2015年5月13日水曜日

人は一人では生きていけない。

川を見ると黒い。何かと思えばウナギである。沖縄の男の二の腕の腕毛のように、上流から下流までの見渡す限りを右に左に縮れるように僅かによれた小さな黒いウナギが規則正しく綺麗に並んで泳ぐでもなく沈むでもなく、浮くでもなしに漂っている。左の方から歩いてきた痩せて禿げたムンクの叫びのような顔をした初老の男がガードレールの上から訝しげにそれを覗き込み、ウナギがようさんおるやないか、やはりテレビっちゅうのは嘘ばかり言いよると、全てを疑い軽蔑するその眼差しの根拠を得意気に大きな声で一人つぶやくが、「あれはヤツメですよ」と横に居た老婆がすぐにそれを打ち砕く。ヤツメもウナギやろ。

ヤツメウナギはヤツメウナギである。ウナギではない。魚ですらない。水の中を泳ぐヘビのようにも見えるがヘビではなく、巨大な黒いコウガイビルのようにも見えるが無論の事ヒルでもない。ヤツメウナギは驚くべき事に、ヤツメウナギなのである。手もなく、足もなく、それどころか鱗もなく鰓もなく、事もあろうか口までない。よって魚類には分類されない。ヤツメウナギとその亜種によって、1つの類に分類されている。名前からわかるように、目のようなものが8っつ、頭の横に並んでついている。うちの一つは目であるが、残りの7つは目ではなく、目が役に立たない真っ暗闇の泥の中で生きていく為の器官である。

ヤツメウナギがもしもウナギであるならば、口が有って然るべきその場所には、まるでたこの吸盤のようなぽっかりと丸い大きな穴が底なしに開いており、その地獄へと続く蓋を閉め忘れたマンホールのようなおどろおどろしい小さな穴で、生きた獲物にぴったりと貼り付き、凄まじい力で吸引し、血肉を吸い取って食べるのだ。かつて河童と呼ばれた想像上の生き物の正体は、ヤツメウナギのことであろうと言われている。

地球上で現在確認されている生物の中で、口を持たない最も巨大な生物。ウナギではなく、それどころか魚ですらない生き物であり、ウナギという偽の名を持つ、ヤツメウナギ世界に君臨する唯一の絶対なる王なのである。残念ながらヤツメウナギは、ウナギのようにはうまくはない。中国人ですら食べる事はせず、干して粉にし鳥目の薬として水で飲んだ。ヨーロッパでは大量に沸いたヤツメウナギを干して固めて畑に撒き、小麦に変換するという手間をかけてからそれを食べた。あんなものをそのまま好きこのんで食べるのは、世界中広しと探しても秋田県民と韓国人くらいのものだ。そんなヤツメウナギも過去の話。昨今では全ての護岸をコンクリートで塗り固めた我が国の、国土開発の波に押されてその姿を消しつつあり、レッドデータブックにおいてもウナギよりも危険度が一段階上のCR、絶滅危惧種に分類されている。けれども誰一人としてヤツメウナギの事など気にはしなかった。ウナギで騒いだ勝川も、あれは金にならんと一言でおしまいである。当たり前の話である。ヤツメウナギはウナギではない。



規則正しく間を空けて、川にびっしりと整列していたヤツメウナギの途切れることの無い行列は、翌週に入るとその姿を減らした。当初は面白がって撮っていたローカル局のテレビカメラもあっという間に姿を消して、一ヶ月後には、もう誰もヤツメウナギの事などまるで忘れてしまっていた。人々の記憶からヤツメウナギがあっというまに揮発すると共に、川の水の中に不気味なまでに規則正しく体を震わせながら懸命に浮いていたヤツメウナギもまた川底へと消え、目をこらして探さねば見つからなくなった。そして誰もそんなものを探そうとはしなかった。

