年末ジャンボ宝くじを買おう!

インターネットはサーフィンするものじゃない。

インターネットと繋がる為の道具であり、コミニュケーションをとるための道具であり、知りたい事を知る為のツール。繋がりたい人も知りたい事も無い人間にとって、現代のインターネットも過去のインターネットも変わらない。一つの言葉も交わさないままで、時間だけが失われていく蜂蜜の入った悪魔の壺。そんなインターネットをサーフィンしていると、宝くじのニュースを目にした。宝くじを買いに行った子持ちの若い女性が元交際相手に刺されて死んだ。刺した人間は八丈島で捕まった。ファックだね。宝くじという逆進税は貧民から金を巻き上げコネと利権の天下りを肥やすだけではなく、今や人をも刺し殺す。宝くじは幸福な人生を送る人間に訪れる商売ではなく、明日にも元交際相手に刺し殺されんとするような破綻した人生を送る人の元へと訪れる。そんな現実を目の当たりにすると、宝くじでも買おうかという気分になるが、今更宝くじが当たったところで僕の人生はほとんど改善されない。大金があればほとんどの事は解決すると言う人も居るが、無念僕の人生はその大半がほとんどの事の外側にある。目もくらむような大金も、まとまった金も、はした金も、どうせなんの役にも立たない。宝くじシミュレーションにアクセスして3分ほど眺めていると、ろくに当たらず金が飛ぶ。宝くじは当たらない。全財産をつぎ込めば10万20万にはなるらしいがそんな結果に救いは無い。8億だ、8億でないと、8億ですら。当たらない宝くじで儲けているのはジーンズとスコップを売る宝くじシミュレーション屋と、賭博利権のお偉方と、馬鹿な下層階級に広告を叩付ける広告屋と、宝くじで作られ片道三車線の道路と。

川島なお美が捨て猫を拾うという話をふと思い出す。

日本には1500万匹の猫が居る。その中で川島なお美に拾われて暖かい場所でうまい飯を食べられるのは、せいぜい3匹。となると猫にとっての川島なお美の確立は、500万分の1である。人間にとっての宝くじは1029万分の1。当たらない。宝くじというものは、川島なお美よりも当たらない。けれども宝くじは複数買える賭け事なので、投入資金次第でその確率を大幅に上げられる。100枚買えば10万分の1、1000枚買えば1万分の1だ。一方の猫は自らの命を賭けての賭博なので、複数買いは不可能である。ああ、人間に生まれて好かったと、和める体力は僕にはもう無い。凍えて餓えてにたようなもの。幸せは長い方がいいが、苦しみは短い方がいい。人ではなく、ユスリカにでも生まれていれば、この人生は今頃バラ色だった。