wikipediaという有害コミュニティ。

千野志麻がいかがわしいホテルの駐車場で人を轢き殺して半年が経過した。その事故はテレビのニュースも報じたし、新聞にも載った。あまつさえ千野志麻本人のウェブサイトにおいても発表があった。それから半年が経過したにも関わらず、この事故に関する記事はwikipediaから排除され続けている。これは異常な事態である。異常な事態だけれど、これがwikipediaの日常である。




wikipediaは、「誰もが執筆できるインターネット百科辞典」を自称している。しかし、千野志麻の一件に象徴されるように、それは真っ赤な嘘だ。wikipediaがインターネット百科辞典だなどというのは、全くのでたらめである。wikipediaとは、閉鎖された集団独裁制の偏向的ウェブサイトであり、極めて少数の人達が馴れ合う為に存在している有害コミュニティだ。

千野志麻は親類を辿れば総理に行き着くといった身上や、自身がマスメディアと深く繋がっているといった事情から、マスコミにおいては幾分か同情的な報道が成された。けれども、wikipediaにおいて千野志麻を守っているのは、マスコミとは全く関係の無い連中である。





wikipediaは百科辞典などではない。wikipediaとは、コミュニティである。

彼らは、wikipediaというコミュニティ以外に居場所の無い社会の負け犬であり、鬱積した不満を抱えるインテリ崩れのメンヘラである。そういう連中がwikipediaという場を牛耳り、支配している。連中は「wikipediaのルール」なるものに基づいて自由にその権限を振う。

「wikipdiaのルール」というのがどのようなものであるかというとそれは、連中が好き放題自由に振る舞うための独自裁量を保証した、ルールとは名ばかりの独裁制の担保である。




それが、たかだか千野志麻ごときに関する記事であれば、まだマシな方だ。

しかし彼らはどこにでも顔を出し、その権限をふるっては自己満足に浸る。たとえば、疑似科学について肯定的なページが存在していたとする。そのページを心あるまともな人間が訂正すると、連中のおでましである。「編集合戦につき、記事を復元した上で保護しました。」と、ページの書き換えを不可能にする。でたらめが保護される。水俣病もEM菌もブラックバスもアザサも、そのようにして保護され続けてきた。

疑似科学だけではない。小説や漫画の類、創作物を根拠にして編集された歴史上の出来事に関する記事にも連中は現れ、懸命にデマを保護して回る。愛国史観に基づいて書かれた他国を貶め日本を不当に美化する記事や、歴史の改竄を行おうとする記事においても同様に彼らはすぐに現れる。




連中は何故、そのような事を行うのか。

それは、彼らが他に居場所を持たない人間だからだ。他に威張れる場所がないからであり、他に馴れ合える場所を持たないからである。彼らは強権を発動し威張り散らす為にwikipediaにたむろし、同様の人達と馴れ合いお互いに傷を舐めあっては褒め称える為にwikipediaに居座っている。

彼らが我が物顔で振る舞うのは、wikipediaという日本で最も多くのアクセスを集めるwebサイトである。膨大なアクセス数を誇る、巨大なウェブサイトにおいて、ルールを振りかざし我が物顔に振る舞い馴れ合う事は、彼らにとって至上の快楽である。ブログやtwitter、facebockといったウェブサイトではどのように振る舞っても、ゴミアクセスしか集められられない。誰もその話を聞かない。人の目にふれない。そんな有象無象の雑魚どもが、インターネット百科辞典とは名ばかりの「俺達が共同管理する個人ウェブサイト」としてwikipediaを乗っ取り、巨大なアクセス数を誇るウェブサイトの管理人であるという自己満足に浸りながら、それを牛耳り続けているのである。




日本赤軍が共産主義団体などではなく、ただの有害コミュニティであったように、在特会が国粋主義団体などではなく、ただの有害コミュニティでしかなかったように、wikipediaというインターネット百科辞典を自称するウェブサイトもまた、連中が連中と馴れ合うためだけに存在している有害コミュニティでしかない。現実世界に居場所を持たない、社会から爪弾きにされた負け犬どもが、権限を振りかざして自己満足に浸り、お互いに褒めあい馴れ合う為だけに、我が国の情報を破壊し、インターネットを阻害し、一部の人達が自らの利益の為に、でたらめの自説やデマを撒き散らす事を助け続けているのである。