数字の上では、統計の上では、私達は人類の歴史上最も幸福な時代を生きています。乳幼児の死亡率は下がり、多くの国において女性を含めた一般市民は選挙権を得て、人種や出自による偏見や差別も、最も改善された時代です。
けれども、そんなものは、あくまでも数字の上の話です。ビル・ゲイツのように納税の義務を回避しながら蓄財し、脱税の一環として慈善事業を行うような類の人々が、「私達は人類の歴史の中で最も幸福な時代に生きている」と喧伝しているのです。確かに、それは事実でしょう。数字の上ではそうでしょう。統計上はそうなのでしょう。けれども、私達は数字ではありません。血の通った人間です。今もなお、私達は平穏とは程遠い世界に生きています。2016年の大統領選挙において、「人類は最も平和で幸福な時代を生きている」と主張するビル・ゲイツが支持した大統領候補が敗北したという事実は、記憶に新しいところです。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000147446.html |
先日、イスラム教の聖地に母親と巡礼に来ていた6歳の少年が、母親の目の前で首を切られて殺害される事件がありました。我が国では、人がその信仰や人種を理由として殺されることはまずありませんが、サウジアラビアや中国、ミャンマーといった一部の国においては、その信仰を理由として、その人種を理由として、今日も人々が殺され続けています。
そんなの、常識です。
みんな知っています。
誰もが知るところなのです。
私達の住んでいるこの世界が、人類の歴史の中で最も平和な時代にあるというのは事実であれど、今日も人々はその人種や性別、国籍や信仰を理由とする攻撃に、晒され続けています。それは遠い国の出来事に留まりません。我が国においても、今年に入り、女性を強姦した俳優が逮捕された際に、その国籍を理由として不当に攻撃されていたのは、記憶に新しいところです。
我が国においても、様々な人々が今日も攻撃に晒されています。
国外にルーツを持つ日本人は、たとえ日本国籍を選択したとしても、その出自が故に攻撃され、女性はただ女性であるというだけの理由で攻撃を受けています。同性愛者は言うに及ばず、オタクはオタクであるというだけの理由で、老人は老人であるというだけの理由で、貧困層は貧困であるというだけの理由で攻撃されます。
それら偏見から来る不当な攻撃と戦う為に、その実体を報道するのは報道機関の努めであると言えるでしょう。その点において、地に足を付けた視点から、我が国に外国人研修生という名称の、人権を制限された二級国民が存在し、その二級国民とは名ばかりの奴隷階級は、我が国の政府と国民の共犯によって生み出されたものであると告発する望月優大の仕事などは、報道というものが行うべきことを行っていると言える最たるものです。私達は、お互いを知る事によってのみ和解出来るのです。所謂大手マスコミの中では、産経新聞が最も酷く報道機関としての体を成して折らず、朝日新聞が最もまともな報道機関であるというのが、私の認識でした。私のこれまでの認識でした。
先日、アリアナ・グランデが「七輪」というタトゥーを入れたというニュースを目にした時、わたしはアリアナ・グランデのtwitterを見に行きました。そして、そこで生じていた現象に強い衝撃を受け、手当たり次第にログを保存し続けました。
わたしの動機は1つであり、
わたしの興味は1つでした。
我が国の報道機関は、アリアナ・グランデの七輪タトゥーをきっかけとして、今まさに私の目の前のインターネットで起こっている出来事を、報道出来るのか、否か。わたしの興味はその一点に絞られていました。
わたしが懸命に見守り続けたアリアナ・グランデを取り巻くインターネットは凄まじい速度で変化していきました。わたしが呆然とインターネットを眺めているその前で、アリアナ・グランデはあっという間に七輪に関連する発言を全て削除し、日本に関する幾つかのツイートを行い、あっという間にそれをも削除し、さらには過去ログを遡ってまで日本に関するツイートを削除していきました。先ほどまでは存在していたアリアナ・グランデのツイートが、次の瞬間にはインターネット上から跡形もなく消えました。消え続けました。
さらには、arianagrande.comのオフィシャルショップから、日本語がデザインされた公式グッズが全て削除されました。それを報告するツイートが行われましたが、そのツイートすらも削除されました。
