失敗の9割は夏に発生する。

僕が最後に人間だった夏という書き出しは許されないだろう。自らの事をもはや人間ではないと思いたがっているようだけれど、昔の事を考えればどうしても悲しくなるし、将来の事を考えれば思わず笑みがこぼれる。僕は今日も悲しみと微笑みのちょうど中間地点に立って、両方から引っ張られつつ浮いているのだ。悲しみを一本一本ひもとけば、その悲しみの正体は諦めである事がわかるのと同じように、微笑みの正体もまた諦めであり、それ以上の内容は含まれていない。この人生に夏というものが存在しなければ、僕は自らの事を容易く人間であると認められる人間になれていたのだろうか。この人生に、ビデオゲームが存在しなければ、僕はどのような失敗も犯さずに、今頃誰かを愛していただろうか。