2006年3月31日金曜日

有害なブログと、ブログに敗れたgmail。



無能である。
馬鹿である。
いい訳であり、逃げである。

「不条理」と「理不尽」がどう違うのかがわからず、しかも皆目見当すらつかない。けれども幸運な事に、少なくともこのエントリーの中では「不条理」と「理不尽」の違いがわからないという僕の弱点は、大きな問題にはならない。なぜならば、それは不条理であり尚且つ理不尽であるからだ。

それは即ち、これである。

ircで毎晩毎晩ろくすっぽゲームもせずにセクハラと脱税を自慢し続けているjin115の明らかに有害なブログがキッズgooのフィルタリングをすりぬけて表示されるのに対し、われ等がMumakたんの非常におだやかなブログがキッズgooのフィルタリングによりまるで有害なサイトとして扱われている理不尽、不条理、やるせなさ。




なぜこのような事態が生じるかというとそれは、人の手により作られたものは、人にも増して馬鹿だからである。人には人の、機械には機械の限界がある。それだけの話だ。

インターネットの道具が利口な働きを行わないのは、真性の馬鹿しかいない能無し集団NTTレゾナントの運営するキッズgooに限った話ではない。例えば、精度の高い検索エンジンを作ることにおいては右に出るものがいないとされている、googleであっても同様である。


google社のサービスに、gmailというものがある。言うまでも無く、自社の運営するメールサービスなのだから、「gmail」とgoogleにて検索すればgmailのログイン画面が最上段に表示されて当然である。

事実、いわゆるインターナショナル版のgoogleでは、検索結果の一番上にgmailのログイン画面が表示される。


しかし、いわゆる日本語版のgoogleでは、まったく違う結果が返される。

検索結果の一番上に表示されるのはどうしようもない糞ブログであり、2番目に表示されるgoogle社のサイトでさえ、gmailのログイン画面ではなく、冗長で役に立たないreadmeだ。

そこに続くのはこれでもかとばかりに並べられた糞アフィリエイトサイトと糞ブログの山、また山であり、インターナショナル版のgoogleにおいては検索結果の一番目に表示される、googleで「gmail」とタイプするユーザーが最も求めているであろう「Welcome
to Gmail」が日本語版のgoogleの検索結果に登場するのは、彼方彼方はまた彼方、遥か彼方の101件めである。

かの、悪名の誉れ高きgoogleですらこの有様なのだから、馬鹿しかいない能無し集団NTTレゾナントにまともなものなど作れるわけがない。ユーザーの時間を奪っては失望を植え付け失笑だけを生み出す役に立たない糞サービス糞サイトの類を築き上げるが精々であり、キッズgooはその象徴なのである。




ところが、世の中にはこのような、道具は人にも増して馬鹿であるという当たり前の事柄によって生み出された事象を、よからぬ思想統制を行おうとする者供の息のかかった陰謀の類であると主張する人間がいるのを目にしては呆れてブログも書けない。


この手の、何者からが我々の何かを脅かしている、と曰う奴らがまるでそれを愛国心のように振る舞うのを目にするのは実に不愉快である。例えばgooが無能でありgooの作るものが役立たずなのは常識であり、その「当たり前のこと」を「とりたてて悪いこと」のように喧伝する、という事が何を意味するかを理解しておくべきである。それは、ただの陰謀論である。


何者かが我々の何かを脅かしている、という馬鹿げた陰謀論の中で失笑に値し、尚かつ今現在最も有名なものは、「日本人が竹島を脅かしている」というものである。つまり、キッズgooなどに踊らされている人間は韓国人にも劣る程度の脳みそと民度しか持たない馬鹿どもである。

実際に韓国(あるいは中国)がその国を持って証明しているように、真実から目を逸らし、同時に真実から目を背け、まるで自分たちが万事において正しいかのように振る舞うには、敵の存在が不可欠である。そのような敵の存在が不可欠なものは愛国心でも何でもない。それはまぬけさであり、馬鹿さであり、責任と真実の放棄である。


そういう事柄を叫ぼうとする者共は、いつの時代も不満と怒りという人間の感情を利用して、その手のまったくもってくだらない事を広めようとする。そういう感情、いわゆるネガティブな感情はよくないものだ、とする論に耳を貸すつもりはない。ネガティブこそが人の力の源である。けれども、そういうった感情が人間の思考を停止させ、冷静な判断力を奪う性質を持つ、という事くらいは理解しておくべき、











とまで書いた所で非常に萎える出来事があったので、ほっぽり出す事にした。