2008年10月7日火曜日

記事タイトルとか無いよ。



もうほんと糞。理不尽とかそういう次元の話ではない。胸くそ悪いとかそういうレベルの話でもない。ほんと糞ゴミとしか言いようがない。生きてきてブログ以上に理不尽な思いをしたことはない。と、はっきり言える。

僕が?信者読者の糞うざさというエントリーを一個前に書いて、それをhogsheadとかいう糞ゴミ粘着ストーカー野郎が、はてブで糞粘着。他人に嫌がらせをする事を生き甲斐とする、何よりもの楽しみとする、こういうhogsheadみたいな糞ゴミ野郎に、粘着されて、ストーカーされて、嫌がらせされ続けて、しかもこのhogsheadとかいう糞ゴミ粘着ストーカーは、俺が嫌がるのを見てニヤニヤしてクケケケとか言って笑っていやがるんだから、インターネットってどれだけゴミなんだろうな。

菜箸で目を付いてのたうち回って死ね、以上の表現を、俺は思い浮かばないんだが、はっきり言って、そんな表現では到底表しきれないくらい、不愉快な、気分にさせられて、ずっと震えが止まらんとか、怒りで眠れんとか、鎖骨の内側の筋肉が緊張しっぱなしで強張って凝るとか、そういう事象的には説明は出来るが、そういうのでは到底表しきれないくらい、不愉快な嫌がらせを受けて、思いをさせられて。

俺は基本的に、自分のブログにプライドとか持ってるし、エントリー一個に、6時間とか、12時間とか、普通に実働タイピング時間で、かけて書いた、大切なものだから、そういうブログを、自分の心というか、出来るだけ、汚したくないというか、大切にしていきたいと、基本的に泣き寝入りさせられる、わけだろ。

それで、俺が思い詰めて、もはやどうしようもない、粘着ストーカー嫌がらせ読者が糞うざい、という話は、さんざ書いてきているのに、こういうゴミ共は、人の嫌がることを楽しむ神経を持った人間共は(俺が、リアルでも、よく居た連中)、それが楽しみで仕方がない野郎どもは、ネットでも俺みたいなのを狙って嫌がらせをして来る。

それで俺が限界を臨界点を超えて(いや、もうとっくの昔に超えているんだが)、それでも僕は我慢に我慢を続けて、俺が我慢すれば、俺のブログを読んでくださっている、まともな読者(そんなものが果たして居ると仮定して)、に、嫌なもの(?)を、ブロガーとしての僕自身にとっても、「書きたくもないエントリー」を、即ち非常に不本意なエントリーを、投稿ボタンを押すのも、無念で、無念で、ならないようなエントリーを、読ませずにすむと、俺だけが我慢すれば、いいんだと、俺は基本的に、我慢、し続けてきたが、粘着嫌がらせストーカー野郎どもは、増長するばかりだから、それでも我慢してきたが、もう、無理だろう。

と、臨界点?精神的限界、を、超えて、そういう不愉快さで、眠れん、というか、まあ怒りでわなわな震えて眠れない事はよくあって、で、PC入れたら、その「視界から消えろ」と、書いているエントリーを、このhogeshaとかいう粘着嫌がらせ野郎は、ブックマークしているんだから、もう殺すしかないだろう、いや、殺すとか、そんなものでは、生ぬるすぎるから、殺すわけにも行かない、という、なんと書いたらその、理不尽な不愉快な、もう日本語で記述するのは、完全に不可能な、感情とか気持ちとかそういうのを超越した、絶対的な、怒り、的ななにかを、俺は一生かかえて、嫌がらせされて、どうやって生きていけば、いいんだ。

それでこういう粘着読者どもは、それを楽しんで慰み者として、コンテンツとして消費しやがってるんだから、なんというか、もう、自分の日本語力では表現不可能な、怒り、怒りというか、それ以上の、根源的な、殺意、殺意なんて生ぬるいものではなくて、もう、表現不可能。

この「hogshead」とかいう糞ゴミ粘着嫌がらせ野郎にしろ、「てきとう」とか「はた」とかにしろ、俺の文章などは、全く読んでいなくて、そのくせ粘着して嫌がらせして、それだけを楽しみにしてアクセスしてきやがるんだから、こういう不条理さに、まだ、俺は、リアルの方が、引きこもれる、とか、逃げ場がある、的な意味で、救いがある。が、インターネットは、こういう粘着どもから、逃れるすべがないから、どうしようもない。

