある。
命すら売られる場合がある。
それでも売られる命がある。

それは、命を売る事によって得たお金を、自分以外の誰かが使う事が出来る場合だ。
命を売ってでもお金をあげたい掛け替えのない人がいる。それは幸せな人生だ。無論の事、そういう人は滅多といないし、それ以前にこれはifであり命を売って大金を得られる機会など無いからして、命が売られる事は無い。




もう1つ、売っても何も得られないものが売られる場合がある。

それは、購買者の「買えた!」というよろこびと、自分の幸せがイコールな場合だ。
そういう場合は売られるというよりは寧ろ、値段すらつけられずに譲渡される。本来ならば売ってお金を得た方が幸せになれるというのに、それが行われず、持ってけドロボープレゼント。

誰かの喜び=自分の幸せ。
そんな他人がいるっていいね。
ああ、僕はそれを「愛」と呼ぼう。気紛れで。

つまり、即ち、ものは、売られる。
幸せになる為に。









ここ、つまりはインターネットでは、あらゆるものに値札が貼られる。
そう、もはやここでは全てが金だ。
100億総値札ing世界である。


例えば、友達。
友達の値段、って幾らだと思う?

僕は友達に値段なんてつけられないね。
だって、友達なんて1人もいないもの。
極めて私的なケースは置いておこう。
取り出したサンプルがまずかった。









例えば、友達。
友達の値段、って幾らだと思う?

はてなでは、「30円」だよ。
たったの30円なんだ。
友達には値段がつけられちゃった。
はてなという巨悪によってだ。
ここは正しく悪の夢が具現化する世界。悪夢と呼ぶに相応しい。
友達に値札が貼られるなんて、そんなところはまっぴらごめんだ。




え?「双方が得をするのから構わないだろ」だって?
それは確かに、そうかもしれない。


はてなに加入すれば、加入した方も得してハッピーになる。
友達を売り飛ばした方は売り飛ばした方で、30円ゲットだ。
紹介した方も、紹介された方もハッピーになる。
win-winの関係である。
確かに、そうだ。




アムウェイも、そうだ。
紹介した方も、紹介された方もハッピーになる。
win-winの関係である。

ハーバライフも、そうだ。
紹介した方も、紹介された方もハッピーになる。
win-winの関係である。

ニュースキンも、そうだ。
紹介した方も、紹介された方もハッピーになる。
win-winの関係である。

カニトップも、そうだ。
紹介した方も、紹介された方もハッピーになる。
win-winの関係である。

無論はてなも、そうである。
紹介した方も、紹介された方もハッピーになる。
win-winの関係である。




これらは、実に、本当に、win-winのハッピーだ。
脳の随まで腐り汚染れば、win-winのハッピーである。

けれどもしかしでも僕は、100から1000までごめんだね。
まったくもって、気色が悪い。頭のおかしな人集団だ。
友達に値札を貼る世界など、渾然不等の悪夢である。











PV、即ちページビュー。
ページビューとは何あるか。

それは、通貨単位である。
ページビューとは、比較的新しい通貨の単位だ。


地域地域によって、そのYENやDOLLARへの変換レートは違うのだけれど、それは地域通貨故の特殊な事情があるからであり、PVが通貨単位であるのは紛れもない事実だ。

その地域通貨を換金しようとしない奴は、ただの馬鹿だよまぬけだよ。
おおちょいまぬけなすっとんきょうだ。言うならドジっ子メイドである。


ページビュー、それは即ち読者の値段だ。
PVの変換レートが1PV=0.01円であるならば、読者の値段は0.01円だ。
それが1PV=0.1円であるならば、おまえらの値段は0.1円だ。
トランクスから見たタオパイパイ(改)程度の端金だ。一刀両断切り捨てだ。
1グラムのアルミニウムにも劣る価値。安物のフウセンガムより膨らまない

ウェッブサイトの読者など、ゴミ同然のゴミ共だ。
唯一救いがあるとすれば、換金可能な事くらいだ。
もっとも凄い、低レートで。








LivedoorBlogに、ポイント受け渡し機能が付いた。
これから先、方々で、どんどん値札がつけられてゆく。
もはや誰もその流れを止めることなど出来やしない。

「これは売りたくない!」
なんて戯れ言は通らない。
買い手の言い値でブログが売られ、買いたい値段で買われてゆく。
それって、どうなんだろう。
100億総、商品化時代だ。

野球賭博は高校球児の純粋さを汚すかって?
そりゃあ、どうとも言えない。

インターネットのカリブの海の本籍不明のブックメーカーが、ブリトニースピアーズと竹内克仁とデイビットベッカムの中で一番先に離婚するのは誰?、なんて賭博をおっぱじめたら、誰かが不快に思うのだろうか。どうだろう。
ここではもはや値札を剥がすことなど出来ない。