川からも、テレビからも消えていったヤツメウナギはその代わりに、農業用の水路からお寺の池、お城の堀、果てはどのようにして入ったのか、春の小学校のプールにまで、ぽつりぽつりと弱々しく僅かに水の底から生えていた。街のあらゆるところ、水のある場所に目を向けて、僅か数分目を凝らして懸命に探せば、川からはぐれて迷い込んだ孤独なヤツメウナギが見つかった。ほらあれと指さし声をあげる子供はたまに居たが、大人の目には写らなかった。

そんなヤツメウナギが突然人々を騒がせたのは、それから三ヶ月が過ぎた梅雨明け初夏の頃だった。途切れることなくまばらに続いていただけの川に並んだヤツメウナギが突然増えて、増えただけではなく、勢いよく暴れ出したのだ。体長僅かに60センチ、ぬめっと黒く輝いた細い体のそのどこに、そんな力を秘めていたのか、暴れて踊るヤツメウナギは水面から飛び出し1メートル。ひときわ勢いのあるものなどは、3メートルも飛び上がった。それまで人はヤツメウナギを見下していた。あれは魚である。我々は人間である。いや、あれは魚ですらない。口も鱗もエラも持たない、原始の下等生物である。他方、我々は進化の果てに地球を支配する人類である。ガードレールの上から、あるいは欄干に手をかけて、足の下、道路の下、水の下に目を落とし、一瞥見下してやる存在だった。そのヤツメウナギが天高く舞い上がったのである。たとえその3メートルも飛んで舞ったヤツメウナギが、僅か1000匹の中の1匹であったとしても、その1匹を見上げるために人は顎を上げ、口を開け、豊齢線をこわばらせて、天高く舞うヤツメウナギを仰ぐ事を強いられたのである。ヤツメウナギが勢いよく踊り始めたその日を境に、人とヤツメウナギの関係性は変わってしまった。舞うのである。飛ぶのである。ヤツメウナギは空を飛ぶ。水のあるところ、ヤツメウナギが有り、ヤツメウナギのあるところ、ヤツメウナギは飛んでいた。人々はおののきながらそれを見上げた。

空を舞い川からはみ出すヤツメウナギの数は日を追うごとに増し、川沿いを通る道路では一日中ヤツメウナギが恐ろしい勢いで跳ねていた。水を失ったヤツメウナギは懸命に川の方へと戻ろうと、跳ねながらじりじりと川の方へと躙り寄っていく。自らの住処へ帰ろうと躍動する黒いぬめりの巨大な渦は、マーク1戦車のようにぐるぐると回りながら川へと向かい、途切れる事なしに町中の河川という河川の両岸を占拠し続けた。「安心してください、ヤツメウナギは水の無い所では生きて行けません」。街を超え、市を超え、県を超え、踊り続けて空を飛び、車に轢かれてひしゃげて死んで、尚も増え続けるヤツメウナギの勢いに、政府は困惑しながらも冷静に、落ち着いて広報に努めた。ヤツメウナギはヤツメウナギである。何も恐れる事はない。けれども冷めた目で地方を見る政府の冷静さが保たれていたのは、24区の全ての水路がヤツメウナギで埋め尽くされるまでの、僅か半年の間だけであった。

にわかに騒がしくなった。ヤツメウナギがこんなにも増えたのはいつからなのだろう。川一面を埋め尽くし、町中の至る所に浸透していたヤツメウナギだが、その個体密度は減りつつあったはずである。川のヤツメウナギが川底へと沈み、記憶の中から薄れ行き、その数を減らし、同時に町中の水路へと溶けていったあの時期、ヤツメウナギの個体数が減少傾向にあったのか、あるいは密かに増えていたのかは、今となっては確かめようが無い。全ての始まりであった一本の河川が、まるで一匹の巨大なヤツメウナギとなって黒く蠢きだしたあの大粒の雨の日まで、人々にとってヤツメウナギはあまりにも遠い存在だった。今では道路の両脇に続く溝は黒くこんもりと盛り上がり、サルミアッキのように黒く不気味に光りながら途切れることなくどこまでも続いている。ヤツメウナギが居なかった頃には夏の強い日差しによってすぐに干上がった僅かな水分は、ヤツメウナギが体から出したぬめりによって保たれ、次の雨が降るまで眠るようにして動かなくなった羊羹状のヤツメウナギの山によって維持され続けた。

