2008年3月2日日曜日
愛故に。
久しぶりに昔好きだったブログを読んでいて、そのあまりの面白さに恍惚と卒倒の間を何度も何度も行き来しながら過去ログ全て読んでしまった。くらくら来てしまったのである。それにしても、面白いブログというのは面白い。納得がいかない。理不尽である。面白いブログというものは、どうしてあんなに面白いのだろうか。コメント欄が閉鎖されているからだろうか。十中八九そうだろう。妻も子もいるリア充だからだろうか。十中八九そうだろう。あるいはそれ以外の何かに起因するものなのだろうか。十中八九そうだろう。それとも、ブログというものに愛されているからなのだろうか。ああ、きっとそうに違いない。面白いブログが面白いのは、ブログというものに愛されているからなのだ。
まったくムカつくのである。腹立たしいのである。理不尽であり、納得いかないのである。両親に愛され、兄弟に愛され、友に愛され、初恋の人に愛され、身勝手な理由で初恋の人を捨てておきながら尚も憎まれる事なく愛され続け、挙げ句の果てに妻に愛され、子に愛され、同僚に愛され、部下にまで愛されている人間が、事もあろうかブログにまで愛されているという現実が、腹立たしくてならぬのだ。これが理不尽でなくて何であろうか。
世の中では、明確に、愛の寡占というものが生じているのである。それだけならばまだよい。それだけならば、愛など不要の長物とばかりに嫌悪と憎悪と徒党を組んで21世紀を生き抜ける。しかし、世の中で愛の寡占というものの上で胡座をかいて笑っておる連中は、世の中の愛という愛をもぎ取ってシーザーサラダの具にしてかっこむだけに収まらず、おまえらにはこれがお似合いだ、これで十分だろと、本来ならば取るに足らないはずの雑多な心労とか、真夜中にトタンを叩き続ける春の嵐とか、さらに迷惑な春とかを、いらないものを無理矢理に、押しつけてきやがるのである。
僕はそういった事が嫌いである。そういった事を行わない。くだらないものを人様に押しつける真似をしたくない。嫌がらせだけを生き甲斐にして生きたくなんか無いのである。つまり僕は閃いたのだ。開眼したのだ。得意気な妄想に取り憑かれて狂信的にブログの投稿ボタンを押し続ける行為は、道行く人の口元めがけテラノーバ入りのジャンクフードを投げつける行為に他ならないのだという事実に。だから世界をこよなく愛する僕はブログを更新する事を止める事にしたんだ。愛故に。