TOEIC950点のクックパッド株式会社の山下さんが、僕だけにこっそり教えてくれた、願いが叶う秘密の勉強法。

山下大介の第一印象は"能無し"であった。取り柄が無く、向上心が無く、そしてまた意志も無い。どの業界のどんな場所にも、一定の割合で何かの間違いとして紛れ込んでくる厄介者こそが山下であり、我が国の生産性がギリシャよりも、フィリピンよりも、ブルキナファソよりも低い理由を体現する存在であった。山下のような人間を、我が国の労働市場から排除し、僻地に隔離し、幽閉する事が叶えば、我が国の経済は活力を取り戻し、世を覆う閉塞感は一掃され、人々に笑顔が戻り、人災と天災を乗り越え、日出ずる国は再び日出ずる国として世界の大国となるであろう。その栄光への架け橋を妨げているのが山下であった。

一度、山下を問い糾した事がある。おまえは、なぜそのように無能なのか。ろくに仕事も出来ず、いたずらに人の足を引っ張り、へらへらと笑ってばかり居る。それでいて上司に取り入り、ご機嫌を伺い、おべんちゃらを言い、ただそれだけの行為によって禄を食んでいる。おまえには、向上心というものが無いのか。恥という概念が無いのか。いや、単直に言おう。辞めたらどうなんだ。おまえのような能無しは、我が社には必要無い。

すると山下は奇妙な話を始めた。僕の見立てによると、山下は完全に頭がいかれていた。信長が本能寺で討たれるよりも少し前、シチリアにピエトロという名の王が居た。ピエトロは東ローマの皇帝と通じ、帝国の版図を回復していった。ピエトロは現代の地図ならば6ヶ国にも跨る広大な土地を治め、大王を名乗った。大王に立ちはだかったのが、末弟のジャコモという男だった。ジャコモは能無しであった。大王と同じ血を持ちながら、大王とは対象的な人物であった。取り柄が無く、向上心が無く、そしてまた意志も無い、暗愚を体現する人だった。優れた人物を次から次へと歴史の舞台に送り出す、どんな家柄のどんな名家にも、一定の割合で何かの間違いとして生まれてくる厄介者。それが、ジャコモであった。ジャコモは能力主義の世界であればピエトロの手に渡るべきであった小さな領土を継承し、王として君臨し、領民に重税を課して搾り取り、そうして得た資金を全て、錬金術に費やした。ジャコモは錬金術で、望む物全てを手に入れた。錬金術で作りだした巨躯の従順な衛兵に錬金術で造りだした石をも砕く剣を持たせ、錬金術で作りだした不死身の馬に乗せ、錬金術で築き上げた黄金の巨城を守らせた。城の上には錬金術で生み出された太陽が一年中煌々と輝き領土を照らし、夜になれば錬金術で造りだされた暗闇がその日光を遮った。畑の表土が乾いて土に亀裂が入るや否や、上空に黒雲が巻き起こり、大地を雨で潤した。それら全ての奇跡を巻き起こしたのが、リュルという男だった。

リュルという人物は、何の取り柄もない男であった。その歳になるまで一度として定職についた事がなく、馬にも乗れず、星図も読めず、武器も持てず、楽器も出来ず、算術も解らず、また、畑を耕した事もなく、学問を修めた経験も無かった。しかし、リュルには1つの才能があった。虚言の才能である。リュルは天性の虚言家であった。神より賜ったその才能により、リュルはタダ飯を喰らい、雨露を凌ぎ、白いベッドで眠り、煌びやかな服を纏い、左後ろ足に黒い斑点のある真っ白な白い白馬を引いて、王国へと辿り着き、ジャコモの前に現れた。錬金術士を名乗る男は、錬金術で生み出した真っ白な馬を献上すると、その4日後には宰相の地位に付いた。次の日の午後には予定の通り、錬金術で創り出された黄金の太陽が城の真上に輝くはずであった。しかし、太陽が輝くより前に、1通の知らせが舞い込んだ。大王挙兵の知らせである。

ジャコモは狼狽し、宰相を頼った。宰相は錬金術の困難さについて語り始めた。錬金術とは、一朝一夕になるものではない。2000人の巨躯で従順な衛兵を錬金術で創り出し、錬金術の一角獣に乗せ、錬金術の白銀の槍を持たせれば、大王の軍を打ち破り、ピエトロの首級もあげられるだろう。「けれども・・・」と、リュルは言葉を続けた。それだけの兵を錬金術で生み出す為には、膨大な時間が必要だと説いた。その言葉を聞いて、王ジャコモはさらに狼狽した。一代にして広大な版図を築き上げた偉大な兄には、教皇の支持があり、皇帝の支援があった。ボヘミアは大王に武器を送り、ヴェネチアは大王に船を送った。王に時間の余裕は無かった。大王の軍は北風よりも速く進軍し、立ちはだかる無数の王公を討ち取り、あるいは併呑し、十万にまで膨れあがり、ジャコモの領土へと迫っていた。

