一番いいもの、ではないものを。



一番いいセダン、一番いい味噌、一番いい顔、一番いい絵。
世界は果てなく広いけれども、一番いい物は必ずどこかに存在します。

そして、僕らは一番いいものとは無縁の世界で生まれ、一番いいものとは無縁のままで死んで行きます。一番いいものではない、出来損ないのようなものものに囲まれて。

どんな些細なことにでも、プライドを抱くように出来てしまっている悲しい生き物である私達は、「そんなものに一番なんてないよ」とその事実を否定し、自らの手に入れたものを神格化します。けれども、まことに、残念なことに、一番いい物はどこかに必ずあるのです。ただし、ゲームにパテントはありません。

「もっとよいものを」と思う心は果てしなく、人は何かにつけて妥協することを拒みます。もっとよいものを、もっとよいものをと、現状に満足しそれを誇りながらも、同時に、心のどこかで、もっとよいものを探し求めてしまうのです。それは世間では「向上心」とか「あくなき探求心」なんて風に、とてもいい心の動きであるとされています。

けれども、私達にはちょっと無理です。一番いいアサリの酒蒸しなんて食べれませんし、一番いい忘年会のセッティングなんて出来ません。一番いい文章なんて書けませんし、一番いい愛なんて注げません。一番いい物ではない者を繋ぎ紡いで行くその中で、それこそまさにぐだぐだに、生きるを続けて行くのです。たった1つの例外もなく。

必要なものは、妥協です。一番いいものではないものを、認め受け入れる妥協心です。一番いいものではないものだって、素晴らしいには違わぬのです。ですから僕は妥協して、一番いいものではないものを、一切の妥協無く書き続けようと思うのです。