2005年9月11日日曜日

3分ゲームコンテストの意図するところが全く見えない。



まず、何故3分なのかがわからない。
何の為の3分であり、誰の為の3分なのか。


次に主旨がわからない。
何を目的としているのか、主催者としてはどうなれば「勝ち」なのか。


また、ターゲットも不明。
誰が何を得るのか、誰が得をし、誰が満足するのか。






「3分」
・審査コスト低減。
・開発コスト低減。
・遊技コスト低減。
・糞ゲーであっても3分で終わるという保証。
・ノウハウを持った人間ならば片手間で参加可能。
・これまで作品を世に出した事が無い人でも世に出す事が出来る。


「主旨」
・競技
  優劣を競い合う場。
・パーティ
  製作者同士が親睦を深める場。
  あるいは、製作者とプレイヤー間の距離を投票行動を通じて接近させる場。
・展示会
  訪れた人間が楽しめる場。
・祭り
  参加者/閲覧者が一体感を得て共に楽しめる場。


「誰が」
・完成経験を持つ、体力のあるRPGツクーラー。
・作品を完成させた事の無いRPGツクーラー。
・一定以上の技術力を持つフリーゲーム制作者。
・技術的に未熟なフリーゲーム制作者。
・技術はあるが、フリーゲームを作った事が無い層。
・フリーゲームプレイヤー。
・RPGツクールプレイヤー。
・ツクール周辺系マニア。
・フリーゲームを飯の種にしている人。
・運営者。


要素をずらずらーっと。
その、どれがどうなるのかが不明。


「で、誰がどんな得をするの?」というのと、「このイベントはどうなったらアガリなの?」という2点がさっぱりわからない。全く見えてこない。









「参加者にどんなメリットがあるのか?」という点を突き詰めると、「レビューを得られる」というものがまず思い浮かぶのだけれど、レビュアーはどなたもレビューに説得力を感じられない人ばかり、というかゲーム批評文章そのものが存在しない人までいる。内輪の人間、フリーゲームゴロ、ゲーム制作者というレビュー能力とはまったく関係の無い部分で人を集めて、「参加すれば漏れなく感想書いてもらえますよ」ってのは苦しい。青龍とまでは言わないけれど、ゲーム批評文章を真面目に書いている人を招けなかったのだろうか。


「3分」を「手軽に参加できる」と読み替え、「手軽に参加できるゲームコンテスト」として読み解くと、「3分ものしか作れないツクーラーの晴れ舞台」という意味合いが有ることが解る。ところがそこに、ツクールの外側からやってきた技術力とノウハウを持った人間が片手間で既存のゲームの部分コピーを提出すれば、あっさり勝ててしまう現実。「アイデアを競う」なんてのはゲームコンテストにとっては戯れ言でしか無い。ゲームは常に完成度でしか評価されない。モリニューのブラックアンドホワイトが最良の悪例。


>3分程度で完結するミニゲームの中から頂点を競う、ゲームコンテスト
ったって、「じゃあ何故3分なの?」ってのがわからない。いくつか想定回答は思い浮かぶのだけれど、どれを選んだとしても他の部分との統合性が取れない。


このまま行くと、というよりは現状からしてもう既に、「本気で3分のショートゲームを作り落としてくる」人と「3分ゲームを作るので精一杯」な人達に二分化されてしまっている。極一部の労作/意欲作と、多数の一晩で作られた作品の共存が続くと、上位作品以外はまともに遊ばれなくなり、3分で精一杯なツクーラーの晴れ舞台色は薄れ二極化が進む、と。







全てがわからないのでまとまらない。
書くにも疑問が多すぎて書ききれない。


何の為の3分なのか。
何を目的としているのか。
誰が何を得るのか、誰が得をし、誰が満足するのか。


全てが見えないので文章にならないな、といった実感。