クリーニング屋、眼鏡屋、土建屋、引っ越し屋、携帯でポルノ小説を売っていたベンチャー、パチンコ屋、暴力団のフロント起業、様々な会社がヤツメウナギ除去業へと参入した。軽トラックの荷台に載せられたコンテナに、哺乳類にとっては無害な薬物で殺されたヤツメウナギの死体が200キログラム分詰め込まれ、走り去ったその後には2時間後、右と左から流れ込んだ200キログラム分のヤツメウナギによって、それまでと変わらぬ黒い景色が静かにどこまでも続いていた。

そして夕立である。沸き立ったヤツメウナギは道路の両端だけでは無く、道の全てを黒く塗った。道を行く車はヤツメウナギで滑らぬように年中タイヤにチェーンを巻いて、黒くぬめる細い命を踏み殺しながら私達の生活を維持し続けた。腐りかけた豚の内臓のようなヤツメウナギの死んだ臭いが、雨に落とされて地表を漂った。夕立によって濡れた地面の幸福を祝い、5メートルも天高く跳ねたヤツメウナギは壁を越え、町中の民家の屋根という屋根が黒く塗られた。排水の為に設けられた雨樋をヤツメウナギに一滴の水も通らぬまでに塞がれたマンションの屋上は、いつからか、黒く震える生きた巨大なプティングを湛えた湖となった。そこから飛び降りたヤツメウナギが地面に叩付けられてから跳ねて帰宅中の児童の目に刺さり転倒し、花壇の煉瓦に頭をぶつけ、ヤツメウナギとの因果関係が確認された初めての死者が出た。ヤツメウナギが踊り出してからもう既に随分の死者が出ていたが、人間は死ぬものであるという事実によって、ヤツメウナギは人畜無害な生き物とされていた。

政府は繰り返した。ヤツメウナギの危険性は確認されていません。お悔やみを申し上げます。あれは不運な事故でした。ご安心ください。ヤツメウナギは安全です。事実ヤツメウナギは安全であった。いくつかの僅かな不運な事故としか言えない例外中の例外を除き、ヤツメウナギが人々に害を成すことはなかった。ヤツメウナギによって引き起こされた自動車事故は、ヤツメウナギによって引き起こされたのではなく、自動車によって引き起こされたものとして処理された。そしてそれは事実であった。目に見える明確な形でヤツメウナギがそこに存在し続けているという以外の点で、私達の生活はヤツメウナギ以前と何も変わらなかった。

気球を飛ばして雨水を直接利用可能な形で採取しようという試みは、気球の上に設けられた巨大な採水場を埋め尽くすヤツメウナギによって地に落ち、7人の死者を出して終わった。

JRと地下鉄を繋ぐ駅の地下の遊歩道の商店街が新しく清潔にリニューアルされてからの17年間、人々がインターネットで出会った異性との待ち合わせに使い続けた地下街の噴水は、天井まで高く溢れ出す黒いヤツメウナギによって置き換えられ、人々のみだらな胸のときめきとそれに伴う経済活動を破壊した。彼らはまるでヤツメウナギにやましいことがあるかのように、ヤツメウナギが目に入らない場所を探して転々とし続けたが、自らの目を両手で覆わない限り、ヤツメウナギを見る事無しに誰かと会うのは不可能な時代になりつつあった。セックスをする時くらいはヤツメウナギの事は忘れたい。そう願う人々の気持ちは、ぬらぬらと蠢くどこか卑猥なヤツメウナギの躍動の前ではあまりにも無力だった。私達の思考のどこかに、ヤツメウナギはぬめった筋肉の塊である肉体をゆらゆらと滑り込ませてきた。ヤツメウナギは進出し続けたのだ。川から池へ、池から溝へ、溝から雨樋へ、雨樋から屋上へ、そして私達の心の中へ。

