ブログの読者を自称する、悦に入りたいだけの人達。



悦に入りたいが為だけに、他人に粘着する人達が世の中には大勢居る。たとえば、唐沢俊一に対する町山智浩などがそれである。あるいは、la_causette、痛いニュース、池田信夫 blogなどを購読している人間も、大方その種の人間であろう。

そういった、悦に入りたいだけの連中と、それ以外の人達を見分けるのは、至って簡単である。悦に入りたいだけの連中の、アウトプットを見ればよい。もしもその人が悦に入りたいだけの人達のお仲間であるならば、失望の表明、あるいは、失笑の表明、侮蔑の表明といった類の書き物が、すぐに見つかるだろう。

悦に入りたいだけの連中は、軽蔑や嘲笑、あるいは失望や失笑といった類の感情を抱きたいだけなのである。そして、それを他人に見せびらかしたいだけなのである。そうする事で、自らが、いかにも人間である事を、他者に表明したいだけなのである。

連中は、その為だけにインターネットを徘徊し、自らに対して「失望機会」あるいは「軽蔑機会」「説教機会」といった類の機会を与えてくれるブログを探し、見つけて、追いかけては執着し、読み続け、いかにも「わたくしはブログの熱心な読者です」とでも言いたげに、すました顔をしているのである。

しかし、連中の正体はあくまでも、軽蔑機会、説教機会、失笑機会、といった類のものを、どん欲に追い求めるだけのハンターである。ちょうどジョウログモが巣を張り巡らして、自らのテリトリーを形成し、じっと、じっと、獲物が巣網に掛かるのを待っているのと同じである。

そうして、連中は、失望やら、失笑やら、説教やら、といった類の機会が訪れるやいなや喜々として、「そら来た!」とでも言わんばかりに、その失望やら失笑やら説教やらをインターネットに垂れ流し、自らの人間性を保証しにかかるのである。つまり「わたしは正常な感情を持った人間です。ああ私って素晴らしい」とインターネット中に広く告知し、悦にいるのである。

そうして、その失笑やら失望やらをお仲間共と共有し、「ああ、あなたは人間ですねえ。」「いえいえ、あなたこそまことの人間ですことよ」といった具合に、お仲間共とよろしくやっておるのである。そうして、また別の人間に対して、粘着して追い回し、(彼らにとっては)人生を彩る素晴らしいコンテンツである、「軽蔑」だとか「嘲笑」「失望」だとかといった類の、発生しそうな場所に、網を掛けて待ち構えて、血眼になってブロガーを見張り、何らかの機会が生じるやいなや、「そら見たことか」などと得意げに、そして自慢げに、インターネットで自らの人間らしさを傲慢知己に垂れ流すのである。

インターネットという世界は、ブログ世界というワールドはそういった、悦に入りたいだけの連中の、複雑に絡み合った巣網によって出来ている。ブログという世界では、まっとうな人間が、まっとうな人間として、心から、自らに対して誠実に、人として心からで生きようとすると、そんな連中が隅々までも張り巡らした自己満悦の巣網の罠に絡め取られて、すぐに殺されてしまうのである。