生ぬるさに安住する自分に、大変な憤りを感じる。腹が立つ。カリカリしている。ピキピキ来ている。その怒りはごもっともである。お怒りになられるのは当たり前である。怒って当然の体である。けれども、その怒りが、具体的に何に向けられているのかを、あまり考えずに生きてきた。毎日毎日不機嫌に、プンスカ怒ってカッカしてはいたものの、何に怒っているのかについて、考える事から逃げてきた。いや、別に逃げてきたわけではない。怒りが先に立ってしまい、考える事すら出来なかったのである。頭に来て、頭に来て、冷静さ完全に失っていたのである。
これではいけない。
これではいけない。
この怒りが、一体、何に向けられた怒りなのかを、少し座って考えてみた。
そうして出た答えが、「生ぬるさに安住する自分に対する怒り」である。
そして、その「生ぬるさ」の正体が、「自分に失望すること」だと分かり、
少し座って考えて良かったと、少なからぬ満足を得た。けれど怒りは収まらない。
自分自身に失望することに安住する自分。
これが腹を立てずに居られるだろうか。
少し前の僕であったならば、自らに対する失望などに、安住したりはしなかっただろう。少しでも自らに失望したならば、その失望から逃げださんと、必死に藻掻き、必死に足掻き、懸命に何かをたぐり寄せようと、淵に潜む巨大な水棲妖怪の如き得体の知れぬ前進をしただろう。それが今では完全に失われ、自分自身に対する失望の中に安住し、その生ぬるさの中で一日の安息を得て、1つ自らに失望しては、「ああ、私の人生はこのようなものなのです。」とまるで開き直り、失望し、安住し、ぬくぬくとどの面下げて暮らし、その上でカリカリ怒っては、不機嫌に口を結び、腹が減ったと飯を食い、眠くなったと眠る、憎い憎い、ひたすらに憎いこのような生活を繰り返しているのである。安住を、自分を、失望を、それら全てを捨て去り、未練を断ち切り、プライドをかなぐり捨てて、自動ドアを突き破る盲目の猪のように、湖に突き刺さるブガッティヴェロンのように、何も守らず、何も保持せず、私利私欲全ての打算を捨ててただ走れ。走れ。