2005年11月12日土曜日

雑記。



「ゲームで国民が熱狂するなんて変な国!」と韓国のスタークラフトブームを揶揄する声をたまに目にするのだけれど、「残虐な殴り合いで国民が熱狂する我が国はそれを言える立場なのか」という疑問が消えない。

もちろんここで言う「残虐」とは本気でそう思っているわけではないが、たとえば曙vsホイスのような総合格闘技の試合は海外では御法度なはずである。それが大晦日という日に放映され(しかも複数局で)、国民が熱狂する我が国というのは唐竹割り的に言うと「未開で野蛮な国」になってしまう。

もちろん実際はそんな事はなくて、おそらく色々な歴史や積み重ね、あるいはアントニオ猪木、みたいなものがいてそうなったのだとは思うけれど、それでも我が国は韓国にも増してかなり特異な国であると言えるのではないか。

その、「ゲーム」と「格闘技」という2つの競技のうち、どちらを支持するかと言えば、そりゃあ疑う余地無くゲームを支持する。なにしろゲームは格闘技と違って血が流れないし、平和的な娯楽である。誰もが楽しむことが出来るし、コストもかからない。ただし物凄く不健康。

けれどもコンテンツという点で見ればゲームは健全である。やられた選手が血まみれになってお茶の間を凍り付かせる事もなければ、不透明なレフリングで試合が決まってしまうこともない。

さらに、ゲームは「世界で今一番強いのは誰か」というのが一発でわかるので、K1の武蔵のように自国スターが不健全に作り上げられる事もなく、非常にフェアである。

次いで言えば、アメリカではアメフトが、世界的に見ればフットボールが、といった具合でそれぞれの国でそれぞれの競技が人気を持っているわけだけれど、どの競技が優れているとかではなくて、たまたまその競技が受け入れられた、という事にすぎず、優劣はない、みたいな話を書こうとしていたのだけれどうまくまとまらずにたいへん困ったもう駄目だ。




あと、「プロゲーマーはなりそこねると再起不能で即NEET」という不健全さは、学歴社会かつ徴兵のある韓国においては物凄くあると思う。そのような負の側面がどのくらい韓国で表面化しているのかは知らない。レベル的にはNEETにしかなれないような人間の晴れ舞台!的な次元には、もう既に無い。

プロゲーマーの潰しのきかない不健全さというものは、例えばプロ野球選手や相撲取りを目指して芽が出なかった際の不健全さと同レベルであり、取り立てて考える程に特異なものではないのではないかと思った。

韓国のプロ野球選手の平均年俸が1000万円を大きく割っている事から考えれば、韓国のプロゲーマーの収入は「誰もが参入可能」とうい間口の広さからすればそれなりに健全なのではないか、みたいな感想もあったりする。




先日プロゲームの話はテキストエディタを立ち上げずにIEの投稿画面で勢いに委せて書いたものだし、この投稿もそうなんだけれど、別に韓国の話がしたかったわけではなく、ただ単に1プロゲームファンとしてプロゲームの可能性というものの話がしたかっただけなのに気張って書こうとするとどうしてか、途中で他の投稿を書きたくなってしまい、他の投稿を書いていると元の投稿が書きたくなり、それを書いているとまた別の、と延々にワープし続けるばかりで完成せず、こうして勢いに任せただけの投稿が量産され続けるのであった。おしまい。めでたし、めでたし。