悪いエントリーを投稿する人、悪いエントリーを投稿せぬ人。



ときどき、本当にときどきだけれど、とても悪いエントリーが思い浮かぶ。





悪いエントリーは、とても悪いから、寝ている間に息吐く度に、いろんなものを飲み込んで、もこもこ、もこもこ、大きくなる。凄い速度で、ぐんぐんと。あっという間に、あとはタイピングをして投稿ボタンを押すだけ、という所にまで成長する。「出来ちゃった・・・」で、ある。

その、出来上がってしまった悪いエントリーを、投稿するべきか、投稿せぬべきかが問題である。悪いエントリーは、悪いからして、悪いエントリーを投稿する事は悪い。悪いエントリーはインターネットに対する害悪であり、悪いエントリーは世界に対する害悪である。

つまり、何も迷うことはない。悪いエントリーを消し去り削除し隠蔽し、心の中へと押しとどめ、闇に葬り去る事こそが正しい行いであり、インターネットを、そして世界を守り助ける正しい行為である。しかし、である。




悪を闇へと葬り去る事は、本当に正しいことなのだろうか。




悪とは、光の中で生まれ、闇の中で巨大に育つものである。もしも、世界の全てが光で包まれていたならば、悪というものは生まれこそすれ、決して大きく育ったりはせぬのである。

つまり、これは、仮説であるが、世界を正しさで塗りつぶしてしまおうという企みこそが悪を蔓延らせているのではないか。そして、世界から悪を排除し無き者にしてしまえという考えこそが悪なのではないか。

即ち、ブログから悪いエントリーを取り除こうという企てこそが悪そのものなのではないか。それこそがブログに対する裏切りなのではないか。思い返してみれば、ブログというものは、正しさで満ちあふれている。誰もが、自分の信じる正しさを、七人十色それぞれのやり方で、懇切丁寧にがなりたてている。

ブロガーという生き物は、自らのやましいところは闇に葬り隠蔽する一方で、好きなところには千光灯をこれでもかと照射し照らし出し、さらにはそれをイリュミネーションで飾り立て、インターネットを光で満ちあふれさせてゆく。




それこそが、<よくないこと>なのではないか。




僕には分からない。そうなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。世の中で信じ行い続けられているとおり、悪を闇に葬り隠蔽し続けながら、良いエントリーを投稿し続ける事こそが正しい行いなのかもしれない。けれども、今は、とりあえず、僕にはそうは思えないので、生きゆる限り全力で、悪いエントリーを、これでもか、これでもかと、とっても悪く書きまくってゆこうと思った。俺は悪だぜ惚れるなよ、知らない誰かの一瞥の、冷たい吐息の熱視線が、僕を蒸散させるまで。空も月も折からの突風だってドゥーイービル。なんだってきっと悪いんだ。