愛は血肉に返る。



「ここは、悲しむところなんだろう」と理解できるところで悲しくなるのは、思考と感情の一致なんだろうか。それとも、思考と感情の不一致なんだろうか。

悲しむところで悲しくなるのは、一見すると正しいことのように思える。けれども、ほんとうに悲しいときは、「ここは、悲しむところなんだろう」なんてことを思ったりはしないんじゃないかな、と思う。そんな余裕すらなくて、どうして悲しいのかわからないけれど、とにかく悲しい。ほんとうの悲しみというものは、そういうものなんだと思う。

これまで、誰にも増して、平坦な人生を歩んできた僕だけれど、怒りのようなもので、一人震えが止まらなくなったこともあれば、悲しみのようなもので、一人涙が止まらなくなったこともあった。そんなふうにして、図体ばかり大きくなった。あの怒りはどこへ行っちゃったんだろう。あの悲しみは今どこにあるんだろう。

インターネットの向こうでは毎日何かが生まれ、何かが花開いてゆく。一日、一日と、過ぎる度に、僕は重要ではなくなっていく。自らについて考える時、こんな僕にだって、誰かに心から愛されていた頃があったのではないだろうか、という疑念こそがもっともやっかいで、もっとも手強い。もう誰も、僕のことなんて覚えていない。だって僕自身ですらそうなんだから。

眠れなくて、眠れなくて、血管が甲羅のようになって横になってみるのだけれど、5分と持たず、糸の切れたマリオネットのように飛び起きては、PCの電源を入れようとする自分を、必死になって押さえつける。インターネットには何もないから。

みんな血肉になっていくんだ。この夜の虚しさも。そうやって、怒りも、悲しみも、寂しさも、思いすらも、感じなくなる。でも、消えたわけじゃない。全部血肉になるんだ。僕を形作るんだ。悪いように、悪いように。