「imma stop taking lessons too.」もう日本語のレッスンもやめますという、悲鳴にもにたアリアナ・グランデのツイートがインターネットに現れました。そして、それすらも消えて行きました。
アリアナ・グランデに、一体何が起こったのでしょう。
私はその一部始終を知っています。一目見たとき、そこで起こっている出来事に衝撃をうけ、何故このような事が起こっているのかを知りたいと、懸命にインターネットを続けました。わたしは筋金入りのインターネッターです。そのわたしが直感しました。これは大変な事になるだろうと、直感しました。その直感から、アリアナ・グランデの一挙手一投足を見守り続けるに至ったのです。
けれども、アリアナ・グランデに興味があったのではありません。今回のアリアナ・グランデの周囲で発生した出来事に興味があったのでもありません。
わたしの興味は1つに絞られていました。
「我が国の報道機関は、これを報道する事が可能なのか?」
というその一点に絞られていました。
なぜならば、2019年のインターネットで、アリアナ・グランデを巡り発生した出来事を報道するのは、とても難しいことに思えたからです。それは、不可能性をはらんでいると言い換える事すら可能な程に、極めて困難な仕事でした。
なぜ困難であったのか。それは、アリアナ・グランデの七輪タトゥーから引き起こされた一連の出来事は、私達にとって、極めて都合の悪い出来事だったからです。それだけではありません。アリアナ・グランデ自身の一連のツイート自体が、次から次に削除されてゆき、最終的には全て削除されてしまいました。それだけに留まりません。彼女は過去ログを遡って自信のツイートを削除するにまで追い詰められました。
アリアナ・グランデだけではありません。アリアナ・グランデに執拗なリプライを送り続ける事で、アリアナ・グランデが「もう日本語の勉強をやめる」と発言するに至るまで追い込んだ人達も、ツイッターを鍵アカウントにしたり、アリアナ・グランデに対して行ったリプライを次々と削除していました。ツイッターを鍵アカウントにして、入念に過去のツイートを削除した上で素知らぬ顔で復帰したユーザーも存在しました。
報道の根底となるべき証拠が悉く削除されていくという現実を、わたしは目の当たりにしたのです。それ故に、これを報道出来る日本の報道機関は存在しないだろうと、わたしは考えたのです。我が国のマスメディアで記事を書いている人間に、目の前の出来事を読み続け保存し続けている人物が存在するとは、到底思えなかったのです。
それだけではありません。そこには私達にとって、極めて都合の悪い出来事が存在していました。アリアナ・グランデと、その周囲で発生した出来事は、私達が、そして我が国のメディアが、決してその存在を認めたくない物事の、具現化した姿でした。内閣総理大臣の言葉を借りるならば、悪夢と呼ぶに等しい光景でした。2005年に中国で発生した、日本料理店を破壊し、日本車を焼き討ちにした反日暴動以来と言うべき凄惨な光景でした。
何も無かった事にする。
続報を一切伝えない。
七輪タトゥーを最後に、
アリアナ・グランデという人物が
地球上に存在していないかのように扱う。
それが、我が国の報道機関として、最も真っ当な態度なのかもしれないとすら、僕は考えました。たかだか一人のアメリカ人女性歌手が七輪タトゥーを最後に紙面から跡形もなく消え失せたところで、誰も気にはとめないだろうし、我が国の報道機関としても、差し支えはないだろうと、僕は思いました。
七輪タトゥーを目にしたその日から、わたしは日本の報道機関が、アリアナ・グランデをどう伝えるかを見守り続けました。多くのメディアはわたしの予想通り、「アリアナ・グランデ」という人物が、七輪タトゥーという滑稽な事件を最後にその消息を完全に断ったかのように扱いました。「七輪タトゥー」という愉快で滑稽な三面の芸能記事を最後に、それ以降は存在しないものとして扱ったのです。
唯一の例外がありました。
朝日新聞です。
わたしは驚きました。
非常な驚きを受けたと言っていいでしょう。
2019年。
アリアナ・グランデの七輪タトゥー。
それに端を発した出来事。
アリアナ・グランデは、なぜ七輪タトゥーに関連したツイートを全て削除してしまったのか。それどころか、過去に遡り日本に関するツイートを削除するにまで至ったのか。
