苦しいとき、悲しいとき、辛いとき、理由は簡単に見つかる。楽しいとき、嬉しいとき、幸せなとき、理由は曖昧である。よい時には運に恵まれただけと言っていた人が、悪い時には悪い理由を次から次に並べ立てる。悪い理由を見つけるのは簡単だ。強い理由、弱い理由、いろんな理由が溢れだし、際限なしにすぐに見つかる。人はその中から、自らの力ではどうしようもない理由を選び出す。そして大切に抱きしめる。悪いのは私じゃない、悪いのはこの理由だ、そしてこの理由は私の力ではどうしようもない。そんなふうにして自らを救う。苦しさに安住する自分を、悲しさを喜ぶ自分を、辛さに胡坐をかく自分を、正当化して自らを弁護する。悪いのは私じゃない。私の力ではどうしようもない理由が悪い。
苦しいとき、悲しいとき、辛いとき、理由は見つかる。簡単に見つかる。すぐに見つかる。そしてその理由は、人の心に救いをもたらす。悪いのは私ではなく理由なんだという、免罪符を授ける。けれども、その救いは偽物だ。理由は一時的に、時として慢性的に人の心を救いはするが、決して人を救いはしない。理由は見つかる。必ず見つかる。都合の良い理由がすぐに見つかる。けれども、それをしてはいけない。理由を探してはいけない。理由を見つけてはいけない。理由は人を助けはしない。