2006年3月29日水曜日

シーグラス



新しい季節、
新しい道。

新しい言葉、
新しい力。

新しい未来、
新しい時。

僕はまた再びブログを書くんだ、
僕はまた再びブロガーになるんだ。




いつからか、ブログを書かないことが当たり前であるようになってしまった僕は、冬が終わるのをただ漠然と待ち過ごし、その中で、自分がブログを書かないでいるという事の意味を、時には浅く、時には深く、もちろん常に薄っぺらく、色々に、考えた。

僕がブログというものを書き始めたのは、DOTA allstarsを夜から夜まで一心不乱にやり続けるだけの生活に嫌気がさしていたからであり、言うならばゲームを止めるためである。

しかしながら、なぜゲームを止めようと思ったかというとそれは、ゲームがやりたかったからであり、ドラゴンクエストとファイナルファンタジー、あるいは三國志といった、まるで魂の死んでしまったゲーム達がナンバーカウントを進める中で、魂はおろか、その他の諸々までをも死に絶えさせながら、DOTA allstarsを続ける自分の死んだ目死んだ心に、恐怖と言い換えることが可能なくらいの焦りと軽蔑を抱いていたからである。

その焦りから来る軽蔑、侮蔑の類に正当性があったかどうかというと、それはかなり疑わしいものである。少なくともあのままDOTA allstarsを続けていたならば、僕は決してstfuとタイプする事などなかっただろうし、このように自らの無能さの体現をこのような形で目視する羽目にも陥らなかっただろう。

けれども、これまで幾億のゲーム中毒者、否全人類がその身その心その人生をもって証明してきた、「行うためには止めねばならぬ」という天下絶対の決まりごとからすれば、僕はDOTA allstarsを行うが為にDOTA allstarsを止め、そしてブログを更新するが為にブログを止め、新しい道を歩むが為に振り返るのを止めそしてまた書き進む新しい季節。




新しい希望、
新しい夢。

新しい孤独、
新しい光。

新しい決意、
新しい意志。

僕はまた再びブログを書くんだ、
僕はまた再びブロガーになるんだ。




もちろん、このエントリーの中で僕はゲームの事など一文字も書いてはおらず、同様にブログの事すらも書いてはいない。それらは僕自身と完全に直結した、僕自身の人生の話であり、たとえば他の誰かの場合であれば、そこに入る文字列は家族であったり、仕事であったり、あるいは妻や子供、といったものなのだろう。

その些細な違いを指差して、僕のそれがブログである事を、まるでとんでもなくばかげた事であるかのように言う人がいるかもしれない。ちょうど、DOTA allstarsをまるでとんでもなくばかげた事であるかのように思ってしまっていた、あの日の僕のように。

ある素晴らしい物事は、他の誰かにとっては素晴らしいものではない。世に名だたる名湯も、生粋の風呂嫌いにとっては臭くて生暖かい汚濁した沼だ。アメリカ人にとってフランス人であること、アラブ人にとってユダヤ人であること、日本人にとって韓国人であること。

真性引き篭もりであること。
hankakueisuuであること。
僕にとっては全てだ。

素晴らしいか、そうでないかはさておいて。




すれ違う言葉、
見捨て行く人。

荒れ狂う言葉、
死んでゆく心。

僕はまた再びブログを書くのか?


流れ出る言葉、
消え行く重さ。

無くした言葉、
磨り減る時間。

僕はまた再びブロガーになるのか?




新しい季節、
新しい道。

新しい言葉、
新しい力。

新しい未来、
新しい時。

僕はまた再びブログを書くんだ、
僕はまた再びブロガーになるんだ。




新しいブログ、
一心不乱。

駆け続けること、
一心不乱。

新しいブログ、
一心不乱。

書き続けること、
一心不乱。

新しい波、
みんな腐ってく。

新しいブログ、
一心不乱。

新しいブログ、
一心不乱。








鉛飛び交う、ブログスペース。
疑う余地無き、沈黙は金 なら
ダイヤモンドで語ればいい。
脆く砕け散り輝けばいい。