2006年10月31日火曜日

「アフィリエイトを貼る」を「作り手に感謝する」に言い換える人。



すべての「作り手」に感謝

現金集めにブログを書いている人間が「感謝」だとか「ありがとうの気持ち」だとか言いだして、気持ちの悪い取り巻きどもとなよなよきゃーきゃー素敵合戦おべんちゃらを繰り広げるというパターンは昔から楽天blogやアメーバを中心に随分とあったのだけれど、改めて目にすると真にうんざりするものがある。

この手の何が不快であるかというと、自らの正当化。そのやり口。
例えば上のblogであれば「俺は金が欲しいのではてなから人を引っ張ってこれるものならなんだって利用します。何度でもやります。文句ある?」とでも書いていたなら、「ああなるほど」で済む話。

ところが、こういう人たちは正々堂々を行わず、御託を並べて、いかに自分が立派で志のある人間であるかを延々述べて自らを正当化する。アムウェイ狂やタッパーウェア狂と同じ論法。「私は自分の為じゃなくて世の為人の為、あなたのためを思ってやっている」というもの。おいおい手前の金儲けだろ。

そもそもこの「全ての作り手に感謝」という冗談にも笑えないエントリー自体が、はてなブックマークでつけられた「なんかもういい加減、こういう記事の出し方は食傷気味。需要はあるんだろうけど個人的には「またか」と思う。」へのリアクション。事ある毎にいい人を演じて馴れ合いで隙を埋めるという、金儲け原理主義者の傲慢な手法。

この手の人々が自らを美化する為に「感謝」だとか「ありがとう」、「自分の為でなく」などとblogにwebに並べ立て、それらの単語を使い潰してゆく。大概の言葉はもうボロボロ。

しかも、そのエントリー自体にアフィリエイトを貼る傲慢知己さ。作り手に感謝するならアフィリエイト挟むなよ。アフィ金中抜きするなよ。自分で勝手に買ってろよ。それとも高度なギャグか何かなんだろうか。きっとそうなんだろうな。さすがにこれは。

今やどの世界でも正当化の為の見苦しい言い換えは氾濫していて珍しくもなんともないものだけれど、「アフィリエイトを貼る」を「作り手に感謝する」に言い換えるという傲慢さを目にしては、呆れるを通り越して驚きすら覚える。ちょっとしたサプライズ。世も末も末。地球上から消えてなくなれ。