何人かの数字に明るい人間が、川の中に整列するヤツメウナギのニュース映像を元に、ヤツメウナギが初めて川に現れた日のヤツメウナギの個体数を算出したが、川からヤツメウナギが徐々に薄れ行き、町中へと消えていった時期の個体数については憶測の域を出なかった。映像が無いのである。川からヤツメウナギが次第に減っていった時期の川の映像が存在しないのだ。写メを撮っている人間はいないかと探しても、出てくるのは町中の珍しい場所で見つかったほんの1匹2匹の孤独なヤツメウナギばかりであり、川のヤツメウナギはまるで川底に捨てられ錆びたタイヤの無い自転車のように、人々からは見下されるどころか、完全に忘れ去られた存在だった。確かにあの頃、川にはまだヤツメウナギが幾らか残って生きていた。そして人々にとっては確かにあの頃、ヤツメウナギは川に存在しなかったのだ。少なくともヤツメウナギが初めて現れた川には確かに、ヤツメウナギにとってのヤツメウナギは存在していたが、人類にとってのヤツメウナギは存在していなかったのだ。寺の池、お城の堀、公園の噴水、農業用の水路、それらに潜む僅か数匹のもの珍しいヤツメウナギを別にして、ヤツメウナギは存在しなかったのだ。たとえ存在していても、ヤツメウナギは存在していなかったのだ。突然その数を数千倍にも増やしたヤツメウナギが命を爆発させて踊り、水面から勢いよく飛び出して空を舞い始めるその日を境に、ヤツメウナギは生まれたのである。





ヤツメウナギが川に綺麗に整列してから、何事も無く7年の歳月が過ぎた。ヤツメウナギは街の至る所で人々の前に現れたが、町中に姿を見せるヤツメウナギの黒い影が人々に伝えるものは、そんな所にも僅かな水があったのだという僅かな情報だけだった。7年が過ぎて、それは終わった。

ある朝水道の蛇口を捻ると、そこからは透明な水ではなく、薄く淀んだオレンジ色に染まった粉のような液体が、シャバシャバと流れ出したのである。昨日までのヤツメウナギは、私達の生活からは完全に切り離されていた。彼らが現れるのは水が溜まる場所であり、あるいは雨水が落ちる場所だけであった。その日までのヤツメウナギは、私達の生活の中には決して踏み込んでこなかった。それが突然水道管という穴を伝って私達の生活の中に踏み込んできた。幸いにして水道管から流れ落ちるヤツメウナギは成体では無く、アンモシーテスと呼ばれる幼生であった。彼らは全くぬめっていなかったし、彼らはまだどす黒くもなかった。肉眼で確認するのは不可能な程に小さく、豚の内臓のような臭いもなかった。僅かにくすんだ薄いオレンジ色をしていたが、まるで無色透明の水であった。それでも、水道の蛇口を捻った際に流れ出すのは水では無く、昨日までとはまったく違うアンモシーテス幼生であり、アンモシーテスは水ではなくヤツメウナギだった。

今日までの7年間、それまでと変わらぬ水道水を人々に供給し続けていた水道局は大混乱に陥った。広報業務に慣れていない、中間管理職のとってつけられたような責任者が、目を泳がせながらやつれた顔で「どこから混入したのかは現段階では判明しておらず」と繰り返した。町中の店という店からペットボトルの水が消え、お茶が消え、ジュースや酒までもが買い占められたが、350ミリリットルの黒いビールと、きめ細やかな泡を生むためのプラスチックの浮き球が入ったギネスビールの封を開けコップに注いだその瞬間に、コップの中から沸き立つものは、上面発酵ビールの細かい泡ではなく、ヤツメウナギの幼生アンモシーテスだった。水も、醤油も、酢も、そればかりか消毒用エタノールから除草剤や防腐剤に至るまで、蓋を開けてコップに注げば沸き立つように、無数のアンモシーテスが溢れ出した。水を注いだコップのアンモシーテスは跳ね回り、酢のアンモシーテスはすぐに元気を失い、劇物のアンモシーテスは数秒と持たずに死んだ。

