初夏のdota2十題その1、帝国の滅亡。

富める者は富み、病めるものは病む。
              ~ヨブ記 25章 13節



努力は報われるという世界観と、努力は報われないという世界観は常に対立してきた。

努力は報われないという主張は、努力の無意味さを指し示すものではない。努力する事の困難さを指摘するものだった。僕等が住んでいるこの世界は、階層が固定された世界だ。金持ちの子供は金持ちになる。優秀な人の子は優秀になる。彼等は金を持っている。彼等は知識を持っている。知は集約され、経験は高く積もる。積み重なった資産と知識は、努力へのアクセスを可能とする。努力は金で買える。その一方で、持たざる者がアクセス出来るのは徒労だけ。有り金はたいて徒労を買う。死屍累累の徒労を乗り越え、僅かな人だけが努力へと辿り着く。屍の上に固定された階層社会。それがこの星の現実であり、それが僕等の国だ。

dota allstarsシーンが産声を上げた頃、凄まじい輝きを放つプレイヤー達が居た。彼等は人並み外れた操作量と正確なaimingで対戦相手を手玉に取り、卓越した判断力で無謀さと臆病さの間だを跳ね回りながら相手プレイヤーとの読み間を制し、誰もが恐れる強さが生んだ言葉の重みはリーダーシップへと転化されチームメイトを手足のように用いた。当然、彼等は勝った。




彼等が勝利する事で得たもの。
それは、富でも、名声でもなかった。




たかだか500万本ぽっちしか売れていないマイナーなゲームの、マイナーなmod。それも、目も当てられない酷い糞ゲーの大会で勝って得られる富など、二束三文。名声だとか、名誉だとかなんてものは、尚更無かった。彼等きら星のような超人的プレイヤーが勝利し続ける事で得た者はただ1つ。experience、経験だった。




世界は体系化されている。

金を稼ぐこと、賢くなること、強くなること、美しくなること、健康でいること、幸せになること。多くの先人達が夢見て、多くの失敗を繰り返した。その中で生まれた幾つかの成功例は、やがて書となり世界中に広まり、間違いは改められ、正解は突き詰められ、経験は集約され、巨大な書物の1ページとして、詳細に記され続けている。今も尚、この瞬間も、書き改められ続けている。先人の成功例をなぞり、取り入れ、巨人の肩に乗り進む。それがこの世の成功の術だ。




けれども、dota allstarsは白紙だった。
その世界に巨人は居なかった。
誰もが等身大の小人だった。




普通のプレイヤーが1時間で5killする間に、強いプレイヤーは10 killした。
普通のプレイヤーが1時間で10deathする間に、強いプレイヤーは5deathで済んだ。

超人的なプレイヤーは同じ時間で30killし、僅かに2 deathするだけだった。




濃い時間。
熱い時間。
濃密な経験。
圧縮された体験。

それを得る事が出来たのは、超人的なプレイヤーだけだった。
彼等はその強さが故に、掛け替えのない経験を得た。
そして、強くなった。強くなり続けた。





ビデオゲームの大会はリーグ戦ではない。
トーナメントである。

負ければ退場。
勝てば継続。

負けてしまえば、そこでおしまい。
もうそれ以上、経験を積むことは出来ない。





経験を積むには、勝つ必要がある。
勝つ為には、強くなる必要がある。
強くなるには、経験が必要だ。




然り、dota allstarsで強くなれるのは、強いプレイヤーだけだった。弱いプレイヤーは経験を得る機会すらなく、成長の機会を持たなかった。弱い者は永遠に、弱いままであり続けた。




他のスポーツでは違う。
知識が集約されている。
コーチが居て、監督が居て、強くなる方方が知れ渡っている。どのようなトレーニングをすればいいか、どのように自らを向上させればいいか、そういった事が知として集約されている。過去にプレイした幾千幾万ものプレイヤー達の成功と挫折が、経験が、体系化されて残っている。けれども、dota allstarsは違った。芽生えたばかりの世界だった。過去は存在していなかった。何も集約されていなかった。本人自らの経験だけが、強くなる唯一の術だった。