「imma stop taking lessons too.」
とまでアリアナ・グランデが追い込まれた経緯。
朝日新聞は、そこに踏み込みました。
踏み込んだのだと、私は思いました。
それは、思い違いでした。
そこにあったのは、捏造されたフェイクニュースでした。
一切の取材も、事実の検証も行わず書かれた、捏造記事でした。
「七輪」とタトゥーしたら… 米歌姫「日本語もういい」
という朝日新聞デジタルの記事タイトルが私のRSSに引っかかり、わたしは衝撃を受けました。感嘆の声をあげたと記憶しています。即座にそれをクリックしました。それが日経新聞や産経新聞ではなく、朝日新聞であったというのが、その信憑性を高めていました。朝日新聞ならば可能かも知れないという期待感がありました。けれども、その期待感は、一瞬にしてはじけ飛びました。有料記事だったのです。そうです。ただ、有料記事であったというだけの理由で、小休止を余儀なくされました。けれども、そんなのは小さな事です。
わたしには、その記事を何があっても読みたいと思うだけの動機がありました。七輪タトゥーを目にしてから、アリアナ・グランデの一挙手一投足と、アリアナ・グランデに対して投げかけられるツイートを見守り続け、アリアナ・グランデに対してツイートを投げかけ続けることにより、アリアナ・グランデが数年来続けてきた日本語の勉強をやめると言うに至るまで追い詰めた人々のアカウントの過去ログを読み続けるという、生産性の欠片も存在しない無駄な時間を、インターネットで来る日も来る日も費やし続けてきたわたしには、自分自身が見て来たことが、我が国のメディアにおいて書き下ろし記事として報道され、それを読む事が出来るというのは、とても興味深いことだったのです。喜びであったと書いても語弊はありません。
「無料会員は、1日に1本、全文をお読みいただけます」
とあったので、これ幸いと即座に無料会員に登録しました。
けれども、これは私の注意不足でした。
朝日新聞デジタルには、無料会員では読むことの不可能な「朝日新聞独自の特集 / 深掘り記事」なるカテゴリが存在していたのです。『「七輪」とタトゥーしたら… 米歌姫「日本語もういい」』という朝日新聞デジタルの記事は、それでした。有料会員にならないと読めない、「朝日新聞独自の特集 / 深掘り記事」というカテゴリに属する有料記事だったのです。
もちろん、即座に課金しました。
amazon payを介して、即座に支払いました。
当然です。この数週間、わたしがインターネットに費やし続けた生産性0、ただ心を痛めるだけの完全に無駄な時間が、我が国の報道機関によって報道されることで、報われる時が来たのだと思ったからです。なぜだか、そのように思ったのです。けれども、それは間違いでした。朝日新聞デジタルに課金したわたしが目にしたものは、"アリアナ・グランデの七輪タトゥーに端を発した騒動"を報道したくないが為に朝日新聞が捏造した、完全なるフェイクニュースだったのです。軽部理人なる朝日新聞の記者は、記事の中で、自らが一切の取材を行っていないこと、インターネット上で自らの作文に都合のよい出来事のみを掻き集めて事実を捏造した事などを明らかにしていました。
わたしは悟りました。我が国の報道の自由ランキングが67位という、民主主義体制の先進国の中では例外的に低い順位に位置しているのは、検証が困難な有料会員限定記事で、取材も行わずに事実を隠蔽しながら捏造した作文を垂れ流す、朝日新聞のような大手マスコミが存在するが故だったのです。
我が国のインターネットにおいて、在日朝鮮人は偏見と差別の中にあります。我が国のインターネットにおいて、生活保護受給者は偏見と差別の中にあります。我が国のインターネットにおいて、同性愛者は、女性は、老人は、貧乏人は、高卒は、偏見と差別の中にあります。それは紛れもない事実であり、解消されなければなりません。それらは我が国が現在抱えている、解消すべき課題です。「法の下に平等であり、人種、信条、性別、社会的民分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において差別されない」という日本国憲法を掲げる我が国の国民一人一人が向き合うべき問題なのです。残念なことに我が国においては、人種によって差別され、不当に攻撃されるという事実が、確かに存在しているのです。出自によって差別され、攻撃されるという事実が、紛れもなく存在しているのです。