王の死は、確実だった。大王に捕らえられ、晒され、領民を痛めつけ大王に刃向かった悪人として、首を刎ねられる。それは、不可避だった。王は自らの死を悟った。自らの死に際し、王は全てを諦めた。まずはじめに、その日の午後の日暮れ時に、頭上に輝くはずだった黄金の太陽を諦めた。かつて欲した太陽を諦め、ただ自らの命だけを望んだ。大王が時間の浪費を恐れて歴史に名を残したのと同じ強さで、王は死を恐れて夢を捨てた。太陽を、雨雲を、漆黒の闇を、リュルが錬金術で成し遂げるはずであった全てを諦めた。それはもはや諦めなどという話ではなく、投棄であった。全力の投棄であった。死の恐怖で取り乱した王は、手当たり次第に投げられるものを投げ捨てはじめた。巨躯の従順な衛兵が投げ捨てられ大理石の柱に頭をぶつけて不明な言葉を発しながら、子羊の頭蓋骨と、ひよこ豆の胚乳と、ピレネーの熊の干した腎臓で撚られた縄とに分かれて落ちた。向こう側が透けて見える半透明の空飛ぶ一角獣は首根っこを掴まれて、傷のない一枚のエメラルドで造られた窓硝子を突き破って落ち、つい先ほどまでは丸々と太った子豚であった、腹を空かせた野犬に喰われた。黄金の城の黄金の城壁を支える二抱えはあろうかというダイアモンドの基礎石も無価なく捨てられ、空腹に喘ぐ領民が手を泥だらけにしてかき集めた細長い陸生の巻き貝の抜け殻と鶏糞を混ぜ合わせた悪臭を放つ泥へと戻ってしまった。王の願いは、命であった。ただ自らの、生存であった。全てを諦め、宰相に縋った。王が頼れるものは、世界最高の錬金術士である、宰相だけだった。そして宰相が頼れるものは、自らの才能だけだった。

その晩、宰相は神を見た。十字架にかけられたイエスキリストの姿を見た。リュルはきらびやかな服に着替え、なめし革の包みを持ち、真っ白な馬を外木に繋ぎ、夜が明けるよりも早く、王に会った。リュルは言った。王よ、私は神を見た。死の恐怖で狼狽えた王の戸惑う瞳に、一筋の光が宿った。神が王国を救うために降臨なされたのだと思ったのである。しかし、神は無情であった。

神はリュルに仕事を課して、王から宰相を奪ってしまった。アラビアに渡り、サラセン人に神を説き、福音宣教を行えと、神は宰相に命じたのである。かくしてリュルは僅か5日にして宰相を辞し、王の元を去った。狼狽した王はリュルにしがみついた。宰相よ、おまえだけが頼りなのだ。おまえなくしては大王に勝てぬ。我が王国は、滅びてしまう。鼻水に涙を混ぜながらしがみつく王に、リュルは錬金術の秘法を授けた。それは、リュルが270年もの時間をかけて編み出した、錬金術の究極の秘法であった。リュルはその秘法の力によって、永遠の命を得たのである。王よ、この秘法さえあれば、大王の軍など恐るに足らぬ。私とて、この秘法を他人に教えるつもりなど無かった。誰にも教える事なく、自らの為に秘法を用い、王の元で働き、王に奉仕し続けるつもりだった。しかし、神は言う。アラビアに渡れと言う。サラセン人に説けと言う。宣教を行えと言う。王への忠誠を持ってしても、神には抗えぬ。故に、私は行く。王の元を去る。ただし、秘法を残す。私の全てを残すのだ。王よ、大王を恐れるなかれ。

そう言って、リュルは王に秘法を授けた。リュルの錬金術で導き出された真理によると、人が目を覚ましてからの700秒の間に、たったの1秒だけ、全ての願いが叶う瞬間がある。その1秒を逃さずに、願いを念じる事が出来れば、全ての物事が叶うのだ。決して口に出さず、紙にも書かず、ただ念じれば、全ての願いが叶うのだと、確かな足踏みの小さな声で、淡々と王の耳元で語った。700秒の1秒は、朝に目が覚めたときだけではなく、昼寝の後にも、夜中に目を覚ました時も、必ず訪れる。誰にでも訪れる。リュルはそう言って地中海を渡り、アンナバで石を投げられて死んだ。王は落ち着きを取り戻した。錬金術の秘法があれば、大王の軍にも勝つことが出来る。

