晴れやか。

何を望んでいるのか。
何を夢見ているのか。
もう随分と分からない。




何かを望んでいたことは確かだし、何かを夢見ていたことも確かだ。それらが失われたという実感から、何も望んでいないし、何も夢見ていないのだと、自らを洗脳することも、あるいは可能かもしれない。強い信念さえあれば、成し遂げられるかもしれない。けれども、それでも僕は何かを望んでいるし、何かを夢見ている。それらの夢と希望は、僕の意志とは反するものだ。水と油。そんなもの、望んでいないのにそんなものを望み、そんなもの、夢見ていないのにそんなものを夢見る。何かが僕を洗脳し、何かが僕を誤らせ、何かが僕を動かしている。宇宙の意志か、八チャンネルのマスゴミか、姿の見えぬ暗黒卿か。

夢を信じろと夢は言う。夢を諦めるなと夢は言う。理由は簡単だ。保身のためだ。夢は自らを守る為、夢であり続ける為にそのような主張を繰り返す。俺を守れ、俺を愛せ、俺を一生追い続けろ。おまえの人生を俺に捧げろ。努力は夢を裏切らないが、夢は人を裏切る。世界がうらやむ先進国の、水と平和が無料の国で、介護福祉士になるという、得体の知れない夢を追う、みすぼらしい後進国の年老いた若い女が、がっくりと肩を落とす外国女のすぐ横で、涙を流して喜んでいた。夢が叶ったのだという。介護福祉士になれたのだという。これが私の夢だという。

夢はどこへ行ってしまったのか。希望はいつ失われたのか。夢も希望も無い国の、夢も希望も無い若者から、不逞の輩の外国人が、夢や希望を奪い去る。それを見てなんと言うべきなのか。おじょうさん、そんなものは、夢でも、希望でも、ありゃあしませんよ。おじょうさんは、わるいやつらに、都合良く利用されているだけなんです。だまされちゃあいけません。そんなものは、夢でも、希望でも、ありゃあしませんよ。居るんだよ。そういう人が。自らの価値基準を押しつけようと、上から目線で冷やかす人が。

行かねばならぬ、急がねばならぬ、そうやって自分に追い立てられても、地球は小さく、地球は丸い。三歩歩けば同じ場所。目が覚めて僅か40分で、ぼんやりと眠たさが降りてくる。環境が悪い。ここは向いてない。起きるべき街はここではない。起きるべき国はここではない。目覚めるべきは他の星だ。俺には相応しい場所がある。活躍出来る場所がある。赤城、加賀、比叡、霧島、蒼龍、飛龍、瑞鶴、翔鶴。6隻の航空母艦と2隻の戦艦、4隻の巡洋艦と13艘の駆逐艦を率いて太平洋を東進する南雲忠一に下された指令は、新高山を登れであった。南雲は駆逐艦秋雲に乗り換え、基隆で降りて列車に乗って、南にある高い山を目指した。首席で降りた海軍学校の兵法も、皇国を守る機動部隊も、登山の役には立たなかった。南雲はそれでも懸命に登り、消耗し疲れ果てた新高山の山頂で、希望は失われ夢は破れた。