2017年7月22日土曜日

泳ぐのに情熱はいらない。

泳ぐのに必要なものは、水と筋肉である。水と筋肉があれば人は自ずから泳ぎ出す。そこには意志も情熱もいらない。僕はこんな人生に陥って尚、少しでも前に進みたい。米を炊く体力を失って豆腐をすすり、シャワーを浴びる気力を失って汗を摘まむ。ここにあるのは死体だ。腐っていないだけの死体だ。異臭はする。するだろう。確かめる人はいない。僕の人生には僕以外、もう誰もいない。誰との接点もない。僕は朝から晩まで毎日ビデオゲームをし続けることで、現実世界における全ての接点を失い、晩から朝まで毎日ビデオゲームをし続けることで、インターネット上での全ての接点をも失った。僕のブログは死んで久しい。それは、僕がブログを書く情熱を失ったからではない。僕はもう死んだんだ。生き返る術は無い。

人間の体は余りにもファンタスティックだ。指を動かそうとすると指が動くし、目を閉じようとすると目が閉じる。何をする気力も起きないと口では述べながら、割り箸のビニール袋に結び目を付け剛性を生み出し、元の状態ではか弱かったビニールが、真っ直ぐ天へとそそり立つのを、なんとなく眺める事は出来る。漬けることは出来る。頭痛薬の空包を、セパレートで全部切り離し、それらを全て丁寧に重ねて、レンズを重ねて顕微鏡を発明したドイツ人が、はじめて得体の知れない目に見えない動く何かを、目にした時の気持ちを思う事も出来る。1つの残念な明瞭な事実がある。僕は死体ではない。

毎日々々、いろんなものを諦めてきた。いろんなものに憧れては、それを1つづつ諦めてきた。おいしいものを食べたい。水道水以外のものを飲みたい。シャワーを浴びたい。でもめんどくさい。けれども、この人生にそんなものは必要ない。僕は何も渇望していない。本当に欲しいなんて思っていないものを少しだけ欲しがり、本当に欲しいなんて思っていないものを諦め続けた。僕には欲しいものがない。私には夢が無い。そして情熱がない。意志がない。

自分自身がこの人生で、ちっとも前にすすめないのは、意志が足りていないから。情熱が欠けているから。そんなふうに自分を見下し続けた。学校で孤立して元気さを完全に失い、3DSでゲームばかりしている田舎の小学生みたいなものだ。軽蔑していた。馬鹿にしていた。突然背中に見知らぬ痛みを覚えて気がついた。僕は田舎の小学生じゃない。何故ならば若さがない。どこまで行ってもポジティブな言葉は出てこない。だから、どこへ行くのもの止めにした。どれだけ記憶を辿っても、出てくるのは失敗体験だけだ。おなかだけはすく。

自分自身がこの人生で、少しも前にすすめないのは、意志が足りていないからだとか、情熱が欠けているからだとか、様々な理由を探して自分自身を非難してみる。またしても僕は叱責される。何も悪いことなんてしていないのに。何もしていないのに。足りていないのは水。辺り一面のWATER。そうすれば僕だって泳ぎだし、人生は前に進むだろう。筋肉はある。僕はやれる。必要なのは水だけ。そう思っていた。沈んでいく。水も無いのに沈んでいく。2017年。7月21日。