リュルが城を立つや否や、王は急いでベッドに入った。はやる心を落ち着かせ、懸命に眠ろうとした。宰相という、たった1人の味方が居なくなった孤独から、王は味方を求め、味方を願った。選ばれたのは、広大な国土と強大な兵とブリテン島の同盟者を持つ、フランス王フィリップであった。王はフィリップを願い、フィリップを祈りながら眠りについた。目が覚めてからの700秒で700回、「フィリップよ我に味方せよ」と強く念じる事だけを決めて、心を落ち着かせ眠りについた。僅か40分ほど眠り、王は目を覚ました。目覚めるや否や、「フィリップよ我に味方せよ」と700秒間、1秒も欠かすことなく、心の中で念じて唱えた。700秒に1秒だけ有る、願いが叶うその1秒を、決して逃してしまわぬように、700秒間フィリップを願った。

フィリップは来なかった。王に味方しなかった。王は戸惑った。リュルは、嘘を教えたのではないか。私を騙したのではないか。暗愚の王の心の隅に、僅か一粒の嫌疑が生まれた。それでも、王は、リュルを信じた。錬金術の秘法を信じた。何故ならば、王の元には兵も、将も、金も無かったからである。頼れるものはリュル直伝の、錬金術の秘法だけだった。そしてフィリップを願い続けた。毎朝、毎朝、夜が明ける度にフィリップだけを願い続けた。昼飯に茹でた麦を喰らい、シエスタをとり、起きてまたすぐに700秒、一時も欠かさず願い続けた。リュルが宰相を辞して5ヶ月後、フィリップは王と通じ、フィリップは挙兵した。

勇猛さと高い人徳で知られたフィリップは大軍を成して兵を進め、僅かな手勢を引き連れたジャコモと合流する予定日の5日前に、少数の軽騎兵を率いた大王ピエトロに急襲されて全滅し、傷を負い、身を隠しながら自国へと逃げ戻る道中、破傷風に倒れて死んだ。ジャコモは再び孤独になった。また一人きりになってしまった。フィリップを無傷で撃ち破った大王が間近に迫っていた。ジャコモは眠り、700回願った。シエスタをとり、700回願った。真夜中に小便に立ち、700回願った。ピエトロが死んだ。腹膜播種でにわかに死んだ。それからというもの、ジャコモはもう二度と錬金術に現を抜かす事など無かった。何故ならば、ジャコモには秘法があった。錬金術の秘法があった。そして、小さな王国があった。ジャコモは豊穣を願い、幸福を願い、平和を願った。目覚める度に700度、欠かす事なく毎日念じた。国民は幸福を享受し、王は名君と称えられ、やがて天寿を全うした。

山下はそれを、ジャウメ2世勉強法、と呼んだ。山下はジャウメ2世勉強法で大学に入り、ジャウメ2世勉強法で英語を学び、ジャウメ2世勉強法でクックパッドに入社したと言った。今日の自分があるのは全て、ジャウメの秘法のおかげだとまで言い放った。山下はまぬけであり、能無しであり、尚かつ馬鹿だった。それは、ただ念じるだけの代物であり、勉強法などではなかった。しかも、世迷い事であった。くだらない伝承であり、迷信であった。おまけにでたらめでもあった。口外してはならぬ秘法が、現代に残っているという矛盾であった。温厚な僕も流石にキレた。おい、山下。おまえは、穀潰しだ。社内ニートだ。仕事は出来ない。スキルも無い。それでいて上司に取り入る。会社の、毒だ。社会の、害だ。今すぐ、死ね。死ねとまでは言わんが、辞めちまえ。糞が。山下は生意気にも、僕に口答えをした。橋本さんは、私を認めてくれている。そして、私の努力を認めてくれている。山下はそのように宣った。馬鹿を言うな。健太は、おまえみたいなゴミ屑を、認めてなんかいない。あほぬかすのも、大概にしろや。すると、山下はへらへらと笑って言った。

私には、秘法がある。ジャウメ二世勉強法がある。毎朝、目が覚める度に願っている。橋本さんに一目置かれるような、立派なエンジニアになれますようにと願っているのだと、そう言い放った。ならば、と僕は口を挟んだ。ならば、おまえ、俺に認められるような立派な男になるって願ってみろよ。おまえ、そんなでたらめのまじないに、本当の力があるのなら、この俺に、真性引き篭もりhankakueisuu様に、立派な男であると、一人前のエンジニアであると、この会社に相応しい人物であると、認めさせてみろよ。すると山下は笑うのをやめた。常日頃からへらへらと、笑い続ける口元をやめた。「あのね、はんかくさん。ぼくはね、橋本さんには認められたいと思うし、橋本さんの評価は気になるんです。けれどもね、ぼくはね、はんかくさん認められたいだなんて、ちっとも思わない。はんかくさんがどう思おうと、はんかくさんにどのように評価されようと、はんかくさんが何を言おうと、私にとってはまったく関係の無い話なんです。知ったことではないんです。そしてね、はんかくさん。あなたという人は、11分40秒に値しないのです。」それを固めた左頬でしばらく睨み付けてから、新卒を2人誘って和民に駆け込み、刺身の盛り合わせと生中を3つ頼んだ。それが最後だった。