2006年1月30日月曜日
僕は一体何を期待しているんだ。
たまたま目にしたはてなダイアリーのアンテナ表示欄に真鍋かをりのここだけの話を見つけて、「ああこの人はあんなものを有り難がって読んでいるのか」と思ったそのコンマ数秒後に若隠居の徒然日記という文字列を見つけては反射的にそれをクリックしてしまい、gooブログのトップページに飛ばされる徒労。
一体僕は何を期待してそんなものをクリックしてしまったのだろうかと考える内に酷く虚しくまたかつ憂鬱な気分になった。
世の中には僕が定義する中のろくでもない人間というものが大勢いて、例えばそのような人にかける情などというものを僕は持ち合わせていないのだけれど、それでも人間は人の子であるからして、一切の責任を放棄して何もかも無責任に逃げ出したくなる事だってあるだろう。
ただ、僕は今のところ奇跡的にその選択を行っていないというだけであり、その差異は極めて小さく実に同質である。そんな不確かで危ういものに、間違ったダンディズムのようなジャスティスジャッジメントファイア的なものを宿らせる事の正当性を常に疑う。
例えばその中で僕がその文字列をクリックした理由としてはそこに人心たる少なくとも幾分かの誠意の宿った謝罪の体を成した自己正当化が繰り広げられているのではないかと思い、即ち一言で言うならば僕は何か、即ち良いように言えば良心、悪いように言えば正しさを体現したいという邪な欲望というものを信じてそれをきっとクリックしたのだ。
その憂鬱さ、即ち僕がまだ人間などというものを信じているというこの有様に酷く虚しい気分になり、体全体の皮膚という皮膚がゴム長靴に覆われたような自らと自らの果てしない距離感を感じた。
世の中はろくでもない奴らばかりで満たされており信じるに値する人間などいない。のう、のう、斬り付け合って2つが4つになればよい。そうすればまた、1つになれる。