その一方で、我が国において、所謂日本民族に属する日本人が、その人種を理由に攻撃されることは、まずありません。皆無ではないにせよ、皆無に等しいと言ってよいでしょう。我が国において、親日であるということを理由にして、攻撃されることはまずありません。これも、皆無に等しいと言ってよいでしょう。
けれども、です。
世界においては違います。かつてアメリカでは、日系人は日系人であるというだけの理由により強制収容所に入れられました。私達が枢軸国の側で戦争を戦ったからではありません。ドイツ人やイタリア人に対してはそのような行為はほとんどありませんでした。ただ、日本人は日本人であるというだけの理由で財産を収奪され、強制収容所に収容されたのです。
そんな昔の出来事を遡らずとも、オバマが反対票を投じることで大統領になるきっかけとなった、当のアメリカですら間違った戦争だったという再評価が固まっているイラク戦争をはじめとした幾つもの戦争に、我が国はアメリカの強固な同盟国として事実上の参戦をし続けています。
私達日本国民は、幾つかの間違った戦争を行った国の当事者なのです。それを理由として、攻撃を受けるのは当然です。それが正当なものであるわけがないにせよ、日本人であるというだけの理由で殺害の対象となるのは当たり前のことなのです。日本人だけではありません。世界中ほとんどの国と地域の市民にとって、その国籍や人種を理由に攻撃されるのは、今も昔も変わらず、当たり前のことなのです。もちろんそれらが不当なものであることは、言うに及びません。
我が国において、人種や国籍を理由とした差別や偏見、不当な攻撃が存在するわけですから、世界を広く見渡せば、日本人であるというだけの理由での差別や偏見、不当な攻撃が存在するのは当然のことです。当たり前です。誰にでもわかることです。あるいは、親日であるというだけの理由で不当な攻撃を受ける地域が存在するのも、当然のことです。当たり前です。世界中、どのような人種の人にも、どのような国籍の人にも、程度の差こそあれ、同じように存在する、不当ながら、当たり前のことなのです。
アリアナ・グランデの七輪タトゥーに起因する出来事は、正しくそれでした。アリアナ・グランデは親日であるというだけの理由により執拗な攻撃を受け、全てのツイートを削除しただけに留まらず、過去ログにまで遡ってツイートを削除し、インスタグラムから写真を削除し、オフィシャルショップから日本語が含まれた商品を取り下げ、果ては「imma stop taking lessons too.」と数年来続けてきた日本語の学習をやめたのです。日本を連想させるもの、日本との関連を、完全に断ち切ったのです。自らが親日的であるという事実を痕跡もろとも完全に消し去ったのです。
なぜ、アリアナ・グランデは攻撃されたのでしょうか。
答えは明快です。
私達が先に彼らを攻撃したのです。
我々日本人がまず最初に、彼らを攻撃したのです。
彼らはその報復として、アリアナ・グランデを攻撃したのです。
https://twitter.com/limelights_JP_/status/1090495106296115200 |
そしてその攻撃に耐えかね、アリアナ・グランデは日本に関連したツイートを過去ログを遡ってまで削除して、オフィシャルショップから日本語の含まれる商品を削除し、数年来続けてきた日本語の勉強をやめると宣言し、日本との関わりを断つと明言した上で、その痕跡すらも全て消し去ったのです。
アリアナ・グランデ事件において、誰が悪いかは明確です。責任の所在は、はっきりしています。悪いのは日本です。日本という国が悪いのです。日本という国が悪いが故に、アリアナ・グランデは攻撃されたのです。そんなに遠い話まで遡らずとも、話をすすめることは可能です。
彼らを先に攻撃したのは、私達日本人なのです。
私達日本人が、彼らを不当に攻撃したのです。
昨年の11月。
私達日本人は、BTS(防弾少年団)という韓国人アイドルグループを攻撃しました。