もちろん、このブログは、なぜだかしらんが、2000くらいの、アクセスが、基本値?としてあって、休んでても更新したら、そのくらいあって、で、こういう、頭のおかしな、他人の嫌がることだけを楽しみとしているような連中は、僅か、たかが1%とか、あるいはそれ以下なんだから、俺は、そういう連中ではない人が、こんな俺のエントリーでも、一時の清涼剤というか、あめ玉というか、そういう的な、娯楽であっても、ポジティブに、プラス的なものであれば、消費してくださって、それで人生が豊かになるのであれば、俺だって、ブログ読者として、いろんな人から、そういう、一時の糧、みたいなものを、何度もいただいてきたから、そういう意味でも、自分に、今やれるのは、今だけじゃなくて、俺みたいな糞ゴミ人間が、誰かのお役に立てる、とすれば、それくらいしかないから、無い脳捻って、一日中唸って、6ヶ月とか、一年とか、構想して、イメージ作って、考えて、それで、12時間とか、3時間とか、テキストエディタの前に座って書いて、そういうものを、こういう、人の嫌がる事を、屁とも思わず楽しむ連中に、フィードバックされて、そういうフィードバックのみが俺の視界に入ってきて、別にブログに見返りをもとめているとか、プラス的な評価を返して欲しいとか、そういう過ぎたる望みはないが、(僕にとって、フィードバックは、不要だという話は、さんざん書いてきた)とおりだし、けれども、嫌がらせ粘着野郎どものみが、嫌がらせ粘着してくる、とか、もう、日本語ではなんと言うのかはしらんが、やってられん、とか、書いてられんとか、もうブログなど二度と書けんとか、そういうふうな表現、しか僕には出来ない。この心理状況を表現する、適切な表現というのが、存在しているのかどうかも怪しいが、少なくとも僕には思い浮かばん。

自分が、人生の、全て、一時ではあるけれど、人生の全てを、注ぎ込んで書いたものを、なぐさみものにされて、俺は、どうやって平常心、というか、人間の心というか、そういう、「まともさ」みたいなものを、維持できる?不可能だろ。自分が苦労すれば苦労するほど、悩めば悩むほど、必死になれば必死になるほど、こういう連中の、冒涜の材料にしかならない、という現実を、どうやって生き延びればいい?自分が半年とか、3ヶ月とか、その間、必死になって一生懸命、書き続けたエントリーを、一切読まずになぐさみものにして、勝間勝代の、アフィリエイトに使いやがったゴミ野郎とか、そういう連中、孫が生まれたら、必ず、虐殺しに行く、と心に誓う、以外の、どの対処方がある?粘着読者の、ゴミ共に粘着されて、愚弄されて、思い詰めて、怒り、というか、ネガティブな感情、みたいないらだちに、完全に心が埋め尽くされる中で、僕なりに、そんなものに、負けてはならない、と、必死になって、ブログを書くが、頭も心も回らないから、上手く書けなくて、悔しくて、悔しくて、そういう限界線を、100も200も超えて、やっとの事で、思っていることの、10%も書けていないような、不本意な、それでも、自分に出来る限りの努力は、全て尽くした、という、ぎりぎりの、可能な限りのものを、やっとのことで書いて、書いたら、それが即こういう粘着ストーカー嫌がらせ野郎どもの、なぐさみものとして、一夜の嫌がらせ材料として、利用されて、捨てられていく。

僕が怒れば怒るほど、こういう事を書く程、連中は、それを面白がって、笑いやがるんだから、俺は、泣き寝入りして、頑張るけれど、そうすればそうするほど、頑張れば頑張るほど、喜ぶのは、こういう嫌がらせ連中だけ。てきとうとか、はたとか、未だに、俺に粘着して、嫌がらせの、メールを延々送ってきていやがるわけだが。

そういう、嫌がらせの、粘着メールを送ってくる人は昔から1年に3~4人ほどいて、それで、人間の心、みたいな、まともな神経、みたいなものを、維持する、のは俺には無理だよ。僕はそういう、こういうhogeshadみたいな、人の嫌がらせをして、それを楽しみにしている連中に囲まれて、(もちろん現実的には1%だろうと、2000の1%なら、20人)に囲まれて、どうしろと?その中で必死にブログを書き続けて、うまく書けなくて、悩んで、嫌がらせ粘着読者どもに負けてはならないと、必死になって頑張って、それでどうなる?