そこに残るのは劇物ではなく、人畜無害なアンモシーテスの瑞々しい死体だけであった。7年の時を経て水は水としての姿を失い、清涼飲料水とは名ばかりの砂糖水は甘さを失い、酢は酸っぱさを失い、そして劇物すらも劇物としての姿を失った。全てが、幼生アンモシーテスに成り果てたのだ。コップに注いだ部分だけでは無く、封を開けてしばらくすれば、先ほどまでは確かに密封された30年前に詰められたウイスキーが入っていた瓶の中はみっしりと、重い重い今はもう動かなくなったアンモシーテスで埋め尽くされた。人並み外れた怪力で知られたモンゴル人の本業ではぱっとしない幕下の力士がリンゴを利き手でひねり潰すと、ねじ切られたリンゴの果肉に混ざって、肉眼でははっきりと確認できない大きさの数百匹のアンモシーテスがさらさらと砂のように、それでいて滝のように太い指の間からこぼれ落ちた。

世界から、水が消えた。







それまでの7年間において、雨水と海水のあるところを埋め尽くしていたヤツメウナギは、7年の歳月の間に人類の科学が作り上げたヤツメウナギから水を抽出する技術とシステムの全てを打ち砕いた。我が国だけではなく、世界中のありとあらゆる国で水のある場所を埋め尽くしていた黒く輝くヤツメウナギは、同じ日、同じ時、同じ瞬間にそれまであった壁を打ち破り、私達の生活の中に目に見えない微細なアンモシーテスへと姿を変えて踏み込んできた。幾人かの限られた人間がアンモシーテスを嫌がって首を吊って死んだが、人々の暮らしは変わらず続いた。

今ではラーメンの丼を満たしているものはスープではなく豚骨味のアンモシーテスであり、その中を漂う麺もまた、小麦粉をアンモシーテスで練り上げられて作られていた。魚臭いと言うものもいたし、泥臭いと言うものもいた。旨味があってラーメンが水で作られていた時代よりもおいしいと言うものもいたし、水で作られた食べ物とは違いアンモシーテスで作られた食べ物は高度栄養食であると、その効能を騒ぎ立てるものもいた。ほとんどの人はアンモシーテスを水と変わらないものとして受け入れた。事実アンモシーテスはあまりにも小さく、それでいて瑞々しく、臭いもなく、味もなく、まるで水と変わらなかった。

世界中の川と海と湖が全てヤツメウナギだった頃、夏に海で泳いでいたのは人の体に押しつけられるヤツメウナギの感触を特別なものとして有り難がりそれを恥と思わない変人だけであり、海水浴などまるで夢物語であったが、アンモシーテスが人とヤツメウナギの間にあった壁を乗り越えたその日から、海を覆っていた黒い黒いヤツメウナギの絡まる躍動は次第に沖へと引いて行き、僅かに薄くオレンジ色の透明な、太陽の光を受けて輝く、まるであの頃の海よりも美しいアンモシーテスへと変わっていった。

そして人類にとっては幸いな事に、アンモシーテスは時と共に小さくなり続けた。水道管を通って私達の目の前にはじめて現れたあの頃のアンモシーテスは、明らかに液体では無く、さらさらとした手触りの、微細なタピオカミルクティーのようなものだった。けれども今日のアンモシーテスは、目を瞑り指先に全神経を集中させて風呂釜に満たされたアンモシーテスを丁寧にかき分けても、それが果たして本当にアンモシーテスであるのかどうかの確信が得られないほどの小さな存在になっていた。そこにあるのは確かに大量のアンモシーテスであり、決して水ではない。それを完全に理解していてなお、肉眼では捕らえられないまでに小さくなってしまったアンモシーテスは、まるで水のように人々を温め、まるで水のように人々を癒やした。



