2005年9月6日火曜日
全然雑感じゃないま~ぶる++雑感。
猫耳メイドに「どーして俺の事好きなの?」って尋ねた際に「だってぇぇぇえ、ご主人様のことがぁぁ、好きなんですぅぅうう」と答えられたら萌えるくせに。
仲間由紀恵に「どーして俺の事好きなの?」って尋ねた際に「愛してるから」と真顔で答えられたら悶えるくせに。
なのに。
なのに。
なのにどーして、「ドコがつまらないの?」と尋ねた際に「つまんねーモンはつまんねーよ!」と答えられたくらいで、ぶち切れるのですか?ゲーム制作者ってのは。わたしにはわからない。つまらないものはつまらないのです。
ええ、そりゃあもう、僕だって、苦心惨憺書き上げたエントリーを「つまらないものはつまらない」って言われたらぶち切れますよ。いえ、ぶち切れませんよ。大人ですから。
「ま~ぶる++は糞ゲーです。」という文章は、「EveryExtendは神ゲーです。」とか「DAN! DA! DAN!はイマイチです。」と同じ種類のものであり、個人叩きで集客とかそういう事では全くないわけです。
ま~ぶる++をマニュアルも読まずに遊び始めた瞬間にわかった事は、「これは全てのステージが100%クリア出来るゲームだ」という事です。
そして、そのクリアの為に必要な技術は「慎重さ」「緩慢さ」という、ショートゲーム、ポケットゲームのベクトルとはまったく逆方向のものです。
100%クリア可能なゲームというのは山のように存在します。
例えば石板庭は全てのステージが100%クリア可能ですが、求められる技術は「思考」であり、「推理」あるいは「試行錯誤」という、頭脳の為のゲームです。
慎重さと緩慢さを持って挑めば100%クリア可能なゲームというのは、極端に言えばケツ決めの出来レースであり、そのようなゲーム設計を素晴らしいと考え、面白いと感じる人はほとんどいないと僕は思うのです。
次に、ま~ぶる++でプレイヤーに求められる技術の話です。
言うまでもなくま~ぶる++は思考ゲームではありません。
もちろん初見でどこから消していくのかという直感的な思考能力、認知能力を求められるのは事実ですが、それは大きな要素にはなっていません。
高スコアを出す為にプレイヤーに求められる技術は「正確さ」「迅速さ」という相反する2つのものであるということが、このゲームをより退屈なものとしています。
ワノさんは「これは非マス目パズルである」と仰っておられますが、その主張は受け入れられません。これは、高度なマウス捌きを求められるアクションゲームです。
ま~ぶる++初見で連想したのは、「FPS」と「RTS(WC3)」です。
このゲームでは高いスコアを出そうとするとFPSで出会い頭に頭を撃ち抜くのと同じくらいの正確なマウス捌きを要求されますし、高いスコアを出そうとすると、起こしたアクションの結果が出る前に他の場所で一瞬たりとも止まらずにクリックし続ける、というRTS(WC3)的なせわしない操作技術を求められます。
たかが3分のショートゲームが要求する技術としては、行きすぎています。
要求される技術の「難易度」はその技術向上によって得られる「快楽」よりも低いものでなくてはいけません。例えば洞窟物語における裏ステージの難易度は異様な技術を要求されますが、それによって得られるpixel氏の描いたエンディングという快楽は、遊ぶ人間に「この苦難を乗り越えよう!」という勇気モチベーションを与えるに十分なものです。
あるいは、EveryExtendにおける裏ステージのラスボス戦の雰囲気と世界観はプレイヤーに対して新鮮な刺激を与えるものであり、比較的簡単なゲームであるEveryExtendを繰り返し遊ばせるに十分な快楽が用意されていると言えます。
しかし、ま~ぶる++にはそれがありません。
ま~ぶる++には快楽はまったく存在しない、と言い換えても過言ではありません。
人間が何故ゲームをプレイするかというと、それは快楽を得るためです。その快楽が用意されていないま~ぶる++は尋常成らざる欠陥ゲーム、言い換えるならば糞ゲーです。
ま~ぶる++に用意されている「アクション動作中にもアクションを起こせる」というギミックは、非常に可能性のある場所だと僕は考えます。それは、ぱねポンのアクティブ連鎖の完成度、快楽性を連想させるに十分な、可能性を感じるものです。
ところが、ま~ぶる++は「アクション動作中にもアクションを起こせる」というギミックをゲームの快楽へと昇華出来ていません。まず第一に、「動いているボールを掴めない」というのが大きな問題点であると僕は思います。ま~ぶる++は上で述べたようにパズルゲームなどではなく、アクションスピードゲームであり、しばらく遊んでいると「動いているボールを掴みたい」という衝動が当然のように沸き起こります。
仮に動いているボールを掴めたならば、それはFPSで頭を撃ち抜いた時に得られる快感と同じような「素早く正確に動かした、素早く正確に動いた、なんか気持ちいい」というマリオにおけるAボタンに近いような、単純な快楽が得られたでしょう。
それが出来なかった時点で僕はま~ぶる++は負けだと思っています。
