確かに不可解な映画であったけれど、「納得がいかない」というわけでもなかった。十分に納得のいく、こうして振り返るには良い映画だったと思う。話はというと、オランダ人の2人の男女がオランダで、甘く暖かくひたすら色恋、愛し合う。それだけである。散り散りに破れた新聞紙が、これでもかこれでもかと飛び交う中で、2人の周りだけは、ぬるい空気が常に立ちこめており、甘く、甘く、あまりの甘さ故に抑揚の無い、山も落ちも無い恋愛模様がひたすらに続くのである。
きっと、バーホーベンは、こう考えたのだろう。「香港が白鳩を飛ばしたならば、オランダは新聞紙を飛ばすのだ!」僕が思うに、この映画は、新聞紙が飛ぶ映画である。それだけである。バーホーベンを突き動かしたものは、空を飛ぶ散り散りにやぶれた新聞紙である。言うならば、新聞紙を飛ばすためだけにバーホーベンは母国に帰り、そして映画を撮ったのである。確かに、オンラダという国は、風車で有名であるし、低地であるし、あまり綺麗なイメージが無い。破れた新聞紙が風に舞っていても、おかしくはない。白い鳩が香港を飛ぶよりは、自然である。しかし、逆に言うならば、それこそがバーホーベンの失敗である。「新聞紙が風に舞う」という、この映画にとって唯一の主張すべき事柄が、きっちりと、回収されていないのである。
活字、時事、即ち世の中というものが、ニュースペイパーというものが、あっという間にゴミとなり、目に見えない風という、世界を覆う不思議な事象に猛然と吹かれ、吹き飛ばされ、宙を舞い、散り散りになる。しかし、その中で、2人は、そんな事とはまったくなしに、甘い、甘い、恋を続ける。けれども、僕は思ったのである。「で?」と。
2時間近くも、美男と美女の恋愛模様を、浮気もドラッグも邪魔者も居ない、ひたすらに甘いだけの乳繰り合いを、延々と、延々と、見せつけられ続ける。確かに、「ああ、オランダという所は、こんな所なのだろう。」というのはよくわかった。しかし、である。僕はオランダについて、そんなにも、知りたいだなどとは思わない。
朝から待ち合わせをしてフィリップススタジアムに、エールディビジを見に行くも、「今日は日曜だから試合無いんだって。」と、なし崩し的にセックスをした、あの初デートは、いったい、どちらが誘ったのかだけが観ている間は最後まで気になって仕方がなかったが、おそらくは、恋愛というのは、ああいうものなのだろう。
つまり、最初からそこにフットボールは無いとわかっていた男女が、そこにフットボールなど存在しないとわかっているにも関わらず、2人でそこにフットボールを見に行く。これが、恋愛なのである。バーホーベンに言わせれば、それこそが恋愛なのである。
いつ終わるとも知れない、筋も山も落ちも見えない2人の甘い恋愛映画は突然に、脈絡の無い終わり方をする。まず、最初に、2人は些細な事で喧嘩をする。りんごの剥き方である。りんごを最初に八等分してから剥くか、剥いてから八等分するかをきっかけにして、2人は喧嘩をするのである。明らかに、どうでもいい事柄である。僕としては、八等分してから剥く方が楽だと思う。けれども、そんな事はどうでもいい。その、どうでもいい事で喧嘩をした2人は、互いに怒ったふりをするのである。言うならば、この喧嘩は、2人にとっては前戯である。セックスをする為のエピローグである。
このあと、2人は仲直りをし、仲直りをするや否や、甘い、甘い、セックスを2人で繰り広げるのである。そんな事は、それに似た光景を2時間も見せ続けられてきた観客は皆わかっている。「ああ、またはじまったよこの2人は。」と、思うのである。男は女の部屋の留守番電話に仲直りの為のお詫びのコメントを吹き込んでから、女の部屋に出掛けて行く。
女の部屋に行くと、部屋の真ん中、少し奥に、潜水用の酸素ボンベが置いてある。「なんだこれは」と男が中を覗き込むと、中は空である。甘い甘い恋愛映画に登場した突然の不可解である。そこに突如として初老の男性。男は驚く。問いただす。しかし初老の男性はめんどくさそうな顔をして「まあまあまあまあ」などと言っている。言っていたかと思うと、突然、魔術的な力で、男を宙に吊り下げる。男は動揺してびびるが初老の男性はまったく動じず、吊り下げた男を、つま先から順番に少しずつ、すり潰して行く。すり潰された赤い赤いドロドロとした液体は、まるで見えない漏斗に導かれるように、床に置かれた酸素ボンベの中に吸い込まれて行く。命乞いをする男、虚しく、ゆっくりとゆっくりと、延々ずっと少しずつすり潰されて、酸素ボンベの中に液体として溜まって行く男。最後に目玉と唇が、ボンベの入り口に浮いて終了。初老の男性はドアを開けて去って行く。
そこへ女が帰ってきて、帰って来るなり定式化された所作で留守番電話の再生スイッチを押し、男の謝罪を聞きながら、許してやる気満々で、セックスする気満々で、「居るんでしょ」などと言いながら部屋を見渡すと、そこには見慣れぬ酸素ボンベ。「はて?」と思って覗き込むと、目玉が2つと唇が浮いており、女は「ギャアアアア」と悲鳴を上げて、留守番電話と悲鳴とが、2つで1つに混じり合い、2人の嘘で始まったせつなさの無い甘い映画は1人の悲鳴と1本の酸素ボンベに収束し、ここでひとまず話は終わる。話は終わるが映画は続く。
この映画をデートで観に行ったという設定の男女が、映画館から帰る最中に話をしている、「不可解でわからなかった」という男に対して女は言う。「あんなものよ。実際。あんなものなのよ。ほら、見て。」と女が指を差すと、そこには事故を起こしてひっくり返ったシボレーカマロ。「カマロのデザインも丸くなったね。」と男が言ってエンドロール。ポール・バーホーベン侮りがたし。