強いプレイヤーはより強く。
凄まじいプレイヤーはより凄まじく。
先を行く者と出遅れた者との差は、時間と共に広がり続けた。




凄まじく強いプレイヤーは凄まじく強くなり、その実力は傑出して、世界の全てを凌駕した。そんな彼等が到達したプレイスタイル。それが、「BAKAプレイヤー」だった。BAKAプレイヤー。




dota allstarsは5対5の対戦ゲームだ。
自ずから、チームワークが重要なゲームだ。

仲間との呼吸を合わせ、戦略的に行動する。
相手チームの思惑を読み取り、その裏をかく。

ところが、BAKAプレイヤーは、常識を無視した。
チームワークという概念を放棄した。




チームワーク?何それ。
戦略?何それ。
だってさ。
俺が殴れば相手死ぬじゃん?





然り、である。
彼等が殴れば相手は死んだ。




天賦の才が生んだ無数のkill。積み上げた勝利。得た経験。強さが生んだ驚愕の強さは、空を貫き雲を超え、銀河の果てに手を掛けた。幾多の激戦から得られた経験は彼等の六感を研ぎ澄まし、元々正確だったaimingは精密機械の域に達し、ミクロも、マクロも、判断力も、全てが他を圧倒していた。




ずかずか歩いて敵を探す。
敵を見つけたら追いかける。
追いついたら、殴って殺す。

チームワーク?何それ。
戦略?何それ。

歩調を合わせなかったせいで、チームメイトが無駄死にした?
別にいいじゃん、俺が生きてれば勝てるんだから。
俺が居れば勝てるんだから。




そんなはずはない。
dota alllstarsはチームゲームだ。

5対5の対戦ゲームであり、チームワークが勝利するはずだ。そう信じた多くの人達は、ただBAKAプレイヤーの血肉となった。「なるほどね。君たちの言う"チームワーク"ってのは、そういう挙動なんだ。」BAKAプレイヤーから見たチームワークとは、鴨を背負った葱だった。簡単。楽勝。安易。FOOD。FEED。ATM。




世界中の強いプレイヤーが集まって新しいチームを作り、新しい戦略を考え、練習して、練度を高め、新たな勝利を積み上げた。一勝、一勝、苦労して貯めた、努力の結晶の勝利の貯金は、全て極一部のBAKAプレイヤーらに強奪された。頑張る彼等はBAKAプレイヤーの集金係でしかなく、彼等の努力はBAKAプレイヤーの集金システムの一部でしかなかった。それは努力と呼べるものではなく、徒労と呼ぶべきものだった。




けれども、時代は変わる。




時は流れた。
dota allstasは元はBAKAゲーだった。
糞ゲーであり、ゴミゲーだった。
くだらない零細MODだった。




ところが、奇妙なことが起こり始めた。
WarCraft3本編よりもお気楽なBAKAゲーは、息抜きの余興として広がり始め、パーティーゲームとして市民権を得た。ユーザー数は増え続け、大会の規模も少しずつ大きくなった。そして彼等は声を上げた。「このゲーム、糞ゲーじゃん。」




その通りだった。
みんなの意見は正しかった。
dota alllstarsは糞ゲーだった。




ならばとばかりに、dota allstarsは糞ゲーから足を洗い始めた。毎週恒例のバージョンアップの度に、糞ゲー要素は少しずつだけれど改善された。BAKAゲー要素は少しずつだけれどマイルドになった。ゴミゲー要素は少しずつだけれど排除された。改善され、マイルドになり、排除され続けた。何週間、何ヶ月、いや何年もそれが続いた。dota allstarsはまともになり続け、多くのプレイヤーを集め、大会の規模は大きくなり、メジャーなスポンサーが流れ込んだ。BAKAゲーの面影は失われて行った。