100億総値札ing世界だ。
豚の脂身量り売りだ。









イービルid:naoyaエンペラーがまた何かおっぱじめた。

「はてなポイントを全てのウェブサイトでも投げ銭として使えるように」だって。
イービルである。悪である。実にid:naoyaだ。
それは即ち、はてなポイント基軸通貨構想である。



ウェブサービスは、維持するのもヒットさせるのも大変だ。ユーザーは心変わりですぐ離れ、光陰が如き巨大資本な後発者にユーザーは心変わりを奪われて、離れ捨て去り逃げてゆく。


「ならば金を抑えちまえ!」
いやあ、実に明快で確か正しい戦略だ。
極めてユダヤカ教的発想展開だ。


ろくなウェブサービスを生み出せない能なし集団(株)はてなにはお似合いの逃げだ。
オール値札世界を作り上げ、基軸通貨を抑えちまえ、って事だ。
そりゃあ、とてものすごく、正しい悪だ。
そういう世界観であり、そういう世界になってゆくのだ。



オフラインでは決して値札が貼られなかったものにまで、買い手の言い値で値札が書かれ、片っ端から銭が飛ぶ。春が行き夏が行き秋が行き冬が行き時が流れては雨が降り風が吹き雪が舞い空高く雲が飛ぶ中で、全てに値札が貼られてく。


悪だ!
イービルだ!
株式会社はてなだ!


命が吹き込まれ金額欄が空欄の小切手が飛び交う世界だ電脳だ。
人は死んだ。息絶えた。インターネットとは死後の世界だ。
ここは即ち地獄である。
あるいはもしくは天国だ。






そう、それは例えるならば幾多の人が夢見た天国。
古の知という知を掻き集めて追い続けられた錬金術という魔術が存在する事を許された場所で錬金術師達が白紙のゴミを金に換える方法を七難八苦と四苦八苦している場所それこそが、インターネットという地獄あるいは天国だ。命の存在が許されない国だ。魑魅魍魎がのたまう世界だ。









全てに白紙の値札が貼られ、"売り物ではないもの"の存在が許されない。

それは、良いことなのだろうか。
それとも、悪いことなのだろうか。




まず初めに、間違いなく言える事。

「売る機会が無いが為に売り物が腐ってゆく」
それは、悪だ。
売られるべきものが売られて行かない。
それは実に悪であり、破滅であり不幸せだ。





同時に、「売り物ではないもの」に値札が付けられドナドナる。
それも同じく、悪である。巨悪な悪夢の悪世界だ。


「これは愛だ!」
と思ってセックスをした後に、「良かったよ」と2万2000円を渡される。
そういう場所だ。インターネットとはそういう場所だ。悪だ。悪の夢が花咲く場所だ。
「2万2000円儲け」などと喜べるのは人間ではない。まんこちんこだ。まんこちんこだ。






「本来は売り物ではないもの」って何だろう。
例えば愛する人、例えば実子、例えば昔もらったプレゼント、例えば良心。

それって、人間そのものじゃなかろうか。
そう。つまり。繰り返してきたように。

LivedoorBlogやはてなダイアリーとは、人が人として生きられないスペースなんだ。
例えば愛する人のようなエントリー。例えば実子のようなエントリー。例えば昔もらったプレゼントのようなエントリー。例えば良心のようなエントリー。そういう「本来は売り物ではないもの」全てに値札が貼られる場所である。

EVIL DREAM I think,
悪夢だとしか思えないね。
人間が人間でいられないスペース、なんて。






「人間を取り戻したい!」
少しでもそう思った人は、今すぐブロックブログに移転して山のようにある致命的な不具合と、定期的に訪れる管理ツールの凄まじい重さと戯れて幸せになろう!


ブロックブログでは、カリスマ無能アフィリエイターやら、湘南ブランドでネゲットを試みるエロ狸やら、ほんとうは可憐な美少女なのに引き篭もりを演じている中学生やら、日常の愚痴に対して「同じ穴の狢だな」とのコメントを付けて回る残虐コメンテーターやら、「広告は付けません。」と断言した舌の根乾かぬ内にアドセンスまみれにするお茶目社長といった、愉快な仲間達が君達を待ってるよ!本当にここは天国だぜ!フハハハ移転だ!今すぐにだ。














「売り物ではないもの」って、凄いんだろうか。
それに対する答えは簡潔にして明快単純。


全然凄くないのである。
売り物ではないもの、ってのは常にがらくたである。
売り物ではないものとは、無価値なのだ。



「売り物ではないよ」と言いながら、値段を上げれば売られるもの。
それは無価値ではない。つまり「真に売り物ではないもの」と、「売り物ではないよ」と称されるものはまったく別のものなのである。