たかだか原子爆弾のキノコ雲が印刷されたTシャツを着ていたというだけの些細な理由により、我が国の報道機関によって扇動された私達日本人は、BTS(防弾少年団)を執拗に攻撃し続けました。我が国においても大変な人気を博し、紅白歌合戦への出場が内定していたとも伝えられるBTS(防弾少年団)ですが、私達日本人による攻撃に耐えかね、その反発を懸念したNHKは、紅白歌合戦に出場して然るべきBTS(防弾少年団)を、紅白歌合戦に出場させないという判断を下しました。NHKだけではありません。テレビ朝日もミュージックステーションへの出演を取り消すなど、我が国のメディアと、我が国の国民は、一致団結してBTS(防弾少年団)を不当に攻撃したのです。
それが不当な攻撃であったのか、正当な判断であったのかに対して、わたしは明言を避けます。ただし、BTS(防弾少年団)のファンにとって、それらが不当な攻撃であった事は間違いありません。考えてもみてください。たかだかTシャツに原子爆弾のキノコ雲が印刷されていたくらい、いったいなんだと言うのでしょうか。
2008年の大統領選挙に際し「グアンタナモ収容所を閉鎖する」と宣言して大統領になり、2012年の大統領選挙に際し「グアンタナモ収容所を閉鎖する」と言い放って二期目の大統領となり、2016年に「グアンタナモ収容所を閉鎖する」と言いながら、明確な差別と人権侵害を国家の政策として続けているグアンタナモ収容所を閉鎖しなかったバラク・オバマは、大統領になってから僅か1年で、核廃絶及び平和への貢献という意味不明な理由によりノーベル平和賞を受賞し、自らが大統領を務める中で核兵器への支出を拡大し続けました。
挙げ句にバラク・オバマは広島の原爆記念公園に核兵器を発射する為の装置を持ち込みました。原子爆弾を広島に投下した国の大統領が、広島に原子爆弾の起爆装置を持ち込んだのです。それを我が国はどのように迎えたでしょうか?平和と和解の偉大なる大統領だとして、大歓迎をもって迎えたのです。僅かにアメリカでも極めて少数派の反オバマのリベラルの知識人がオバマを非難したに留まりました。
あのオバマを歓迎した国が、広島に核爆弾を持ち込んだアメリカ合衆国の大統領を大歓迎した国の国民が、いったいどの口をもって、たかだか原子爆弾のキノコ雲が印刷されたTシャツを着ていただけのBTS(防弾少年団)を攻撃出来るというのでしょうか。そんな資格があるわけはありません。これが、ただの人種差別でなければ、なんなのでしょうか。国籍による差別でなければ、なんなのでしょうか。職業による差別でなければ、なんなのでしょうか。
その是非はさておき、そして、わたしが真にどう思っているかは別として、BTS(防弾少年団)を先に攻撃したのは私達です。我が国たる日本であり、私達日本人なのです。少なくとも、彼らにとってはそうでした。
彼らとは、armyです。
armyとは、BTS(防弾少年団)のファンの総称です。
BTS(防弾少年団)のファンはarmyを自称し、
公式にもarmyと呼ばれています。
私達がarmyを攻撃したのです。
彼らが応援するBTS(防弾少年団)を攻撃したのです。
我々が先に攻撃したのです。原子爆弾のキノコ雲が印刷されたTシャツを着ていたというだけの、armyにとっては些細な理由でネチネチと言いがかりを付けて攻撃し、BTS(防弾少年団)からミュージックステーションへの出場機会を奪い、出場が内定していた紅白歌合戦という晴れ舞台を奪い、日本中にBTS(防弾少年団)に対するバッシングを巻き起こしたのです。私達日本人は総出をあげてBTS(防弾少年団)を、そして何よりもarmyを攻撃したのです。
そんなarmyに、格好の機会が訪れました。
復讐の機会です。
アリアナ・グランデが、七輪という間違った日本語のタトゥーを入れたのです。アリアナグランデは新曲「7 rings」の日本語タトゥーを入れようとして、七輪というタトゥーを入れてしまうという、愉快で滑稽な騒動を巻き起こしました。
そして、長年日本語を学習し、日本語のグッズを出すなど、親日的である事が知られていたアリアナ・グランデの七輪タトゥーは、BTS(防弾少年団)に対して不当な攻撃を先に仕掛けた日本への、格好の報復の機会として、armyの前に現れたのです。
けれども、なぜ、アリアナ・グランデなのでしょうか。
確かに、私達日本人が先にBTS(防弾少年団)を攻撃したのは事実です。けれども、BTS(防弾少年団)との接点が全く存在しないアリアナ・グランデが、ただ日本文化に好意的であったというだけの理由で、armyの報復のターゲットになってしまうものなのでしょうか?
