2019年1月31日木曜日
死ぬ事になりました。
死ぬ事になりました。といっても、昨日今日なったのではありません。ずっと前から僕は、死ぬ事になっていたのです。人間はどうやったら死ぬのでしょう。喉にぐっと力を入れて息を止めてみると、苦しくなります。けれども、死ぬ気配はありません。息を止めたって死なないのだから、僕はどうやら死なないようです。それに、これまで一度として死んだこともないし、死にそうになったこともありません。そうなんです。困ったことに、あるいは幸いにして、僕は生の権化です。血液の一粒一粒から、命が無限に湧き続けており、一向に死ぬ気配はありません。死の影は僕に忍び寄りません。だからと言って、僕が特別な存在だなどと言うつもりはありません。何故ならば、僕だけではないからです。僕だけではなく、僕の周囲では、誰一人として死にません。死んだ友達はいないし、死んだ同僚も居ません。それどころか、死んだ知り合いすら一人もいません。世の人は言います。気がつけば古い学友が何人か死んでいたとか、退職した同僚が死んでいたとか、お世話になった上司が死んだとか。僕のまわりでは、そういった類のことは一切発生していません。誰も死なないのです。僕の世界では誰も死なないのです。僕は最近思うのです。僕が生きている世界と、あなた方が生きている世界は、一切の共通点を持たない、全く別の世界なのではないかと。それぞれどこか似ているようで、それでいて一切の共通点を持たない、別の世界を私達は生きているのです。私達と言っても正確には、僕が生きる世界と、あなた方が生きる世界の、2つの世界しかないのだと思います。論拠は、死です。死こそが、僕の世界と、あなた方の世界を、別けているのです。僕の世界には死が存在せず、あなた方の世界では今日も何かが死んでいく。その2つの世界を繋ぐ唯一の存在が、インターネットなのです。僕らは違う世界から、同じインターネットを見つめているのです。僕はまるで、インターネットの世界に生きているかのように自分自身を定義していましたが、そんなのはまったくの見当違いでした。僕が生きているのは、インターネットなおではありません。死の存在しない世界だったのです。僕の世界にだって、居なくなった人はいます。これまでに、何人もの人が、居なくなりました。けれども、僕の世界において、彼らはインターネットから居なくなっただけです。所詮インターネットです。たかがインターネットです。だから僕は、死ぬ事になりました。けれども残念なことに僕が生きている世界に死は存在せず、僕は不死身なのです。おそらくですが、僕は死なないのではないかと思います。二度と死なないのではないかと思います。