2007年12月3日月曜日

コメントを書くのはブログを書くよりも難しい。



ここしばらくの期間で5つほどコメントを書いてみて、コメントを書くというのはブログを書くよりも遙かに難しいという事に気がついてしまった。




僕の書くコメントは、本当に最悪である。まず何が駄目かというと、とにかく物凄く偉そうなのだ。まったくもって理解が不可能なくらいに上から目線なのだ。人としてもう駄目である。

方々のブログのコメント欄を読んで「なんでこのコメンテーターはこんなに偉そうなんだ」と思うことが頻繁にあるのだけれど、それに負けず劣らず、いや、それらを遙かに上回る勢いで僕の書いたコメントは滅茶苦茶偉そうなのである。なんでだ。いったいぜんたいどうしてだ。

自分としては物凄く気を遣って書き手に敬意を込めて書いているつもりなのに、暴虐無尽といった感じで凄まじいまでの傲慢知己なコメントになってしまっている。なんでだ。いったいどうすればいいんだ。ネカマでも演じればいいのか。

しかも、コメント欄というのはブログと違って修正不可能なので、「語尾を丸くしよう」とか思っても手遅れである。もうどうしようもない。はっきり言って、泣きそうである。これはおかしい、とか思っても手の施しようがない。最悪である。削除すらできない。地獄である。

それから考えれば、ブログというのはぬるま湯である。色々と気を遣う事こそあれど、コメント欄と比較すればずっと気が楽である。それなりにではあるけれど、結構気兼ねなく書ける。その側面だけを捉えて見れば、ブログというものはコメンテーターの墓場なのかな、とも思ったりする。とすればブロガーの墓場はTwitterなのだろう。Twittererの墓場は俺の胸の中だ。美少女限定で何時でも抱いてやるぜ明らかに、話が逸れた。










コメントを幾つか立て続けに書いてみて感じた事まとめ。


1,コメントには「話を聞いてくれる人」が保障されている。

ブログには「話を聞いてくれる人」が保障されていない。たとえば僕が今ここでインディ500について語ったとしよう。その「インディ500の話を聞いてくれる人」というのは全く保障されない。

一方で、「インディ500の話をしているブログにコメントを付けた場合」は、「話を聞いてくれる人」が保障されるのである。もちろん、その保障される「話を聞いてくれる人」というのは、他でもないブロガーの事である。

つまり、コメントには最低読者保障とでも言うべき、保障が付いている。しかも、保障される読者(=ブロガー)がどのような人物であるかの情報も豊富である。一方でブログにはその保障が無い上に、読者が何者であるかもわからない。

この最低読者保障というものが、「話をする」という意味でのコメント、ブログにとって、非常に大きい事に気がついた。マイナーな単語ではてなキーワードを嬉しがって作る人の理由が初めて分かった。彼らは「読者保障」つまりその単語を理解出来る読者が保障される世界、を求めていたのだ。

しかし、よくよく思い返してみたらブロガーとしては「僕に読ませたいだけのコメント」を量産するコメンテーターどもにぶち切れまくってきたのは何だったんだ、的なあれがあるけれど、そこは「メールアドレスもトラックバック欄も無かったのでコメントするしかありませんでした」的な言い訳でやり過ごそうと思う。




2,コメントを書きたくなるのは、完成度が高いエントリー。

完成度が高い、という表現が正しいかどうかは微妙だけれど、コメントを思わず付けたくなってしまうエントリーというのは、「非の撃ちようがない」に限りなく近い、けれども、非の撃ちようがあるエントリー。そのような、完成度の高いエントリーに対して一点だけ指摘することにより、一点の非だけを指し示して「完成度の高いブログ本文を上回るコメントを書いた自分」という構図を作り出す事が出来る。1タイピング辺りの満悦度が非常に高い。




3,コメントというのはマーキングである。

コメントというのは、欲望の具現化した姿である。欲望、という単語は「嫉妬」で置き換える事も決して不可能ではないのだけれど、欲望と書いた方が適当であると思うので、ここでは欲望とする。

コメントというのは、「サイン」である。
「マーキング」と言い換えても良い。

つまり、コメントとは、人の書いた作品に対して、勝手にサインを書き入れる事である。絵画で言い換えれば、モネやシャガールの絵に自分の名前を書き入れるようなものであるし、フットボールで言い換えれば「セスクはわしが育てた」みたいなものである。

「釣りですかwww」みたいな糞コメントを目にする機会が少なくないのは、本当はその釣りとされるブログを自らで書いて世間の注目を集めたり、アフィリエイトでがっぽがっぽしたかったのに、その欲望を果たせなかったので、その悔しさをかみ殺しながら、せめてもと、彼らは懸命にサインを書き入れ続けるのである。





4,コメントを書くのはブログを書くよりも簡単。

コメントというのは、尻馬に乗っかって、好き勝手に、言いたいことだけを言えばよい。「あらすじ」はブログの本文が担当してくれるので、「あらすじ」を考えて書く必要は全くない。文章の構文を考えて作り上げる手間が完全に省ける。おいしいところどりに「俺が勝手に思う事」だけを書けばよい。労力的には十分の一から一万分の一である。