プレイヤーが増えた。
BAKAゲーではなくなった。
賞金額が上がり、競技人口が増えた。
それらが同時に生じ、割を食った人達が居た。




BAKAプレイヤー。
あの伝説の人々である。




BAKAプレイヤーというスタイルが可能だったのは、糞ゲーだった過疎ゲーにおいて、彼等が飛び抜けて強かったからだ。他のプイレヤーよりも圧倒的に、上手かったからだ。それ故に彼等は経験を得て上手くなり、強くなり、後ろ姿すら見えないところまで一気に駆け抜け、誰も追いつけない所にまで辿り着いてしまった。

自分以外の9人は雑魚。自分だけが神。そんな世界で味方を見殺しにし、そんな世界で味方を使い捨て、千切っては投げ、千切っては投げ、BAKABAKAバカバカ叫びながら愉快に腕を振り回し、無邪気に暴れ回ったのがBAKAプレイヤーだった。

ところが、勝者だけが得られるexperienceという彼等の絶対敵な強みは、プイレヤー人口の増加と競技人口の増加が齎した知と経験の集約により、次第に薄れて行った。賞金額の増加やスポンサーの流入は、BAKAプレイヤーに弄ばれやる気を失うだけだった負け組のモチベーションに決定的な革命を起こした。糞ゲーであったが故に可能だった1対9というプレイスタイルは、まともなゲームへと変化し続けたdota allstarsのいて、次第に成り立たなくなって行った。チームワークが勝利する世界が訪れたのである。BAKAプレイヤーは輝きを失い、BAKAプレイヤーは過去の遺物となった。BAKAはチームの足並みを乱し、BAKAは罠にはめられてしぬんだ。BAKAは敵に逆転のチャンスを与え、BAKAは敗着のfailを生んだ。




敵がいなければ歩く。
敵を見つければ追う。
敵に追いつけば殴る。

BAKAという名の殺人機械。そんな馬鹿げたナンセンスなプレイスタイルが許されていたのは、dota allstars自体がBAKAゲーの過疎ゲーだったから。物好きの変人が余興で遊ぶ、場末のマイナーなmodだったから。時代は変わる。新しい時代。まともなゲーム。まともな競技。まともな時代。BAKAプイレヤーは息絶えた。絶滅した。みーんな居なくなった。けれども、引退したわけじゃない。




ただ、止めたのだ。
BAKAプレイヤーである事を止めた。




彼等は元々、超人的なプレイヤーだった。
凄まじく強いプレイヤーだった。
故に経験を積み、故にBAKAプレイヤーにまで成った。

誰よりも頭が良く、誰よりも正確な操作が可能で、
高い空間認識能力と判断力を持ち、誰よりも鼻がきいた。

BAKAプレイヤーとして積み上げた勝ち星。
BAKAプレイヤーとして積み重ねたkill streak。

彼等は勝利の味を知っていた。
誰よりも経験豊富で、誰よりも貧欲だった。




BAKAプイレヤー。
傑出した存在。

BAKAプレイヤー。
希有な才能。

馬鹿プレイヤー。
歴戦の勇者。




そんなBAKAプレイヤーが、BAKAプレイヤーをやめたその日、その瞬間から、彼等は最高の彼等は最高のチームプレイヤーであり、最高のチームリーダーであり、同時に最高のコーチでもあった。最高の頭脳であり、最高の戦略家になった。

彼等はもはやあの日のように、BAKABAKAバカバカ叫びながら無邪気に両手を振り回し、後先顧みず敵陣に一人、ずかずか歩く事などなかった。彼等は慎重に動き、慎重に立ち回り、チームメイトと呼吸を合わせ、優れたタクティクスを考え、それに忠実に従い、優れたチームワークを発揮した。彼等はあの日となんら変わらずシーンの中心に居座り続けた。ただ、BAKAプレイヤーである事をやめたのだ。