違うのです。
これには、理由があるのです。
アリアナ・グランデと、armyには接点があります。何故ならば、アリアナ・グランデと、BTS(防弾少年団)には接点があったからです。それが、グラミー賞です。
BTS(防弾少年団)は、韓国人アーティストとしては歴史上初めて、グラミー賞への出演が決定しており、本番ではプレゼンターも務めました。BTS for Grammy。それが彼らarmyの合い言葉でした。そして、アリアナ・グランデも同じように、第61回グラミー賞への出演が決定していました。(なお、アリアナ・グランデはこともあろうかグラミー賞への出演をボイコットしています)
armyにとって、アリアナ・グランデは、BTS(防弾少年団)の晴れ舞台に同席する、望まれざる人物だったのです。なぜ望まれなかったかというと、それは当然、アリアナ・グランデが日本文化に親和的だったからです。BTS(防弾少年団)に対して不当な先制攻撃を行い、armyの心を傷つけた、日本という国に親和的な人物だったからです。その人物が七輪タトゥーを入れるという、私達にとっては少し愉快で少し滑稽なおもしろニュースを巻き起こしたのです。それを目にしたarmyが、絶好の報復の機会だと盛り上がるのは、当然の成り行きでした。
armyは、どのようにしてアリアナ・グランデを攻撃したのでしょうか。いかなる手法を用いて、アリアナ・グランデを攻撃し、日本に関連するツイートやインスタグラムの写真を、過去に遡ってまで削除する程に追い詰めて行ったのでしょうか。それは、モラルです。道徳による攻撃です。
armyは、「文化の盗用」という概念に目を付けました。日本文化に親和的なことで知られるアリアナ・グランデは長年日本語を勉強し、オフィシャルグッズにも日本語を採用していました。
ここで注意して頂きたいのは、「文化の盗用」はあくまでもarmyが日本に対する報復を行う為の方便でしかなかったことです。アリアナ・グランデが日本に関連するツイートを過去ログにまで遡って全て削除する事を強いられた主要因は、armyによって執拗に送りつけられる無関係なツイートでした。
その明確な事実がある為に、わたしは七輪タトゥー以降のアリアナ・グランデの身に降りかかった災難を報道出来る日本のメディアは存在しないだろうとの、強い確信を持っていました。日本人ではないarmyが日本人を騙る事でアリアナ・グランデを道徳的に攻撃し、追い詰め、全てを削除させることに成功しました。その事実は言うまでも無く私達にとって不都合なものであり、我が国の報道機関がそれを伝えるのは、極めて困難な難業です。
ところが、我が国の大手メディアでは唯一朝日新聞だけが例外的に、七輪タトゥー以降のアリアナ・グランデに対して記事を出したのです。
それが、armyによる報復だったという事実を隠蔽するために、朝日新聞記者の軽部理人が一切の取材を行わずに書いた捏造記事であったという残念な事実は、既に述べた通りです。
armyはファンの横の繋がりの中で結託し、「アリアナ・グランデには道徳がない」と攻撃をはじめました。彼らの攻撃は正当化されます。何故ならば、アリアナ・グランデには道徳がないからです。なぜアリアナ・グランデに道徳がないと断定出来るかというと、アリアナ・グランデは日本文化に親和的な態度をとり続けてきたからです。アリアナ・グランデがいわゆる、親日的な人物だからです。
日本人であることは、日本人であるという理由だけで犯罪です。なぜならば、日本人はアジア諸国に対する侵略戦争を行い、中国で、フィリピンで、インドで、マレーシアで現地の住民を虐殺したからです。その考えが正当なものであるとわたしは考えませんが、そう考える人達が今もなお、この世界には少なからず存在しています。
