2015年6月5日金曜日

人生において乗り越えるべき壁なんて無い。

人生には乗り越えるべき壁があると言う人は、自分で壁を作っているだけだ。自分の為に一生懸命に壁を作り、またある時は他人の為にせっせと精を出して壁を作る。彼ら壁作りに精通した人達は、自らで精魂込めて作り上げた立派な壁を指さして、「ほら、乗り越えるべき壁だ!」と誇らしげに言うのである。人生には壁など無い。誰かが壁を作らぬ限り、強いては自分で壁を作らぬ限り、壁なんてない。世界には壁を作るのが大好きな人が大勢居て、道行く人に声をかけては、懇切丁寧に壁の作り方を教えてくれる。連中は見知らぬ誰かを壁職人に仕立て上げようと、そのチャンスを探し続けている。壁を作る事は彼らの誇りであり、壁を作ることは彼らの生き甲斐なのだ。しかし、壁など無い。本来人生には壁など無い。人生とは、乗り越える場所など存在しない、どこまでもなだらかに続く地平である。

そこを歩き続ける気力と体力さえあれば、どこにでも行ける。どこまでも行ける。人生に壁を作る人とは、それに飽きた人である。なんのの目印も無いなだらかで無限に続く広大な荒野を、歩き続ける事に飽きた人である。なんの障害物もない、どこまでも続くなだらかな地平を歩き続けるのは退屈である。歩き続けていると、飽きる。飽きる。退屈だ。つまらない。何かイベントが欲しい。目立つ物が欲しい。そうだ、壁を作ればいい。それが彼らの実体である。人生には乗り越えるべき壁があると主張する彼らの実体である。

そうして人は壁職人になる。人生に壁を作れば、その壁をどうにかすることで、自らを明確に成長させる事が出来る。歩みを止めて手を動かし、一生懸命に壁を作り、その壁を見上げてまず満足し、さらに乗り越えて満足する。そして言うのだ。成長したと。もちろんそれは幻想である。その成長は幻想である。自らで作り上げた壁を乗り越えて、後ろを振り返り、「俺は壁を乗り越えて成長した!」と気持ちよくなっているだけの事である。その実体は成長でもなんでもない。ただの自己満足である。

俺は壁を乗り越えた。人生における巨大な壁を乗り越えて成長した。俺は次のステージに進んだんだ、そう、壁を乗り越えて。思えば遠くへきたもんだ。幾つもの壁を乗り越えた。時には乗り越えるのが不可能に思えた壁に行き当たり、迂回したこともあった。そして壁の向こう側に到達したのだ。ある時は壁に穴を空けてその穴をくぐり、ある時は壁の根元を掘って倒壊させた。またある時は壁を押し倒してその上を土足で歩いた事もあった。俺はそうやって生きてきた。思えば遠くへ来た物だ。人生とは、壁を乗り越える事である。

そう思う為に、感慨にふけるために、気持ちよくなる為に、人は人生に壁を作るのである。壁の前で立ち止まる為に壁を作り、壁を見上げる為に壁を作り、壁を乗り越える為に壁を作り、壁を破壊するために壁を作る。時として壁を理由に引き返す為に壁を作り、ある時はただ歩くのに飽きたから壁を作る。壁作りを繰り返していると自ずから、人は壁作りが上手くなる。壁を作るのが上手くなるにつれ、壁作りはさらに気持ちよくなる。壁を作る事によって得られる快感の虜になるが、本人は壁作りの快楽に溺れているとは思わない。彼らなのは、壁職人は皆誰も、「壁作りが気持ちいい」とは思わない。「人生において乗り越えるべき壁を乗り越えて成長し続けながら前に進んでいるのだ」と思っているのである。

そうなるともう手が付けられない。自らの人生に作り上げた無数の壁を思い出し、その壁作りのノウハウを他人に伝授しはじめる。道行く人に片っ端から声をかけ、壁作りのノウハウを教え、時には他人の為に自らの手を使い労力を投入し、丁寧に壁を作り上げる。これまで自分の為に作ってきた壁作りの全てのノウハウを投入し、素晴らしい壁を作り上げる。そして得意気に、その壁を乗り越えるにはどうすればいいかなどと語り出すのである。もはやそれは人間ではない。もはやそれは壁職人である。

自らに向けてありとあらゆるタイプの壁を作り、自らに対してありとあらゆる娯楽を提供し続ける。どの壁も素晴らしく楽しい。様々な感情を高まらせる多種多様な壁である。壁を作ってはそれに触れ、壁を作ってはそれを壊し、壁を作って一度遠くまでしりぞいてそれを眺め、壁を作ってはそれを見上げ、壁を作ってはよじ登って遠くを見渡す。壁を作ってはその上に立ち、高さに足を震わせ、壁を作ってはハンマーで抜け穴を作る。壁を作っては得意気に迂回し、またある時は自らを納得させる為のアリバイ作りで壁を作る。

人生における最大のコンテンツとして壁を作り続けた結果、人は壁作りの達人となる。そして、一切の障害物も目標物も存在しない広大な地平を歩く事をやめて、毎日熱心に壁を作り、あるいは将来作るべき壁を研究し、時としてそれすらもやめて自らがこれまでに作り上げた壁の歴史を誇らしげに語り出す。人生は無限である。僕は壁職人にはならない。