2007年6月4日月曜日

逃げた方がよい現実もある、死んだ方がよい人もいる。



「現実とは、闘うべきものである」だなどと、自慢気に高説垂れ流している人がこの世界にはたくさんいるけど、そういった人たちが現実と闘っている所を、僕は一度も見たことが無い。




人が何かと闘おうと思い立ったとき、その前に立ちはだかるのは現実などではない。人が「ああ、闘わねばならぬ」と思った時に、その行く手を阻むのは、自身の心の弱さだ。傷つく事を恐れ、ズタボロになる事を恐れ、全てを失う事を恐れる。戦場に背を向けて逃げ出そうとする、その心と、戦い続けねばならぬのである。敵は、強固堅牢立ち込める現実の石壁などではなくて、痛みを恐れる至極普通の人間の心だ。当然至極の感情だ。




世の中では、戦うだとか、立ち向かうだとか、そういった雄々しい男根ロマンが今も信仰されている。根強い人気がある。人はなにかにつけて戦いたがるし、見境なしに立ち向かいたがる。けれども、消耗して、傷ついて、ぼろぼろになるだけの戦いに、何の価値があるというのだろう。そんなもの、まったく無い。

得るものの無い戦いほど、愚かで無意味なものはない。




戦うべきではない。得るものの無い戦いに身を投じるべきではない。開戦を煽り迫った人々と同じように、他の誰かを消耗させて利を得る人々が、あなたに戦いを煽り迫って近づいてきても、決してその言いなりになるべきえではない。決して、戦うべきではない。逃げるべきである。そうやって、なんとしてでも逃げ延びて、平穏無事に生きるべきである。

傷ついてぼろぼろになる為に生まれてきた人なんて一人もいないのである。




逃げる事によって、逃れる事によって、失うものもあるだろう。けれども、そんなもの、毎秒消耗し続けるだけの、意味の無い戦いによって失ってしまうものに比べたら、遥かに小さく些細なものだ。逃げろ、脱兎、一目散に。三十六計、逃げるに如かず。












逃げた方がよい現実もある。
そのようにして、生きた方がよい。
自らを温存して、生き延びた方がよい。
泥沼の消耗戦に身を投じずに生き永らえた方がよい。

世界に名だたる我が国の、日本の未来は玉虫色で、生きれば必ず幸福を、漏れなく享受出来るのだ。157の国と地域、70億をも潜り抜け、この国に生まれた幸運を、この国に生きる幸運を、天寿を持って授かろう。はっきりさせるのだ。人はくだらない浪漫とか、幻想だとか、妄想といった類のものに愛想笑いで仕方なく、付き合う為に生まれてきたのではないのである。逃げろ、身の為、自らの為。如何様にでも、生き延びる為。












逃げた方がよい現実もあるのと同じように、死んだ方がよい人もいる。
戦う。戦え。戦おう。人の心が息絶えるまで。想いの糧が死に果てるまで。