2013年4月21日日曜日

つまらないのつまらなさ。

対戦相手を「つまらない」と書いているのを見て、一切の興味が無くなってしまったのだけれど、その理由についてだけ書き残しておく。僕はずっとEスポーツ(ビデオゲームの賞金対戦)を見続けているのだけれど、このジャンルにおいては「つまらない」という発言が致命的な役割を果たす。

特定の戦略が生まれる。
特定の戦術が生まれる。

それが、開発者と同じ人種、同じ言語、同じグループの、スーパースター、人気のあるプレイヤーによって生み出されたものならば、「この新戦略は素晴しい」「この新戦術は天才的だ」という評価を受ける。ところが、新戦略、新戦術というものは、基本的に弱者から生まれる。

時世のスーパースターや上位を占める人気プレイヤーらの弱点を発見し、そこを突破することから新戦略は生まれる。あるいは、同じ土俵に上がらず、新しい視点と新しい評価基準を持って違う舞台で戦う事から新戦術は生まれる。

よって、新戦術を生み出して実戦投入し、結果を出すのは往々にして、無名の新人、全く人気の無いプレイヤーだ。それが開発者や開発者周辺のコミニティと同じ国、同じ言語、同じ人種のプレイヤーならばまだ救いはある。その新人が人気者になればいい。スーパースターになればいい。



ところが、現実はそうではない。

新戦術、新戦略で結果を出すのは、人気が無い、無名である、といっただけのプレイヤーはなく、全く違う言葉を喋る、全く違う文化圏の、どこの馬の骨とも知れない外人である。そんなお里の知れないプレイヤーに、当世のスーパースターが負ける。と、どうなるか。「あいつらのやってる事はつまらない」という声が出る。僕が思えば単純に、「負ける奴が悪い」 で終わる話なんだけれど、現実は違う。「つまらない」「つまらない」「つまらない」「つまらない」「つまらない」と声の大きな奴らが繰り返す。




その結果として、「これは想定されていなかった使い方だから」といった発言が開発者の側からなされて、新戦術や新戦略はゲームソフト側のアップデートによって封じられる。近代(2008年のSMM)以降のdota allstarsシーンは、その繰り返しだった。


勝った
「つまらない」
「つまらない」 「つまらない」
はい、パッチで出来なくしました。


負けた
「つまらない」
「つまらない」 「つまらない」
はい、パッチで出来なくしました。


その対象となるのは、 常に中国チームだった。西洋のチームが同じようにワンパターンな戦術で勝ち続けても、一切の修正対象とならないのに、中国でちょっと何かが流行ると、すぐにパッチで終わらされる。 これ程萎える事はない。果ては、中国人が主力にしていたキャラを全て削除したdota2で賞金100万ドルをやる。思惑通りに中国人は負ける。というのがここまでの流れ。dotaシーン最大の救いは、そこまで酷い事をされても現在の世界3強は全て中国チームだということ。真面目に頑張る人は強いし、真剣に遊ぶ人は強い。


そういう流れを見て来たので、僕は勝負事に対して「つまらない」という人に非常なアレルギーを持っている。もちろん、なかには正当な「つまらない」という批判も存在するのかもしれない。セレーナ・ウィリアムズが時速600キロのサーブを打っていたら、女子テニスは勝負事としてはつまらないだろう。けれども、世の人が言う「つまらない」のほとんどは、「自分の思うようにならなくて気に入らない」でしかない。 対策をして無くて負けて(引き分けて)つまらない、そうですかはい。