後悔ばかりしている。



後悔ばかりしている。

『あの時こうしていれば』とか、『あんな事をしなければ』とか、そういう事ばかり考えている。あるいは『あの時こうなっていれば』とか、そういう風に、後悔ばかりしている。後悔しない日は、無い。




僕がどうして、そのように、後悔ばかりしているかというと、一生懸命に生きていないからである。必死になって、懸命に、自らの人生というものを歩んでいないからである。自分自身の人生というものに、誠実である事を、放棄してしまっているからである。自らに誠実であろうとする努力を、放棄してしまっているからである。

雨露を凌げる場所で、温呑と白米を喰らい、朝も夕も構わずに、インターネットばかりして、幸せに、心安らかに、過ごしているからである。満ち足りた人生を送っているからである。自分の部屋に、頑なに、引きこもって、まぬけに生きているからである。




引きこもりと、そうではない人との、最大の相違点は、物事を仕損じるか否かである。

普通の正常な人間は、日々の営みの中で、色々な事を仕損じる。彼らは、毎日、仕損じてばかりである。普通の正常な人間というものは、明けても、暮れても、失敗ばかりしているのである。毎日々々、飽きもせず、同じように仕損じては、『こうすればよかった』とか、『あんな事をしなければよかった』といった風に、反省ばかりしているのが、普通の正常な人間である。

その点において、僕は、普通でもあるし、正常でもある。人間であると言い張る自信はあまり無いけれど、自らを真っ裸にして、鉄格子の中に入れて、道行く人に見せて、「これは何だと思いますか?」と問えば、「人間でしょう。」とのアンサーが得られるだろう。十中八九おそらくは、そういう風に言われるだろう。

つまり、僕は普通であるし、正常でもある。
あまつさえ、人間ですらある。




ところが、僕は、まともではない。

何故まともではないかというと、後悔ばかりしているからである。後悔ばかりしている人間というのは、まともではない。正気の沙汰ではない。なぜ、僕が、毎日々々飽きもせず、後悔ばかりしているかというと、それは、僕がまともではないからである。引きこもっているからである。引きこもっていると、物事を仕損じるという事が、決して、無いからである。

寝坊をして、地下鉄に乗り遅れて、遅刻をする事もない。シャンプーを買い忘れて、石鹸で頭を洗う事も無い。肝心な情報を上司に伝え忘れて、大事な商談をわやにしてしまう事も無い。酒の席でついつい飲み過ぎて、言ってはいけない本当の事をつい、うっかりと、口にしてしまうこともない。ススキの葉で指を切ってしまう事もなければ、場違いなプレゼントの受け取りを拒まれる事も無い。引きこもっていると、物事を仕損じるという事が、決してないのである。




即ち、もしも、あなたが、物事を、決して仕損じたくないと、心より願うならば、そう思うならば、至急、ただちに、今すぐに、引きこもりになればよいのである。引きこもればよいのである。けれども、よしんばあなたが物事を、決して仕損じたくないと心より願ったとしても、決して、引きこもるべきではない。何故ならば、人間という生き物は、物事を仕損じるものだからである。

物事を仕損じて、それを修正し、環境に対応することで、太古の昔から2008の現代まで、長く生き延びて来た生物だからである。つまり、人間という生き物は、頭と血と心臓とだけで出来ているのではない。物事を仕損じる事までをも含めてが、人間なのである。

正常な人間から、物事を仕損じる機会を奪うと、正常な人間は、正常な人間ではなくなってしまう。それはもう、異常な人間である。まともな人間であるとは、決して言えない。




生き物とは怖ろしいもので、異常になって尚、正常でろうとする。物事を仕損じる事を恐れて引きこもったにも関わらず、物事を仕損じる事から逃げて引きこもったにも関わらず、物事を仕損じようとする。明けても、暮れても、途切れることなく、物事を仕損じようとする。物事を仕損じて、反省しようとする。物事を仕損じて、成長しようとする。物事を仕損じる事により、より正しく、より大きくなろうとする。




ところが、引きこもりというものには、物事を仕損じる機会が無い。そのような機会は、決して訪れない。引きこもっている限り、物事を仕損じる事など、万に一つも存在しない。にもかかわらず、人間という生き物の、類い希なる本能は、なんとしてでも物事を仕損じようとする。

すると、どうなるかというと、人間は、遠い昔にもう済んだ、過ぎ去った事ばかり思い出すようになる。今更顧みても、微塵の意義も無いような、過去の自分の行いを、思ったり、考えたり、挙げ句の果てに断罪し、尽き果てる事のない理不尽な反省を求めたりするようになる。

『あの時こうしていれば』とか、『あんな事をしなければ』とか、そういう事ばかり考えている。あるいは『あの時こうなっていれば』とか、そういう風に、盲目に、のうのうと後悔しながら生きている。仕損じてばかりである。