2008年12月23日火曜日

僕のブログは誰が読んでいるの?僕は誰に向けて書いているの?



ブログに対する思いはある。情熱もある。今すぐに書きたいエントリーも、いつか書きたい事柄もある。幾つもある。ブログを書きたい、書きたい、と思っている。寝ても覚めても思っている。ブログの事ばかり考えている。けれども、僕は失ってしまった。ブログを書くという意志を失ってしまった。

僕はブログを読んで不幸になり、ブログを書いて不幸になった。「問題はブログではなく、それ以外の時間における己の身の振り方である」と言われれば、それまでだ。それまでだけれど、僕がブログを読んで不幸になったのは事実であるし、ブログを書いて不幸になったのも事実である。正確に書き表すならば、それは不幸せなどではなく、身の破滅である。それ以上に僕は、ブログを読むことで、あるいはブログを書く事で、幾人もの人を不幸せにしたのだと思う。いや、不幸せにした、などという生ぬるいものではなく、身の破滅に追いやったのだ。僕がブロガーにならなければ、傷つくことの無かった人を、身の破滅に追いやったのだ。

そういう事実だけが刻まれたこの場所で僕は一体、何を書けばいい?今更、何を書けばいい?もちろん、書きたいことはある。いっぱいある。ずっと書き続けてきて、投稿したい、投稿したい、と思い続けてきた事柄もある。それでも、それらは、投稿するに値する事なんだろうか?書けば、書くだけ、また誰かを破滅に追いやるのではないか。

確かなことは、僕が、こうして、悪戦苦闘して、ブログを書き続けてきて、幸せになった人はただの1人も存在しないという事だ。僕がブログを書いて、書き続けてきて、喜ぶ人は1人も存在しないという事だ。たとえば喜ぶ人が、あるいは幸せになる人が存在しているとすれば、それは僕の身の破滅を喜ぶ人であり、僕の身の破滅に幸福感を覚える人だけだ。

ちょうど一年ほど前に、僕は「わたくしの打鍵の1つ1つが見知らぬ誰かの未来の礎となるべくそれを願って書き続けている。」と書いたが、あんなものは嘘だった。僕の打鍵などは、決して誰かの未来の礎になったりはしないし、僕のブログはそうまでして読む価値など無い。僕のブログは糞だ。5年もかけて、遂に、それが証明されたのだ。僕のブログは読むに値しない。それが証明されたのだ。僕のブログは何人をも幸せにしない。何人の未来にもならない。僕のブログは、僕がかつて「その為だけに生きていた」と言い切れるだけの、ドラクエ6のようなものではなかったのだ。糞だったのだ。取り立てて読む程の価値もない糞ブログだったのだ。

R30とかいう人が
>今後は知り合いでもない方々に自分の論考を
>タダでは提供しないことに決めたので、あしからず
とか書いていたが、では、そうであるとしたら僕はどこへ行けばいい?知り合いなんていないよ。論考なんてないよ。かつてここにあったのは僕の全てだ。そして、知り合いなんて1人もいない。僕はどこへ行けばいい?どうすればいい?こんなくだらない場所で、こんな忌々しい場所で、何かを書き、何かを記す事になんの意味がある?どうせこれまでもそうであったように、僕が悩み、苦しみ、意気込んで、猛烈に書けば書く程に、どこかで誰かが破滅するんだろう?僕自身にしたって、似たようなものなんだろう。ブログなんて書き始めるんじゃなかった。ブログなんて読むんじゃなかった。だがもうしかし手遅れだ。せめてもう少しブログが上手く書けたなら。もっと頑張ってブログを書いていたらば。ブログを書き続ける苦しさに背を向けて逃げ出したりしていなければ。踏みとどまって頑張っていれば。