BAKAプレイヤーが滅びてから、随分の歳月が流れた。

現代において最も重要なのは、個人の才能である。プレイヤーとしてのスキルである。それは、太古の昔から変わっていない。けれども、現代のシーンには、プレイヤースキルと同じくらいに重要なものがたくさんある。それはコミニケーション能力であり、高いプロ意識であり、ルールに従う能力だ。

チームの和を乱さないこと。練習に欠席しないこと。退屈なトレーニングを毎日続けること。どのような役割にも不平を述べずにチームの歯車となること。ボイスチャットで的確に声を出し、意思を伝える事。チームメイトにネガティブな感情を与えないこと。同じ宿舎でなかよく共同生活をすること。




それはまるで社会の縮図。
つっっっっっっっっっっっっっまんねーーーーーーーーーーー。



だいたいさあ、はっきり言うけどなあ、そんなもんおもんないねん。こっちは社会から弾かれてるからゲームしてんねん。それがなんや。みんなで仲良くて、あほらしわ。真面目に練習?トレーニング?コミニケーション?くっだらんわあ。声を出して意思を伝える能力?そんなもんゲームでやんな。lineでもやっとけあほが。おもんないねん。がーんって行ってどーんてやって、ごーんってなるからおもろいんやろ。ほんなくだらんことやりたきゃなあ、リアルでやっとけリアルで。現実世界でやっとけ。こっちはいらんねん。








さて。


ti2012後の欧米シーン最強のチーム。
それは、紛れもなくempireだった。


勝率は常時7割維持。7割と言っても満遍なく負けているわけではなく、naviにしか負けないという状態で、数字以上の強さを見せていた。どの国のサイトのランキングでも、欧米1位はempireだった。当時のnaviは暗黒期にあり、リーグ戦ではempireに勝つものの、プレイオフ進出を逃したり、あるいはトーナメントではempireに当たる前に消えたりといった運も味方し、empireは勝ちまくった。



それも、ただ勝っていたのではない。
empireのsolo midはBAKAプレイヤー。
BAKAプレイヤーのBAKAプレイで勝っていたのだ。

そのBAKAプレイヤーこそが、スキャンダルさん。BAKAプレイヤーなんてものが成功するはずの無い現代シーンにおいて、ずかずか歩いて敵を探して、敵に出会ったら近づいて、近づいた等ならば殴って殺してまた歩く、というナンセンス極まるナンセンスの塊。

元々スキャンダルはHoNで名を成した人で、HoNにおいてはBAN枠を全てスキャンダル用ヒーローに使い、さらにスキャンダルの得意ヒーローを先にpickしてしまうという、酷いマンマークを受けていたスーパープレイヤー。けれども、そんなエピソードは過疎ゲーであり競技人口の少ないHoNだから成し遂げられたことであり、dota2で活躍出来る可能性は無いというのが僕の印象だった。スキャンダルさんはただのBAKAであり、足りていない人でしかなかった。




ところが、そんなスキャンダルさんが突如として欧州最高のsolo midと目されるまでになるんだから、世界は不思議なものである。スキャンダルさん成功の要因は、チームの3rdプレイヤーであるfun1の存在である。fun1は強くて上手くて賢くて、さらに多種多様なヒーローを使えるという、現代のプロに求められる能力を全て兼ね備えた素晴しいプレイヤーだった。そのfun1が2012年の9月にempireに合流した瞬間から、empireは欧米シーンのTOPに立った。

BAKAプレイヤーとして無謀で酷い立ち回りをするスキャンダルさんの意図を読みきり、強引に歩調を合わせてチームを1つに繋ぎ止めるfun1の存在により、empireは奇跡的な勢いで勝ちまくった。

スキャンダルとfun1の勝ちパターンは一見するとダブルBAKAプレイヤー体制に見えるほどの滅茶苦茶なものであり、スキャンダルさんがしっちゃかめっちゃかに飛び込んでチームを泥沼に引きずり込むも、fun1らがその意図を読み切り、他のチームメイトと共に強引にフォローし、BAKAプレイヤーの特権とも言える常人離れしたaimingと生存能力で強引に集団戦を乗り切り、無理矢理にリードを奪って勝つという、勝利は全てまぐれ勝ち、といった様相の酷いスタイルのチームだった。

