2006年10月22日日曜日

「行いたい」と思った事は、「すぐやる」と「すぐやらない」の2つに分けて処理するのが良い。



ブログを書き始めて、ちょうど一週間が経過した。
いや「経過してしまった」と書くべきかもしれない。
なぜならば、少なからず本意ではない事態に直面しているからだ。




ブログを書き始めるにあたり、400の草案の中から、10のエントリーを選び出した。そして、その10項目全てのタイトルと頭文、展開と終行をボールペンでメモした。あまりの悪筆と筆不精が故に全てをテキストエディタ上で済ませている自分としては、並々ならぬ決意があったからこそ、ボールペンを手にとりしっかり書いたのである。10個のエントリーを、一週間で書ききるつもりで、投稿順まできっちり決めて、全てをメモに書いたのである。表題の頭文字だけ今書くと、1空、2N、3腹、4S、5W、6足、7実、8ク、9ブ、の順である。なんかタイピングしてみて気が付いたんだけれど、10個じゃなくて9個だった。僕は数すら数えられんのか・・・。

そうして、ブログを書き始めた。ところが、ご覧のとおりである。上記、一週間の間に書ききる気でいた9個のエントリーは、たったの1つも書けなかった。けれども「それに失望していますか?」と問われれば、答えはNOだ。いやYESだ。

即ちYESでもあるし、NOでもある。
そういうものなのだとこの一週間で、僕は考えを改めた。








人は思う。
「行いたい」と、そう思う。

様々感じて日々思う。
「行いたい」と、そう思う。

けれども、思った全てを行えるわけではない。
何故ならば、人の心は無限だけれど、人の力は有限だからだ。

毎日思う「行いたい」のそれらのなかで、どれを行い、どれを行わぬのかを取捨選択し、実行してゆく事こそが、生きてゆくというものの、正体なのだと僕は思うに至り書く。




「行いたい」という強い思いの、最も優れた処理方法は「すぐに行う」という対応事である。所謂「すぐやれ!今すぐだ!」である。これに勝るものは無い。

ところが、そう簡単には進まない。
人の力は有限で、時間は瞬き過ぎるからだ。
あっという間に時が経ち、「行いたい」の思いは薄れる。
あらゆる人の思いはすぐに、疲れ果てた日常の前で破れて崩れてすぐ消える。日々のささやかな喜びや、誰かが仕組んだ快楽の罠に、ほっと吐息を吐き出して、これでいいかと妥協する。そうして、全てを忘れ行く。




けれども、人は忘れない。

ふいに思ったその事を、強い誓いに転化して、胸奥深く拳に握る。それらはいつか破裂して、人をどこかへ導いてゆく。誰もがそうして名を成して、誰もがそうして息絶えた。だからこそ、僕はそれを理解し、そういうものであると知り、1つの事を止めにした。「期限を決めて思いを形にする」ということである。




「すぐやる」は最高の解決方法だ。
シンプルで、力強く、確実だ。

その「すぐやる」に失敗したとき、多くの人は期限を設ける。「来週の土曜までにやる」とか、「今月中にやる」とか、「今年中にやる」といったようにである。ところが、これらは往々にしてうまくいかない。何故ならば、それは「すぐやる」の先延ばしでしかないからだ。期日は期日などじゃなく、順延された偽者の、「すぐやる」でしか無いからだ。




人の心はそれなりでかい。
人の体よりはでかい。

思ったことをすぐやろうにも、10秒100分1000時間、幾年月と必要になる。けれども「すぐやる」をすぐ発動し、10秒100分1000時間、絶えることなく継続し、一心不乱に取り組めば、必ず何かが変わりゆく。

生きるの道を切り開き、全てが一変することもあれば、強い思いが崩れ去り、心を失うこともある。どちらがいいとは限らない。それも人生また人生だ。世間の見方は違うだろうけど。




結局の所、僕は「行いたい」と思った事に対して、期日を定めるのを止める事にした。今後一切行わない。期日を定めるなどしない。

もし本当に「行いたい」なら、「すぐやるモード」が起動して、完遂するまで突っ走るはずだ。もし本当に「行いたい」なら、胸奥深くで密かに育ち、やがて爆発すぐやるはずだ。

そのどちらもが生じぬならば、それは「やりたい」ことではない。
ただの憧れであり、嫉妬であり、現実逃避その類だ。




結局のところ僕は、9つのエントリーを予定通りに書き上げられなかった事に関しては、少し残念に思っている。その一方で、一週間という期日を儲けてしまった自分に対しては「なんて馬鹿な事をしたんだ」と、酷く失望している。けれども、それに満足している。学習したのである。成長したのである。気が付いたのである。即ち、24時間で書けなかった事を168時間で書こうとするのは間違いだと気が付いたのだ。




もしも僕が本当にその九つのブログの記事を、胸で思っているならば、それらはいつか破裂して、必ず書き上げられるだろう。そうならぬなら、それまでだ。

幸いにして僕はまだ、死という期日に恐れ怯える歳ではない。
上司の怒号もここには無い。取引先などありゃしない。

だから、僕は、決めたのだ。「行いたい」と思った事は、「すぐやる」か「すぐやらない」かの2つに分けて処理する事に決めたのである。