2006年1月8日日曜日

あらがえなさ。



少しばかりに華やいだ、飲まず食わずが明けたとき、人の気配のない台所を冷蔵庫の扉に手を掛ける勇敢すら持たずに少し歩いて立ち止まり、水をこれでもかとたらふく飲んで、飲み込んだばかりのそれが四散し皮膚の裏側に染み渡り、少しずつ、少しずつ冷たさを失ってゆくのを直立したまま静かに感じていると、衰えた足腰がだらしなさを口にするよりも前に僕は手洗いへと歩き出す。

冷たさを無くした水は僕の身体で薄汚れ、今では不要なものとして異臭を放つ機会すら与えられずに消えてゆく。現在位置を指し示すカーソルが点滅する度に、僕の愚かさが真性引き篭もりhankakueisuuに変換されてゆく。

それらが全て流れ出た後の、僕の死に土色の手の中には、美しさと可憐さと、凛々しさと律義さと、正しさと純潔、そして変換できなかった本物の愚かさだけが残る。

駆け出せばいいのだろうか、駆け出せば僕はまた再び走れるのだろうか。もう何も見たくない。僕を罵る声と、僕を毛嫌いする声と、僕を馬鹿にする声と、少しの暴力、幾らかの暴力。全てに蹂躙されたい。そうすれば、そうすれば僕は僕の人生に対する責任をそれら僕に危害を加えた人間というものの存在、敵意、害意、またそれらが向けられるに値する己の醜さ、不完全さ、意地汚くも屈強な信念の拒絶、あるいは憎悪正確には殺意。そういうものに転嫁出来るのに。上手に生きて行けるのに。

おまえは不要だ用済みだ。そう囁く声に抵抗する手段は山のようにあった。僕に向かい不要だと罵る奴らへの復讐として懸命に生きること。あるいはそれに賛同し、懸命に生きることを放棄すること。ゲームのことだけを考えていればよかった。他の一切を人生というテーブルから床下へと放り投げて。

対して、対しておまえが必要だと言う声にはどのようにあらがえばいい。蓼食う虫も好き好き、僕が全宇宙で最も不要であると思う物を欲しがる人間がこの世の中には存在していて、僕が何よりも欲しているものを否定する。くだらないもの、そんなもの、ここにはゲームがありません。

武人は武によって死に、謀略家は謀略によって死ぬ。モラリストはモラルによって死に、常識人は常識によって死ぬ。言うまでもなく、真性引き篭もりは真性引き篭もりである事によって死に、僕は真性引き篭もりであったが故に死に、真性引き篭もりは僕であったが故に死んだのだ。

そして僕は残念ながら人間。人間は人によって死ぬのか。僕の敵は僕自身であり、僕が向き合うべきは僕そのものであったはずなのに、そうであったはずなのに、真性引き篭もりhankakueisuuがサンクチュアリを破壊し、僕の甘さがその奔放さを殺した。

どうしてインターネットには人間がいっぱいいて、どうして僕は部屋で1人震え続けているのだ。薄汚れたキーボード、こびり付いた手垢、壊れたマウス。温もりの伝わらない世界。果てしなく遠い距離。真性引き篭もりhankakueisuuへの嫉妬。真性引き篭もりhankakueisuuへの殺意。僕にはもはや彼を殺す力はない。それどころか事もあろうかそんなものに生かされている。HOW FUCKING LUCK CAN U GET。全人類を滅亡へと導く。それが僕の役割。