かつての僕は自らの人生について、誰よりも悲観的に考えていた。



かつての僕は自らの人生について、誰よりも悲観的に考えていた。

いつの日か自分は素敵な靴を履いて、素敵な歌を歌い、素敵なシャツを着て川沿いを二人、愉快な気分で歩いたりするものだろうと思っていた。テーブルに、トーストに、オレンジジュース、それに少しのヨーグルトに苺のジャム。利得関係の何もないような友人と、真鯛でビールを飲んでみたり。同じ部屋に座っているだけで幸せな気分になれるような人と夕暮れに花火を見に行ったり。自分もいつかはそんな風になってしまうのだろうと誰よりも、誰よりも怯えて生きていた。

そうなれば僕は完全に失われてしまう。僕の全てを覆い尽くしていた苦しみも、憎しみも、悲しさも、全て風化して溶けてしまう。働いて、帰宅して、いそいそとシャワーを浴びて、それから真新しい服を着て、歯を磨き、鏡を見てから出かけたりする。そんな日の自分は屈託のない笑顔で誰かを、偽りなしに褒めたりするのだろう。

そうなったらもはや、僕の息衝く場所は無い。薄れ、忘れられ、消えて行く。そんな風にして僕は失われてしまうのだと思っていた。どんなに悲しいときも、どんなに苦しいときも、どんなに辛くて眠れない時も、そんな風に思っていた。だからこそ、僕は自らの人生について、誰よりも悲観的に考えていた。

どんなに悲しい時にでも、いつかはこの悲しみですら和らぎ、薄れ、消えてしまうのだという、確信以上の予測から、目を逸らすことは出来なかった。どんなに苦しいときだって、この苦しみさえいつかは日々のささやかな、本当に些細な取るに足らない幸せによって打ち消されてしまうのだろうと、ずっと思っていた。

今、この瞬間に、自分が辛いという事よりも、その辛さがすぐに過去のものになり、過ぎ去ってしまうという事実の方が、僕には辛く、受け容れがたいものだった。風化して行く苦しさなんて皆、絵本の上の御伽噺みたいなもので、常に切実さを欠いていた。どうせこれも失われるんだろうと、僕は自分の将来を常に悲観していた。

けれども、それは杞憂だった。人生は僕が想像していたような、辛くて苦しいものではなかった。悲しみなんかとは無縁のものだった。何も恐れることなんてなかったのだ。心は色褪せて行くどころか、日増しに勢いを増して行く。記憶は風化してゆくどころか、1歩1歩現実に近づいて行く。思いは薄れるどころか、強く力強くなり、上を下への大騒ぎ。人生は弾む。躍動する。未来はこんなにも明るかった。強く。強く。僕は強く真っ直ぐに駆けて行く。何一つ弱くなったりはしない。全て日増しに強くなるばかりだ。