空飛ぶクラゲ、みぃと鳴く。



クラゲである。
空飛ぶクラゲである。
それだけならば有り触れてるが、その飛ぶクラゲはみぃと鳴く。








そこは小さな村で、外れにある神社の脇の大きな浅い池に掛かった木造の細くてとても長い橋と、国の金で掘り当てられた温泉の他には何もなかった。村民は温泉よりも橋よりも、山菜と空を誇ったけれど、外の空気は冷めていた。

そこに、一匹のクラゲが居た。空飛ぶクラゲである。それだけでは有り触れているが、その飛ぶクラゲはよく馴れていて「みぃ!」と呼べば、「みぃ」と答える。麩菓子やら、片栗粉やらを口に含んで目の前に吐いてやると、口を広げてパクリと喰う。

その愛くるしい姿が評判となり、地方紙に乗り、ラジオに乗り、地元の局が取材に訪れ、その飛ぶクラゲは温泉よりも橋よりも、広く知られることとなり、テレビカメラが訪れた。遥々、東京からである。




テレビの男は当然のように「橋で、」と言う。そこは、古くに作られた木造の細くてとても長い橋の村で、みぃと鳴くクラゲはその村の、新参者のスターである。小さくて少し肥えた男は「みぃや」「みぃや」と呼び寄せて、テレビの男に「みぃは言葉がわかってね、こうして呼べば来るんです。」と、みぃの知性を誇ってみせた。それは、誇ったと書くよりも、称えたと書いた方が正確なものであった。

普段は家中を好き放題に飛び回らせてる少し特別なそのクラゲを、インスタントコーヒーの空き瓶に入れて小脇に抱え、家族総出で橋へと向かう。中年の男と、年老いた父の2人きり。

テレビカメラが向いたとき、男はもう汗だくで、上唇が口元が、ぴくりぴくりと動いていた。「ちゃんと喋れますか?」若い眼鏡のテレビの男は呆れた空気を押し殺しながら男に尋ねる。「大丈夫、大丈夫です。ちょっとまあ、大丈夫です。」

世界が男を向いたとき、男は麩菓子を頬張って、目の前を飛ぶクラゲに向かい、器用にそれを吹いていた。ドングリよりは少し大きな空飛ぶクラゲはその度に、めいいっぱいに身体を伸ばして、落ちてく粉を一呑みにする。東京の、大学を出た黒い髪のアナウンサーが喋ってマイクを男に向けたが、男は構わず粉を吹く。空飛ぶクラゲはそれを一呑み。身の丈よりも、口を大きくして食べる。

やっとマイクを向いた男は段取り通りの問いかけに、段取り通り答えてゆく。「なんでも、そのクラゲは鳴くんですって?」「ええ、読んでやるとですね、答えるんですよ。ちゃんとわかっているんです。」言い終わらぬ内に懸命に呼ぶ。

「みぃ!」「みぃ!」「みぃや、みぃ!」男が呼ぶ度空飛ぶクラゲは、熱々のがんもどきをつぶしたような音で、みぃと答えて1つ鳴く。アナウンサーは手を伸ばし、マイクで小さなその声を追いかける。

朝のテレビで随分と、長く有名な男から、段取り通りの質問が飛ぶ。
「そのクラゲはどこで見つけられたんですか?」




「え?」
男はうまく聞き取れず、狼狽する。

「そのクラゲはどこで見つけられたんですか?」
より丁寧に、繰り返される。

「え?」
背筋を丸めて耳のイヤフォンを両手で抑え、聞き取ろうとする。

「その、みぃちゃんは、どこで見つけられたんですか?どちらで?」
アナウンサーが見かねてなぞる。

汗で光り輝く男は安堵して、段取り通りの質問に落ち着きを取り戻し、それに答える。
「物干し竿の、端に出来ていた、蜘蛛の巣にひっかっかっていたんです。蜘蛛の巣に空飛ぶクラゲが引っ掛かってるだけなら、私も気には留めんのですが、その蜘蛛の巣は、もう随分と前から主がおらんかったもんで、私がちゃんと掃除して、蜘蛛の巣を剥いでおったらそんな事にはならなかったと思うとですね、申し訳なくなって、蜘蛛の巣から離してやったんですよ。そしたらですね、疲れとったのか、朝露で重かったのか、上手く飛べずに落ちるもんで、拾って家へ入れてやったんです。」

男は喋る。
「今じゃあ家族みたいなもんでね、私は煙草を止めたし、親父も煙草を止めたし、昼も毎日家まで帰って一緒に食べているんですよ。」

男は称える。
「頭が良くてね、賢くてね、クラゲがこんなに頭が良いとは思ってもいませんでした。毎日同じ場所で寝て、朝は毎日同じ時間に鳴いて起こしてくれるんです。みぃ、みぃ、って具合に。」

次を急いだ東京のテレビは、段取りにはない問いかけで、男を黙らせようとする。
「最後にもう一度、餌を食べるところを見せて貰えませんか?」

背中を丸めて耳のイヤフォンを両手で押さえて聞き取ろうとする男。
アナウンサーが同じくなぞる。

「もう一度、餌を食べるところを見せていただけますか?」
「ああいいですよ。」と快諾し、男は麩菓子に手を伸ばす。

空飛ぶクラゲが見あたらない。





「みぃ?」
「みぃ、みぃ!」
と、男がクラゲを読んでいる間に「ありがとうございました、空飛ぶクラゲのみぃちゃんでした。」と声が聞こえてテレビは何処か、余所を映した。みぃ、と左手から熱々のがんもどきを摘んだような声がする。池の水面のすれすれをぷくりぷくりと飛ぶクラゲをカメラと皆とが捕らえたときに、クラゲは池の上に落ち、赤と白との鯉が来て、それを一呑みして消えた。

「いやあ、立派な鯉でしたね。」
汗だくの男はそのままの、満面の笑みでそう言って、橋を向こうへ渡っていった。
















テレビカメラに背を向けて。