2007年8月30日木曜日
切り捨て
年に360日くらいはうんざりとぼんやり後悔しながら過ごし、年に5日くらいは「この人と結婚して良かった」と思う程度には幸せな結婚生活を送っている人間が、突然仲間由紀恵に求婚されたとして、すんなり愚妻を捨てるというのは、人によっては簡単な選択であり、人によっては難しい選択である。
僕がどちらの側の人間にシンパシィを感じるかというと、それは無論の事ながら後者であり、「幸せになれる選択肢」や「理想に近い選択肢」を嬉々としてクリック出来る人間を僕はどうも、信じることが出来ない。同様に、「幸せになれる選択肢をクリックする為のテクニック」や「理想に沿った選択肢をクリックする為のテクニック」を説き求める人達に対しても同様に、訝しく思う。つまり、彼らは即ち「はい、そうですか」と愚妻を捨て去り仲間由紀恵に走る事を絶対的に正しい選択と定義する人達だからである。
360対5、即ち72対1というあまりに酷い割合が黄金比であると言うつもりは全く無いけれど、あらゆる楽にはそれ相応の、苦というものがつきまとう。少なくともこの地球上には、苦のない楽などありやしない。逆に言えば楽の無い苦もまた、存在しない。そして今や事実上の地上の楽園と化した夢見る理想の先進国家である我が国では、最も悪い苦対楽の割合に位置する人達ですら、72:1よりも幾分かは、マシな苦楽を生きている。
怠慢であるとか堕落であるとか、あるいは甘えである、怠けである、などと罵倒する向きは確かにある部分では正しいし、「過去に縛られて生きるのは愚かだ」といった塩梅を御高説するのもまた正しい。確かには正しいが、苦節を長く共にした愚妻愚夫を不可逆に、はいさようならと切り捨て捨て去る事がそんなに「正しい」とも思えない。