心が躍ればいい。

テキストエディタを立ち上げて、キーボードを手にとってみても、心が躍るテキストは思い浮かばない。心が躍ると書くと極めてポジティブな感じを受けるかもしれないけれど、そうではなくて、白魚の躍り食いに見られるように、生きながらにして生醤油をかけられ咀嚼されるようなテキスト、それが心躍るテキスト。心なんて躍らない方がいい。当たり前の話である。心躍るテキストなんて書きたくない。そんなものを書きたいと願っているのならばそれは、自らが白魚となって噛み砕かれることを願っているか、あるいは自らをかみ砕きたいと願っているかのどちらかである。そんなものは、健全ではない。心が躍る事はない。僕の人生ではもう二度と、いい意味で心が躍る事はない。ただ、その再現を願って、悪い意味の踊る心を探したりはする。それは極めて不健全だ。左手の人差し指を一本だけとり、右手の指で包み込む。自ずから十指はキーボードから離れ、僕のテキストは静止して、テキストエディタには白い白い空白が踊る。