2005年12月17日土曜日
タダより高いものはない。
もしもgoogleが有料だったら僕は一生ググらずに死んだだろうし、もしも全ての検索エンジンが有料だったならば、検索エンジンを使うことなど無かっただろう。
googleは間々使う。
使うけれど、必須ではない。
googleがあってよかったと心から思った記憶はない。
記憶にないだけで実際はあったのかもしれない。例えばgoogleで初恋の相手の名前を調べて「ああ、」なんて事が実はあったのかもしれないし、もしくはgoogleで自分の名前を調べてインターネットに埋没しきった自分の名前のあまりの凡庸さに歓喜したり、あるいはもつ鍋という料理に使われている内臓肉ははたして鳥のものなのか豚のものなのか、という疑問が自分の中で芽生え、鳥なら俺の勝ちな、とそっち側に全額張ってはgoogleを叩き、それが普通は牛の内臓肉であると知って自分の思い描く世界のもつ鍋と、実際のもつ鍋との乖離に愕然としたり、といった事があったのかもしれないし、なかったのかもしれない。少なくとも、googleがあってよかったと心から思った事はない。
だから僕はそれを「無料だからたまに使う」だけなのだけれど、世の中には「こんな便利なものが無料だなんて!」と感動しながら使っている人もいくらかはいるのだろうと思う。
無料なのは、googleだけに限らない。
インターネット上ではありとあらゆるものが無料だ。
ホームページ、ブログ、メール、プロバイダー、その他。もう思い浮かばないけれどウェブサービスは無料がデフォだ。どこもかしこもタダだらけだ。けれども、彼らは別にユーザー様の身になって無料という価格設定、即ち出血大サービスを行っているわけではない。無論のこと、善意からタダにしているわけでもない。
彼らが、ウェブサービスの価格を0円に設定しているのは、そういう戦略だからだ。
株式会社光栄が14800円という価格設定で暴利を貪ったのと同じように、あるいはプレイステーションが5800円という価格設定で市場を席巻したのと同じように、タダという価格設定を行い、インターネッターを支配しようとしているのである。
おそらく、金を払うという事は、ある意味では文句を言う権利を買うという事である。少なくとも無料ユーザーは大きな事を言えないし「悪いことをやっている」と思ってもそれに影響力を行使する術はない。「お金を払うのをやめます」というお客様的圧力が通用しないわけだ。そして、それ即ちユーザーから文句を言う権利を奪いさる事こそが彼らの戦略なのだろうと思う。という、序文。
僕はタダというのは高くつくものだと思う。
「タダで提供している」人々は、それ相応の見返りを求めているのだ。googleはもちろんそうだし、ヤフーオークションが無料だった時代もそうだ。各種のブログサービスや、デコユーエスなんかももちろんそうだ。それらインターネット企業が「タダで提供している」理由はわかりやすいものだ。ユーザーを集めて、広告費で稼ぐ。ちょうどテレビ局がやっているのとまったく同じ事を彼らはやっているにすぎない。
しかし、インターネット上にはユーザーを集めて広告費で稼ぐ事を目的としていないのに、いろんなものをタダで提供している人が大勢いる。ブログを書いている人の幾らかが、それだ。
たとえばアフィっているブログを見ると、そのブロガーが何を求めているのかが少なくとも一定はわかる。「コーヒー代を稼ごうって魂胆だな」と、一定の理解が出来る。
あるいはセックスに餓えた若者とイーマーキュリースの脆弱性を見つけてはしゃぎたい中年男性しかいないmixiを見ると、ミクサーが何を求めているのかが少なくとも一定はわかる。「セックスに餓えているのだな」と、一定の理解が出来る。
それら、目に見えた目的を持ってブログを書いている人ではなく、目に見える目的を持たずにブログを書いている人、即ちタダブロガー。彼らこそ、「最も多くを求めている人々」なのだろうと僕は思っている。
だからその幾らかの人々はちょっとしたトラブルがあると癇癪を起こしたり、ぶち切れたり、という事を行うのだろう。アフィリエイトでがっぽがっぽやっているブロガーが、比較的トラブルに対する耐性があるのと比べれば、彼らタダブロガーのトラブルへの対応能力は余りにも拙い。
それは、「インターネット初心者=アフィリエイトをやっていない」という公式以上に、「お金以上のものを求めている」という彼らの心理にあるのではないだろうか。
即ち、タダブロガーはインターネットを自己実現を行う事の出来る何か凄まじい完璧な世界のジュリームワールドとでも思っており、その期待が裏切られるや否や、端から見ていてもちょっと悲しくなるような痛々しい対応をしてしまうのだと思う。
インターネットの世界で最も大きな夢を見ているのは、ジェリーヤンでもなければ、エリックシュミットでもない。どこかの小さな今はまだ名も知れぬ、タダブロガーの誰かなのだ。そして彼らの抱いた端には見えぬ大きな夢は遠からず、1つ残らず砕けて散る。
インターネット、ここは現実1つのリアル。
完璧な世界はジュリームのまたジュリーム。