2007年8月23日木曜日

頑張ってはいけない。



僕が時々読んでいる中国人のブログには「加油」というフレーズが毎日のように登場し、僕は時々、その「加油」というフレーズを読みたくなり、その度にそのブログを読みに行く。




この「油を加える」というフレーズ。

エキサイト中日翻訳で調べると、「頑張ります」となっている。
中日辞書では「頑張る。さらに努力する。」である。
なるほど、中国語は凄い、と感嘆する。












人間は何で出来ているかというと、それは難しい。いろいろなもので出来ている。

それは難しいけれど、あえて無理めに断定すると、人は、水で出来ている。伝え聞くところによると、人間の70%は水であるらしい。つまり僕が想像するに、人というのは、薄っぺらい革袋に入った水みたいなものなんだと思う。




そこに、油を加えるとどうなるか。
水の表に油が浮いて、虹色の光沢が綺麗に覆う。
つまり、「頑張る」ってのは、そういう事なのだろう。







水に油をどれだけ足しても、器の中身は水のまま。

地震で器が少し揺れたり、何かにぶつかり凹んだりした際に、真っ先にこぼれ落ちるのは表面を覆った油である。揺れや凹みで失われてしまわないようにと、躍起になって油をどんどん、どんどん加えた所で、油はちっとも沈まずに、注いだ側から溢れてしまう。表を覆った油が溢れた後に残るのは常に水だ。肝心な時に残るのはいつだって、油ではなく他の何かだ。









もちろん、「油を加える事に意味は無い」なんて言うつもりは決して、無い。

くだんのブロガーは名をLi Xiaofengと言い、その筋ではWE.Skyというハンドルネームで知られているプロゲーマーだ。僅か10分程度のゲームの中での勝敗という、明確な結果を求められる彼にとって、大会の前の重要な期間に「一滴でも多く油を加える」というのは、必要不可欠な事なのだろう。

けれども、一般至極の僕らが普通に生きていく上で、「一滴でも多く油を加えなければならない局面」なんてのは、"決して、無い"とまで言うわけではないけれど、そんなに、滅多と、あるものではない。ある部分では、皆無に等しい。付け焼き刃で武装しなくちゃならない、なんてのは、もうその時点で駄目なのだ。







結局の所、大切なのは、油を加えずに生きることだ。
アメンボ沈まぬ清んだ水面を頑な綺麗に守ることだ。

情報化時代の最先端の僕らが生きるこの世の中は、ざっくばらんに多種多様化したくだらない指針や、中身のない煽り文句で満たされており、何かにつけて「油を加えなきゃならないんじゃないか」という圧力がのし掛かるように、出来ている。

オリーブ油、ゴマ油、DHAにEPA、肝油、蜜蝋、がまの油と行き着く果てはギトギトの、器に入った清んだ水を完全覆って虹色隠す、酸化して凝固した得体の知れない流れぬ油膜だ。べったり染みつき中毒のように、「油を」「もっと油を」と、注いだ側から流れて失せる、徒労失望積み重ね。そうなってしまってはもう手遅れで、元の水まで乳化して、得体の知れない何かに化ける。









だから、僕は、もう二度と、油を加えようだなんて思ったり、油を加えようだなんて企んだり、油を加えなくちゃと焦ったり、実際懸命必死になって、油を加え続けたりはしない事にした。ギトギトべた付く光沢なんて、ちっとも欲していないのだから。