また、戻るで文章が飛んでしまった。
正確に書くと、タブを保護とタブをロックしていたにも関わらず、Gmailノーチフィアーが新着メールを知らせてきて、それを中クリックしたら、保護している上にロックまでしている現タブが上書きされてしまい、文章が飛んでしまった。どちらにしても、文章が飛んでしまった事だけは確かで、ひどく沈む。
文章を飛ばす度に感じるのだけれど、一度飛んでしまった文章を、再び書くという作業は、非常に困難である。さきほどまでそこにあった文章を再び書こうとしても、まったくにうまくいかない。ほとんど完璧なまでに頭の中で子細まで書き上がっていたエントリーですら、パーツとパーツが繋がらず、不自然で、いびつな、カタマリダマシイ的構造物ができあがってしまう。
書くというのは、文章という1つの未知へと、到達する道のりなのだろう。未知への飽くなき欲求なのである。一度それが既知のものとなってしまった時、もはや、人は二度と同じ路を同じ直向きさと情熱で辿ることなど出来ないのだろう。
得たものは、失われたもの。