頑張っても頑張りきれず、書こうとしても怒りばかりで震えて書けず、そうして、沈黙せざるを得ないような状況になって、沈黙を強いられて、まともな読者(仮にそんなものが存在していると仮定して)から見捨てられるんじゃないかとか、恐怖に怯えて、一ヶ月、とか、2週間とか、かけて、やっとのことでエントリーを書いたら、こういう粘着嫌がらせ野郎共が、よってたかって群がってくる。

書いている事を、一語も読みもせずに、自分の楽しみしか考えないような連中に、粘着されて、嫌がらせされて、それで俺が破壊されたら俺の負けなのか?このエントリーにしても、どうせ書いたらこのhogshadとかいう糞ゴミ粘着嫌がらせ野郎をはじめとして、俺に嫌がらせを、してきた連中だけが喜んで、「わーはんかくおこってやんの」とか、そういう風にだけ消費される。これが、日本語で言うと、なんというのかはわからんが、理不尽、というか不条理、というか、なんだ?

俺はブログを書き始めて2週間くらいで、こういう嫌がらせ粘着野郎どもの大量流入を受けて、嫌がらせ粘着野郎どもだけが、上積みされた、そういう神経の連中に居座られ続けて、14500コメント、くらいつけられたが、その中で、僕の神経を害さなかったコメントは、6だけ、という状況で、それを俺は必死に、コメントを読むのが、正しい姿、だと考えているから読み続けたが、何も得る者は無かった。消耗するばかりで、しかも、そいつらの大半は、俺がブログで「匿名でコメントする奴は糞」と書いているのを無視して匿名で「おもしろかったwww」とか「はんかくさんがんばって」とかそういう糞ゴミコメントを残していく連中だろ。

僕がブログで、「Aは糞」と書いているのに、それを完全に無視して「A」と書く事を、楽しんでやがる連中だろ。自分の、楽しみしか考えず、僕を利用して、なぐさみものにして、楽しんでやがるそういう連中だろ。そういうのばかりが視界に入って、フィードバックされて、どうしろと。

さっきは6と言ったが、そのうちの2つは、トラックバックが通りませんでしたというコメントだったので、実質4、だ。まあ、4というのは少し酷いと思うから、ニュートラル評価なコメントも含めれば、今ぱっと思い出したところで11コメントくらいになるが、14500ぶんの11しか、まともなフィードバックがない、世界に生きて、俺はよく、ここまで持ちこたえた、というか、持ちこたえる方が不可能だろ。いや、持ちこたえていなくて、何度もきれてきたが、こういう連中はきれればきれるほど、こういう事を書けば書く程喜ぶ、つまり虐めている相手が反応すれば反応するほどより粘着してくる、かまってちゃん、というか、そういう糞神経の連中だから、俺は度々反応しているが、その度に、より粘着されて、より負けた気分になって、「そんな書きたくもないエントリーをブログに書いてしまった」という敗北感に打ちひしがれて、俺の、書きたい、本当に書きたいエントリーは、タスクペーパーの上に埋め尽くされて、悔しくて悔しくて、もう、日本語では、不可能だ。

そうやって僕の中に、積み重なった、というか、こうして、長年にわたり、憎しみとか、離人感とか、他人に対する拒否反応、といった、そういうものだけが、粘着嫌がらせ野郎どもによって、純粋培養されて、俺の心には、他人を、嫌う気持ち、憎む気持ち、復讐心、そういった感情しか、もはや残っていない。それが、行動とか、心象とかを制約して、悪影響を与えて、僕の人生の、中から、ゆとりを全て奪って、心の中は、もうめちゃくちゃだ。ゴミ共は、必ず、復讐してやる。一人残らず、皆殺しにしてやる。じゃないなあ、そんな甘いもんですむはずがない。そんなあまいものですむはずがない。もうほんとに、もうなんというか、そういう僕が今感じていることの、一部分すら、いや、一部分の1%すら、日本語で書き表すことは、どだい不可能。ほんとうに、もう不可能。