そして重ねて言うならば、「真に売り物ではないもの」は本当に無価値だ。がらくただ。


「どこかの知らない国に行き、知らない誰かを殺してくれ」
幾ら貰えれば、それを売るかい?
売らないだろう。乗らないだろう。それが人間というものである。

ここで「○○円くれれば」などと即答想定出来るような人はご退場願いたい。
そのような畜生共までをも読者として想定出来るような懐の深い書き手では無いのだ。





「後半生をサンダーランドの熱狂的なファンとして生きてくれ!」
幾ら貰えれば、それを売るかい?
売らないだろう。乗らないだろう。それが人間というものである。

ここで平然とアランシアラーに中指立てれるような輩はご退場願いたい。
そのような人達までをも読者として想定出来るような懐の深い書き手では無いのだ。





「恋人を48時間貸してくれ」
幾ら貰えれば、それを売るかい?
売らないだろう。乗らないだろう。それが人間というものである。

ここで「いや、童貞だし」みたいな人はエロゲーでもやってろピザ。
そのような人達までをも読者として想定出来るような懐の深い書き手では無いのだ。







つまり。
とにかく。

真に売り物ではないもの、ってのはがらくただ。大した価値はない。
物好き変態変人が、買って行こうとするだけであり、一般的には価値がない。

知らない誰かを殺さないという選択肢に価値なんてあるわけないし、いい男やいい女というのは星の数ほど幾らでもいる。白と黒との縞模様なら、ビアンコネーロの方がクレアチンだ。


真に売りものではないもの、なんてのは本当にくだらないものである。
けれども、それを有していることこそが、人間の条件なのだ。
真に売り物ではないものを有していない生き物は人間ではない。他の何かだ。


そして、真に売り物ではないものを有する事が許されない場所こそが、LivedoorBlogであり、はてなダイアリーである。人が人で居られない場所だ。






「人間を取り戻したい!」
少しでもそう思った人は、今すぐブロックブログに移転して山のようにある致命的な不具合と、定期的に訪れる管理ツールの凄まじい重さに囲まれて人間になろう!


ブロックブログでは、カリスマ無能アフィリエイターやら、湘南ブランドでネゲットを試みるエロ河童やら、ほんとうはロックフェラー財団の御曹司でありゆくゆくは青野武にスネエエエエエエィイイクと叫ばせる事が確定しているくらいの大物なのに引き篭もりを演じている半ズボンの小学生やら、日常の愚痴に対して「同じ穴の狢だな」とのコメントを付けて回る冷酷無比系コメンテーターやら、「広告は付けません。」と断言した舌の根乾かぬ内にアドセンスまみれにするお茶目な社長といった、愉快な仲間達がみんなを待ってるぜ!本当にここは天国だぜ!フハハハ移転だ!今すぐにだ。






これはもちろんのこと、「換金しているから低俗」vs「換金していないから高貴」という話ではない。


本当にそれは売り物だったの?
値札をつけちゃってよかったの?
という話である。




ブロガーはブロガーの持つ何もかもが金に変わる可能性というものに気がつき、PVとは通貨単位であるという事を理解したとき、無意識の最適化を行わずにはいられない。人は誰もが無意識の最適化から逃れられないという話はアマゾンアソシエイトにNOと言えを書いた以前からの僕の中では真実であり続けている。

「何も変わらない」などといった心づもりは実に弱く、人の意識などというものは実に脆弱なものなのである。その無意識の最適化で、失われるものもたくさんあると思う。


ほんとうは売り物ではなかったはずのエントリーに値札がつけられ銭が飛ぶ。
ファックの後の2万1500円だ。そうじゃない。そうじゃないのに。






結局の所、僕は売り物ではないものに値札をつけられたくは無い。

ブロガーはもはやタレント即ち人商売であるからして、ワンオアナッシングな選択になる。つまりはそういう事だ。真性引き篭もりにおいてPVとは通貨単位などではない。





以前、SMACのアマゾンアソシエイトを貼った際に、6000円ほど貯まったのだけれど、ご存じの通り触れずにアカウントを削除した。何故ならば、それは言うまでもなく、売っても良いと値札をつけたのはシドマイヤーズアルファケンタウリという至極のマイナーゲームであって、真性引き篭もりでも真性引き篭もりhankakueisuuでも真性引き篭もりhankakueisuuのエントリーでも無いからだ。






結論から言うと。
即ち。

ブログを売るつもりもなければ、エントリーを売るつもりもない。
ブロガーを売るつもりもなければ、ブログ読者を売るつもりもない。

ブログを、エントリーを、ブロガーを、売り物ではないと考えているからだ。
何故ならば、僕は、ブログ読者を、売り物ではないものであると考えているからだ。

ピーターリズデイルにとってのマイケルブリッジスくらいに無価値なものに、値段をつけるような傲慢さは持ち合わせていないって事だ。役たたず。廃棄物。回収費用。のみの市。






結局の所、僕が何を言いたかったのかというと、いつも真性引き篭もりにアクセスして拙エントリーを毎日毎日読んでくれて物凄く嬉しいし、感謝していますということである。

ty everyday ty really ty,
ありがとう!
いつもありがとう!
ほんとうにありがとう!









I DONT SELL BELIEVE!!
僕は売りません!

真性引き篭もりhankakueisuu