2008年1月10日木曜日

ブログを書きたくない。とても。



ブログを書きたくない。ブログを書くのが、嫌で、嫌で、仕方がない。ハ行に濁点がついているというだけで、吐き気と無気力で金メッキされた嫌悪感に襲われる。テキストエディタのアイコンを、ランチャの上で見るだけで、つかみ所のない憎悪が沸き立ち騒ぐ。

ブログを書きたくないのならば、ブログを書かなければいい、という解法は正しい。何にも増して正しい。けれどもその解法には問題がある。なぜならば、僕は、ブログが書きたいのである。ブログを書きたくて、書きたくて、仕方がないのである。他に何も無いのである。僕が望むことはただブログを書くことだけなのである。

ブログを書きたいのならば、ブログを書けばいい、という解法は正しい。何にも増して正しい。けれどもその解法には問題がある。なぜならば、僕は、前述の通り、ブログを書きたくないのである。ブログを書くのが嫌で、嫌で、仕方がないのである。




所謂ブログの何が一番嫌いかというと、誹謗中傷を好んで行うコメンテーターである。いや、そうではない。それを容認するブロガーであり、それを容認するブログという空間そのものである。容認する、などという言葉では生ぬるい。共存し、共栄し、無責任に都合良く依存する、と書いた方が正確である。言うまでもなく、腐っている。

他人を人間として扱わず、他のブロガーを人間として扱わず、コメンテーターを人間として扱わず、非人化し、馬鹿にし、罵り、切り捨て軽蔑侮蔑して、見下し罵り、未来だし罵り馬鹿にすること事で繋がり、盛り上がり、共有し、権威し、体現し、様態を無し、ただ己と、己の友々共だけが、正しい、人であるかのようにどこまでも振る舞う。それがブログである。

ブログで人をにやにやと笑みを浮かべながら悪く言って、コメンテーターどもを扇動し、自らの手を汚さずに、コメンテーターに誹謗中傷を成させる類の如何なるまでに多いことか。あるいはソーシャルブックマーカーに、あるいはブロガーに誹謗中傷を成させる類の如何なるまでに多いことか。絶えぬ事か。それがブログである。

そして、そういう人達が、一度自らへの誹謗中傷を目にすると、必死になって削除して回る。自分のブログのコメント欄が、他者を誹謗中傷するコメントで満たされる時は喜んで、楽しげに、もっとやれ、もっとやれ、としておきながら、一度自らへの誹謗中傷を目にすると必死になって削除して回る。統制して回る。検閲して回る。それがブログである。




実際の所、具体的に言うと、僕がブログを書くと、コメント欄で赤の他人を誹謗中傷する人間が謂われもなく表れる。それにうんざりしている。無論、逐一そういう連中が現れる度に、それらに対して、逐一、その間違いを指摘する、というやり方もあるだろう。より正確に言えば、それこそがブロガーとしての有るべき姿だろう。

けれども、残念なことに、僕にはそんな体力はない。ブロガーとしての体力はない。時間は山のようにあるけれど、精神にも、肉体にも、感情にも、運指にだって限界があり、それらは全て、極めて低い場所にある。

とすると、僕にはブログを書く資格、というものがない。万百万のブロガーと同じような、所謂ブログを書くことならば、出来ようが、ブログを書く資格はない。インターネットという、この寂しげに賑やかな場所は、人が人で居られぬものだけではなく、ブロガーがブロガーで居られぬものでもある。