2007年11月8日木曜日
国家の三大義務
昼間は暑さすら感じるほどに蒸し暖かかったにも関わらず、こうも寒くなってしまうと、国民の三大義務というものが何だったのかすら思い出せない。納税ッ、納税、、、納税。「なんだって金で解決」とか「まあええからとりあえず金よこせや」的な自分の脳味噌のアンサーが嫌だけれど、どうせ思い出せそうにないので、とりあえず納税、納税、納税でファイナルアンサー。
僕が「国民の義務」という「国民」と「義務」をという互い共に曖昧な単語を繋ぎ合わせただけの言葉を好きになれないのは、「では国家の三大義務とは何か」という問題が有耶無耶にされ、「国家は国家としての義務を果たしているのか?」という問いには誰も答えてくれないからだ。「おまえは国民の三大義務を果たしているか?」という問いには簡単に答えられる(あるいは果てしない言い逃れを繰り返す事は出来る。たとえばこのエントリーのように)のに対して、「我が国は国家の三大義務を果たしているか?」という問いは「善処しています」なんてつまんねー回答で全て処理されてしまうだろう。あるいは「某国よりかはマシである」とか「世界的に見れば」とか「先進国の中では下位に位置するとはいえ」的な。あー、想像しただけでも反吐が出るぜ(想像しなければ反吐なんて出ないのにね。)。
そもそも国家ってのはどこにあるのだ。我が国はどこにあるのだ。福田(ここで言う福田とは、フクダーダではなく福田康夫現総理を指す)と小沢の宴席の中か?国民の所在は一人一人、1億2000万全て記帳され突き止められているのに、国家の所在地は「とりあえず永田町って答えておけば」みたいな就職面接の赤本のような適当さの中にある。
事実上全ての日本国民は義務教育(あ、これ義務だ。)という強制の中で、義務を果たせ、義務を果たせと押しつけられているわけで、どうもその辺りに不健全さを感じるし、不愉快さを感じるし、欺瞞というものを感じてしまう。
はじめの課題に立ち返って無理矢理国民の三大義務というものを懸命に思い出す努力をしてみると、納税は確定として、あとは勤労と勤勉かなぁ。(言うまでもなく国民の三大義務を知りたいという気はさらさらないので調べる気など一切無し。そんなくだらない事について調べる暇があったら光点ずらしについて調べていた方が遙かに良い。)
という事で、たとえば国民の三大義務というものが「納税、勤労、勤勉」であったと仮定(用語的には労働/教育だろう)しても、やはり不健全だなあ。「銭や、銭。なにはともあれ銭よこせ」「働けこら。くーっけっけっけ」「ぼうやー。いいかーい、よーくお勉強しなよー(そして大きくなったらいっぱい働いていっぱい稼いでいっぱい銭よこすんだぜ、けーっけっけっけ)。」って、日本ってドラゴンクエスト5の悪役的国家なんだなあ。小物臭ここに極まれり。
実際の所「ただしい国民の三大義務」なんてのは存在しないのじゃないか。人間が当たり前のようにころんと生まれて当たり前のようにころんと死んでゆける場所としての、あるべき理想の国家が真に成り立ったならば、そこに義務なんて言葉は不要だろう。
今現在の日本という国が(即ち日本という国の国民の極一部の人達が自らの都合に基づいて)国民に対して一方的に押しつけている「国民の三大義務」は、国民の為に作られ、国民の為に存在しているのではなく、国家の為に作られ、国家の為に存在している、としか感じられないくだらないもので、嫌な気分だ。
たとえば「一日三食残さず食べる」「泣きそうな時はとりあえず笑え」「愛のあるセックス」とかのドラゴンクエスト2の悪役的な三大義務を国民に押しつけようと企む国家の方が遙かにマシな気がするなあ。さもなくば死を!みたいな感じでいきなりシドーが出てくんの。僕なんて命が幾つあっても足りない。ドラゴンクエスト2の悪役に対する認識が間違っている的な突っ込み所はさておき。