アンモシーテスを研究する幾人もの科学者が、幼生アンモシーテスを成体ヤツメウナギに育てようと様々に手を尽くしたが、誰一人として幼生アンモシーテスを黒い姿に成長させる事は出来なかった。あの日を境にあっという間に世界中を埋め尽くした日の光を受けて黒く輝くヤツメウナギは、決して人の手によっては再現出来なかったのである。それどころか、台風が大量の雨雲を日本列島に連れてきても、道路の両脇を流れるアンモシーテスは、あの日のように黒く踊りはしなかった。川も、沼も、池も、海も、全てがその黒さを失い、全てがぬめった質感を失った。そこにあるのはまるで水、当初の僅かなオレンジ色や、水とは違うざらついた手触りすらも失った、無色透明の微細なアンモシーテスだった。

ヤツメウナギは滅多と見られるものではなく、年がら年中ヤツメウナギを探し回っている政府に雇われた研究者を別として、一般の人間がヤツメウナギの黒い姿を目にするのは10年に一度、あるいは一生に一度くらいのものになってしまった。ヤツメウナギを見た者は不幸になるという風説が流布される一方で、女子高生の世界では雨の日にヤツメウナギを見れば失恋し、晴れた日にヤツメウナギを見れば恋が実ると、まことしやかに囁かれていた。ヤツメウナギというのは過ぎ去った遠い日、平成という1つの共有された過去の時代を指し示すキーワードへと成り下がった。今ではヤツメウナギが川を埋め尽くすよりも前と同じように、人々にとってヤツメウナギなど、存在していないも同然だった。

アンモシーテスがどこから来るのかを調べるために入り口が細くうねったフラスコが作られ、そこに僅かなアンモシーテスが入れられ、蒸散させられた。フラスコの中のアンモシーテスは死に絶え、僅かな白い粉末だけを残してアンモシーテスは居なくなった。実験はそこで終わった。その実験を行った科学者自体が首を傾げた。この実験はいったい、何を目的とした実験だったのだろう。何もわからなかった。アンモシーテスは人類の営みの全てにまるで水のように浸透していたけれど、アンモシーテスが一体何であるかを、誰一人として全く理解していなかった。EUから離脱し経済でも文化でも科学でも世界から隔離されてしまい、先進国としての体を失ったギリシャという国の哲学者としても知られるアリストテレスという科学者がアンモシーテスは泥から生まれるという研究の結果を発表したが、太陽を遮るかつては雲と呼ばれていたものの正体は、今では空を行くアンモシーテスであり、空には泥は存在しなかった。




地球上の至る所で水に置き換えられたアンモシーテスが一線を越えたのがいつの日の出来事だったのかは、今でもはっきりとはわかっていない。いつからかはわからないけれど、アンモシーテスは人類の外側から人類の内側へと入り込んでいた。人の眼球を乾燥から守る為に存在するかつては涙と呼ばれていた(そして今でも涙と呼ばれている)ものは、涙ではなくアンモシーテスである。血液の中を進み肺から取り入れられた酸素を体中に運ぶものは、ヘモグロビンではなくアンモシーテスの仕事である。恋人同士が唇を合わせて交換するものがアンモシーテスであるのと同じように、射精によって飛び出すのは精子ではなくアンモシーテスである。アンモシーテスは人の体の様々な部位において、かつて人体という進化の果てに辿り着いた神秘の存在が成し遂げていた全ての出来事を、人に代わって執り行っていた。もはや人は一人では生きていけず、体の中に存在する何億とも何兆とも知れない無数のアンモシーテスなしには成り立たなかった。人は本当に人なのか、人は本当に人と呼べる存在なのか。もはや人は人ではなく、ただのアンモシーテスではないのか。それでも人々は自らの事を決してアンモシーテスだとは思わなかったし、自らはアンモシーテスではなく人であると信じて疑わなかった。いつの日かまたあの日のように川を覆う日が来るかも知れないヤツメウナギの幼生は、親から子へ、子から孫へ、不気味に輝く黒さを失い、豚の内臓のような臭いも失い、地面から屋根にまで跳ね上がる力をも失い、無色透明にどこまでも続いていった。