そして、彼らの理屈は確実に不当なものであり、明確に間違っているのですが、そこに僅かな理が存在している事もまた事実です。"それ故に日本人であることは犯罪である"というのは明確な間違いですが、我が国の政府がかつてアジア諸国に対する侵略戦争を戦い、その中で数多の戦争犯罪を犯したという点だけは事実なのです。そのような考え方が韓国のムンヒサン国会議長による「天皇は戦犯の息子」という発言や、armyによるアリアナ・グランデに対する攻撃の根底に存在しているのです。
親日である事は犯罪です。
今回の七輪タトゥーの騒動が巻き起こる以前から、アリアナ・グランデは韓国人のヘイトの対象になっていました。なぜヘイトの対象になっていたかというと、アリアナ・グランデがこれまで長く、日本文化に親和的な態度をとり続けていたからです。我が国のどこかの、ごく一部の人々にとって、立憲民主党を支持することや、在日外国人であることが、犯罪であるのと同じように、この地球のどこかの国の、ごく一部の人々にとっては、親日である事は犯罪なのです。そうです。その点においてアリアナ・グランデは犯罪者でした。長年犯罪行為を続けてきた、筋金入りの重罪人だったのです。
犯罪者なのだから、攻撃されて当然です。
わたしはそうは考えませんが、
彼らarmyにとってはそうでした。
しかも、armyを先に攻撃したのは日本人です。
私達日本人がまず先に、100年以上前韓国を併合し、さらには昨年の11月、私達日本人がまず先に、BTS(防弾少年団)を攻撃したのです。即ちarmyを攻撃したのです。
彼らarmyにとって、アリアナ・グランデを攻撃することは、正当な行為なのです。BTS(防弾少年団)に対する不当な先制攻撃を仕掛けた私達日本人に対する、自衛の為の報復行為なのです。故にアリアナ・グランデは執拗な攻撃を受けました。受け続けました。
かつてアリアナ・グランデが行った日本に関連するツイートに対して、無関係なリプライを投げつけ続ける事により、アリアナ・グランデのツイッターアカウントを完全に麻痺させ、同時に「文化の盗用」という概念に目を付けた彼らarmyは「私は日本人ですが」と日本人を装ってアリアナ・グランデを非難し続けました。
当初は「これまでは日本人は喜んでくれた」などと抗弁していたアリアナ・グランデでしたが、armyの圧倒的な物量の前に遂には音を上げて、七輪タトゥーに関するツイートを全て削除しました。armyによって発掘され、armyの横の繋がりにより七輪タトゥーと同じように攻撃の対象になっていた過去の日本に関連したツイートも削除し、インスタグラムからも写真を削除し、オフィシャルショップから日本語の記載された商品を削除し、armyに対する全面的な降伏宣言として「imma stop taking lessons too.」と数年来続けてきた日本語学習の停止を宣言し、armyの集中攻撃の対象となっていた全てのツイートを跡形もなく削除することにより、事態の終焉を計ったのです。今回の騒動は、armyの完全勝利で幕を閉じました。
アリアナ・グランデの七輪タトゥー以後に起こった一連の出来事に対して、一切の取材すら行わず、自分達にとって都合のいい「文化の盗用」というarmyによって行われた事件をでっち上げ、捏造記事を垂れ流した朝日新聞の行為は言語道断のものです。我が国のマスコミには僅かな良心すら残っていないという現実を、朝日新聞デジタルに課金してまで再確認させられるという、わたしにとってはあまりにも悲しい出来事でした。
そして、なぜ、我が国のマスメディアが、ソースに対するURLを貼らないのか、スクリーンショットすら記載しないのか、翻訳文だけを書いて原文を記載しないのか、といった各種の問題点の、奥底深く潜む理由を再確認させられました。それは、朝日新聞にとって「Fact」即ち"事実"というものが時として、極めて都合の悪いものだからです。
朝日新聞は、在日外国人が在日外国人であるというだけの理由で攻撃される事の不当性や、生活保護受給者が、生活保護受給者であるというだけの理由で攻撃される事の不当性、あるいは同性愛者が同性愛者であるというだけの理由で虐げられる事の不当性に関しては、事実を伝え、その不正義を告発する事が出来ます。実際に朝日新聞の報道は、その点において我が国の大手メディアの中では、相対的にではありますが、まともな方だと言わざるを得ないでしょう。