けれどもそのようなスタイルと同時に、empireは1stプレイヤーとして何の変哲もない普通のcarryプレイヤーも擁しており、スキャンダルさんがBAKAをやって自滅しても、carryが普通にプレイして普通に勝つというパターンもあった。BAKAプレイで勝つか、普通に勝つかの判断を行うのはfun1であり、fun1に見捨てられたスキャンダルさんは借りてきた猫のように大人しくふて腐れながら存在感の無いプレイを真面目にこなしていた。

そんな黄金期のempireが唯一負け越していたのがnaviである。対navi戦の負けパターンはスキャンダルさんがdendiに封殺されて手も足も出ず終了というシンプルなもの。スキャンダルさんがdendiの飼い犬になって負けるという、ワンパターン。こればかりは何をpickしても駄目だった。かつてはBAKAプレイヤーをやっていた、世界最高のsolo midが相手では、BAKAプレイヤーは苦しすぎた。




栄光は長く続かない。
fun1がnaviに引き抜かれてしまったのだ。


これで現代に蘇った奇跡のBAKA帝国は完全に崩壊する。fun1の代役として太古のBAKAプレイヤーであるビゴスを加入させたものの、現代最高のタレントであるfun1の穴が埋まるはずもなく、empireは負けに負けまくる。勝率3割。強豪には全敗、中堅にも負け越し。落ちるところまで落ちてしまう。




そして、とあるゲームにおいてスキャンダルさんはBAKAプレイヤーのなんたるかを見せ付けるBAKAプレイに終始し、8-8-5というスコアを記録する。8kill 8death 5assist。これぞBAKAプレイヤーというスコア。しかも2度のbuy backを行い、2度とも即死。30分でノーアイテム。solo midが30分でノーアイテムって、、、、。

30分過ぎにスキャンダルさんが突撃して頓死。本陣に上陸もされていない状態で味方が「gg」をコールして即落ちし、続けざまにみんな抜け、スキャンダルさんだけは「lol」と発言してプレイを継続するという、相手困惑の状況に陥る。

結果、1人を残して全員退団。ti2以降の欧州シーンにおいて最強チームだったempireは完全崩壊。ここに滅亡。スキャンダルさんはコネを使ってstand inを呼びまくり、自らは後衛に回るという謎の献身性と必死さを発揮して頑張るも一勝もあげられず全敗。fun1の引き抜きにより、中堅どころか弱小ですらない零細チームにまで落ちぶれてしまった。もうどうしようもない。このまま行けばdisband濃厚。王LTHを加入させたものの、もはや手遅れだと思う。

かつてのBAKAプレイヤー達の半数はプレイスタイルを変更する事で生き延びたけれど、それが可能だったのはあの時代だから。今のスキャンダルは、BAKAプレイをしてゲームを破壊させたら一流だけれど、普通のプレイをする普通の一流プレイヤーには決してなれないと思う。fun1らがチームに加わるまでは、killはとるけれど勝てないプレイヤーの典型でしかなかったわけだし。

dotaプレイヤーの多くは5人でチームを組んで遊ぶわけではなく、1人でプレイする。戦術とか、戦略とか、練習とか、ボイスチャットとか、コミニケーションとか、そういったものの外側で遊んでいる。多くのプロが野良ではBAKAプレイヤーをやって舐めプ、ネタプのエンジョイプレイを行うように、世界は今もBAKAプレイヤーで満ちている。だからこそ、スキャンダルさんはみんなのアイドルになった。そのナンセンスさに世界が憧れた。そんな栄光のBAKA帝国がこんな形で終焉を迎えてしまったことは、なんとも残念である。勝っている間は勝ち続けられるし、1つ負ければ負け続ける。そして世の中金なのだ。