2009年2月15日日曜日

スパムメールだけが僕を人間扱いしてくれる。



俺のメールアドレスには粘着からの嫌がらせメールしか来ない。これだけブログを書いていないにも関わらず自己満足オナニーの糞メールだけは送られてくる。糸鋸の弓の部分を右目の下から左目の下へ通して取っ手をつかみ世界中をローマまで引きずり回しても気が治まらない胸くそ悪さが一生涯続く。そういった胸くその悪さ精神衛生の悪化をブログに書けば、僕の全てであり僕そのものであるブログまでもが胸くその悪いものになってしまう。それだけは避けたい、避けたい、と思って我慢するのも一つの手ではあろう。けれども、そうして避け続ければ、いや逃げ続ければ、僕のものであったはずの僕のブログは僕から乖離して行く。それがまた胸くそ悪い。それにしてもこの胸くその悪さはどうにもならん。プラスチック製のバットで150時間くらい殴られ続けて死ねと思うが、連中は殺しても死なずのうのうと生き続ける。俺の精神だけが破壊されことあるごとに思い出されては最悪な気分にさせてくれる。無駄に執念深い僕の事だから一生涯である。ああ、ブログは糞だと思うがブログが糞なわけではない。そういう人達が糞なだけだ。だが、そういう人達とそうではない人達の境界線はどこにある?14000のブログのコメントは大方そういう人達のコメントだろう。なんとかして連中を出来る限り凄惨な形で皆殺しには出来んだろうかと考えるが、僕は常に無力だ。せめてメールを送ってくるような連中だけでも殺せんか、とは思うがそれすらも叶わぬ。それに5人殺せば10人、10人殺せば1000人というように何を持っても先へ先へと行くだけで、胸くそ悪さは決して収まらず悪化するばかりだろう。何よりも僕はそんなことを望んではいない。欲してはいない。よくいじめられていた人間などに「見返してやりたいとは思わないのか」とか「悔しいとは思わないのか」などと発破を掛ける連中が居るが、あの理不尽さは筆舌に尽くしがたい。見返したいとも悔しいとも思わぬし、(自らが何かを成す事により)見下したいわけでも軽蔑し嘲笑いたいわけでもない。ただ安らかに生きたかった。安らかに生きたかった。「安らかに生きたかったけれど、それが叶わなかったので見返してやりたいです。」だとか、「安らかに生きたかったけれど、それが叶わなかったので幸せに生きたいです。」などと思う人間が居るとすれば、そいつは馬鹿か脳みそが悪い。せいぜい、ああ虐殺したいなあ、くらいの事しか思わぬ。Gmailの画面でなんとかして殺せんか、なんとかして殺せんか、と思ってみるも、なんとかしても殺せんだろうという事実は僕の精神を蝕むばかりだし、他の胸くそ悪い記憶を芋づる式に引き摺り出すばかりで、僕の人生の貴重な一日は解読不能な気分の悪さで埋め尽くされて消えて行く。今ではGmail notifierが新着表示を告げてくるだけで(数字でたとえるならば)7000兆5000億くらい胸くそ悪くなる。その新着メールがスパムフィルタを突き抜けて届いたスパムメールであった時だけは少し自分が人間であったかのような錯覚を覚えるが、7000兆5000億の前では焼け石に水だ。