けれども、朝日新聞は、日本人が日本人であるというだけで攻撃される事実を報道することが出来ません。日本文化に親和的な人物が、日本文化に親和的であるというだけの理由で攻撃されたという事実を報道することは出来ません。報道しないだけならば、まだよいのです。わたしはそれを望んでいましたし、それを予想していました。けれども朝日新聞の行いは違いました。"fact"つまりは事実を隠蔽する為の捏造報道を行ったのです。
事実は、時として都合の悪いものです。私達の住んでいる世界には、不都合な事実が未だに多数存在しています。けれども、たとえそれが書き手にとって不都合であろうとなかろうと、報道機関を名乗るのであれば、事実を伝えねばなりません。
「日本に親和的な人物が、日本に親和的であるというだけの理由で、韓国人音楽グループのファンによる攻撃の対象となった」という出来事に対して朝日新聞は、一切の取材を行わず、一切の調査もしませんでした。armyによって行われた日本人を騙る行為や、過去ログにまで殺到する圧倒的な物量攻撃によって、インターネット上の活動を麻痺させられたアリアナ・グランデが、遡って過去ログまで削除させられるに至ったという事実を完全に隠蔽し、存在しない文化の盗用という事件をでっちあげた捏造記事を、有料記事として朝日新聞社の熱心な課金購読者に向けて垂れ流し、我が国の対立を深め、それを煽りました。朝日新聞の行いは、我が国の分断を深刻化させている張本人の行いに他なりません。
事実を隠蔽し日本人を極悪人として描く軽部理人と朝日新聞 |
軽部理人が書き、朝日新聞デジタルに記載された『「七輪」とタトゥーしたら… 米歌姫「日本語もういい」』という記事は、偏向報道などではありません。偏向報道であるならば、まだ救いがあります。偏向報道であるならば、極端な視点や、極端な立場を選択しているというだけの話です。それであれば、まだ、許されるでしょう。メディアの中には、様々な立場からの報道を行うメディアがあるのは自然なことです。それが報道の自由というものであり、言論の自由というものです。けれども、これは違います。今回の出来事を巡る朝日新聞の捏造記事は、偏向報道とは全く違うものです。取材も行わず、検証も行わず、妄想のみで書いた作文です。完全なる捏造です。朝日新聞は、韓国音楽グループのファンによるネット虐めを隠蔽する為に、私達日本人がアリアナ・グランデに対してネット虐めを行ったという捏造を行ったのです。
「Fact」即ち事実が都合の悪いものであるからという理由により、存在しない出来事をでっちあげ、捏造し、それを世間に広めることで既成事実とするために成された報道なのです。無論のこと、そんなものは報道ではありません。作文であり、捏造であり、扇動です。軽部理人は言いました。取材は一切していません。軽部理人は言いました。検証は一切していません。軽部理人は妄想の世界にいるのです。朝日新聞は妄想の世界にいるのです。
その妄想が事実であったならば、どれだけ素晴らしいことでしょうか。私達日本人が、日本人であるというだけの理由で攻撃されない世界。日本文化に親和的な人物が、日本文化に親和的であるというだけの理由で攻撃されない世界。
けれども、違います。
事実は、違います。
残念なことに、事実は違うのです。
そして、朝日新聞はそれを伝えたくないが為に、私達日本人がまず最初にBTS(防弾少年団)を攻撃したという今回の騒動の最大の原因を隠蔽した上で、インターネット上で簡単に確認可能な事実を全て無視して、存在しない「アリアナ・グランデによる文化の盗用」なる事件を捏造したのです。armyによる攻撃など存在しなかったという捏造を行いながら、朝日新聞はarmyによる攻撃を肯定し、それを追認したのです。我が国には報道の自由がありません。朝日新聞はその事実を、その身を持って実証したのです。