さらに、快楽、という意味では得点が用意されていないのが驚きです。プレイヤーは褒められたいのです。だいたいゲーマーなどというのはリアルでろくに褒められたことの無いような駄目人間ばかりです、とまでは言いませんが、褒められて嬉しくない人間はいません。子を育てるにはまず褒めろというのと同じように、ゲームを作るならまずプレイヤーを褒めろ、というのが1つの鉄則であると僕は考えています。
プレイヤーの行動の1つ1つに報酬という「褒め」を用意しておくか、プレイヤーの行動の1つ1つに単純に、褒める言葉を用意しておくかの必要があります。
ま~ぶる++を褒める事が出来るポイントを探しながらプレイすると、それは山のように存在している事がわかります。
3つ同時消し、4つ同時消しという多数消し。
余計なものに当たらず、ターゲットのみに当たった正確消し。
1つのものが消えている最中に2投3投をして消した追加消し。
「消し当たり」までに跳ねた回数(ビリヤードを想像していただければ。)
1ショットで3つ同時消し、4つ同時消しという1ショット多数消し。
1ショットで複数の色を消す、1ショット多色消し。
単純に言うと、「1ショット」「複数ショット」「多数消し」「多色消し」「跳ねない」「跳ねる」という6つの褒め要素が存在していることがわかります。その全ての褒め要素が放置されているま~ぶる++はマゾゲー、より正確に言うと未完成ゲームと呼ぶに相応しいものです。
EveryExtendやDAN!DAN!DAN!においてあれほどまでに過剰にプレイヤーを褒め、報酬を用意していたワノ氏がこのような無報酬ゲーム、無褒めゲームを世に出して来たことに対しては驚きを隠せません。
誰も褒めてくれないものをプレイしようとは思わないのです。
ま~ぶる++とは何か。
僕が得た結論は、「パターゴルフの劣化コピーである。」というものです。
パターゴルフというジャンルは、常に一定の支持を集めます。それはパターゴルフというジャンルそのものが、魅力に満ちあふれ得た単純な快楽をもたらすゲームだからです。
パターゴルフに求められる技術はま~ぶる++に求められる技術とほとんど同じです。
角度を決めて、強さを決めて、ショットを放ち、目的の場所へと到達させる。
違うのは、報酬とペナルティです。
パターゴルフの報酬は、正確さへの報酬です。
ま~ぶる++の報酬は、速さへの報酬です。
パターゴルフで高スコアを得ようとすれば、「より丁寧にプレイする」という技術が求められるのに対し、ま~ぶる++では「FPSやRTSに匹敵するより高度なマウス捌き」という無茶な技術が要求されます。これは一体誰を対象に作られているのですか、と問いたい気分。
パターゴルフでは「1ショットへの報酬」、即ちホールインワンという報酬が常に用意されているのに対して、ま~ぶる++で報酬に辿り着くには10も20も打たねばなりません。
パターゴルフの報酬を遠くして、要求する技術を高くして、ステージの作り込みを放棄して、せわしない時間制限をつけた。それがま~ぶる++の実体です。
何よりも衝撃であったのは、このま~ぶる++といういわゆる駄目ソフトへの3分ゲームレビュアーOMEGAの激甘な評価です。仮にこのゲームを作ったのが赤の他人であったならば、まったく違う評価になっていたのではないでしょうか。あの冷静な残酷系レビュアーはどこへ消えてしまったのか、と不思議に思えてなりません。
>まー、あとは一般票でどう動くか。
>ネットで感想をもりもり書く人なんてのは、
>相当の物好きかお喋り好きなので、結構偏りがあるらしいよ。
と述べておられますが、それは1つの真であり同時に偽です。
単純化して物を言うと、仮に参加者全員がまったく同じゲームを提出したならば、一般票が選ぶのは「( ゚ワ゚)ノ」という名前です。仮にそこにABAがいればABAかもしれませんし、みやぽんがいればみやぽんでしょう。
もしもま~ぶる++がコンテストにおいて一定の評価、票を集めたならば、それは「オメガ」という名前と、グラフィックと、音という、ゲーム性とはまったく関係の無い部分での票評価であると僕は考えます。それらによってグラフィック精度/音精度の低い3分ゲーム出場者層を下すというのは、ゲームコンテストとしての3分ゲームコンテストの敗北ではないでしょうか、と言ってみるテスト、という微妙な逃げ腰。少し言い過ぎ感はありますが。
同時に、ま~ぶる++がつまらないのは、3分ゲームコンテストの弊害であると僕は考えています。仮にこれが期日の無いゲームであり、αとして世に出たものならば、バージョンを上げる毎に完成度を高め、万人に伝わる説得力を持つ遊べるゲームになった可能性が高かったでしょう。
それが、コンテストの期日と「3分ゲーム」という枠組みの中に閉じこめられてしまったが為に、このような結果が出来上がってしまったのではないでしょうか。
「ランダム配面」自体も基本的には逃げですし、「プログラミングの普及推進」という大義名分も純粋にゲームをゲームとしてプレイするゲーマーから見れば言い訳、逃げ台詞以外の何物でもありません。
どうも「ゲームを完成させるためにゲームを完成させる」という微妙な、「ゲームを作るためにゲームを作る」とはまったく違う悪い方向へと行ってしまっているような気がします。
結局のところま~ぶる++は完全無欠のいわゆる駄目ソフト即ち糞ゲーであると相当の物好き兼お喋り好きはかく語りき。