2004年12月31日金曜日

太陽



寒さに叩き起こされた。
五体満足で師走の午後に放り出されて不安に駆られる。
これは、なんなのだろう。
物凄い寒さである。

僅かばかり昔にはうまくやれそうな感じがしていた。
ウォークラフト3のショートカットをダブルクリックすれば、立ちはだかるもの全てを投げ捨てられそうな気がしていたし、一秒後十秒後百秒後百億年後の未来という未来将来という将来というものに僕は鉄槌を打ち込んでふいごたがやっとこその他全てを用いてぐるんぐるんに熱された一秒後十秒後百秒後百億年後これからというものをすき放題にこしらえ、ゆっくりとそれを味わうつもりであった。
それが、今ではどうだ。
全てが消し飛んだ。

どうしてこのようにぐらぐらとした場所に立っているのか、そしておそらくは立ち続けなければならないのか、原因はまったくもって不明である。

わからぬ事があれば知りたいと思うのが人であり、不明であるならばその原因を調べてやろうと、色々と僕を取り巻く状況というものを一つ一つ調べなおしていると、原因らしきものに行き当たった。


寒さである。
物凄く寒い。


僅かばかり昔でさえも、もっと暖かかったような記憶がある。
それよりももっと前はもっともっと暖かかったような記憶がある。

それが今ではどうだ。
指先、つま先の地という血は凍りついて腫れ上がっている。
目を開けているのもおっくうだ。
眠るな、死ぬぞの声すら聞こえてきそうだ。
なんという寒さだ。


しかし、なぜにこれほど寒いのだ。
これほどまでに凍えねばならぬのだ。

わからぬ事があれば知りたいと思うのが人であり、不明であるならばその原因を調べてやろうと、色々と僕を取り巻く状況というものを一つ一つ調べなおしていると、原因らしきものに行き当たった。

太陽である。
太陽が死ぬという。



これは一大事だ。
世界の終わりだ。
あの太陽が死ぬという。
はじめから今まで世界を照らし続け、昼と夜を作ってきた太陽がもうすぐ死ぬのだ。

なんという事だ。
僕は今日という今日まで、太陽というものを意識した事は無い。
太陽に生かされていると感じた事もないし、太陽に感謝した事も無い。
しかしながら、僕は太陽に養われ太陽に生かされ太陽に育まれてきた。これは紛れも無き事実であり、塗り替える事などできない。
太陽は唯一の存在である。例えば土星に声をかけて
「おい、ちょっと3日ほど太陽をやってくれ」といってもそれは不可能である。その、唯一無比である僕の人の地球の水金地火木土天海冥の大本たる太陽が死ぬという。


「太陽について何か書いてくれ」
と言われても何も書けぬ。
太陽に思い入れなど無い。
太陽が誰と恋をしようが何を食べようがどんな職につこうが引き篭もろうが戦乙女ヴァルキリーを大絶賛しようが誰と戦おうが、僕の知った事ではない。
しかし、だ。
しかしだ。
死ぬとなると話は別だ。
救わねばならぬ。太陽を。
誰かが救ってやらねばならぬ。


僕は水素というものの存在をグラーフヅェッペリンくらいでしか知らぬ。
白状すると、水素について考えた事など無い。
水素を深刻な事だと思った事はないし、元素記号すら知らぬ。
ヘリウムというもののについてはドナルドダックくらいでしか知らぬ。
白状すると、ヘリウムについて考えた事など無い。
ヘリウムを深刻な物事であると捕らえた事はないし、元素記号すら知らぬ。

僕にとってはあまりにも些細で場末で、真面目に考えた事すらなかったような事柄であの太陽が死ぬという。


世界は年の瀬にうかれている。
太陽を放置して。

まあ、それは仕方が無い。
奴らは馬鹿なのだ。
太陽が死ぬという事が、大問題であると理解できぬのだ。

「どうせなんとかなるだろう」
とか、

「大丈夫、まだ先の話だって」
とか考えているに違いない。
いや、考えた事すらない愚か者だ。
非太陽系民だ。ならずものどもだ。


死ぬのだぞ!太陽が。
手遅れになった段階で「うわあ、」などと関心を持って救おうとしても手遅れなのだ。そりゃそうだ。手遅れになった段階なのだから手遅れに決まっている。一刻一秒を争うのだ。今まさに死なんとしているのだ。そりゃあ、少しは先の事かもしれない。
しかし、太陽が死のうとしているというのは事実である。
無関心は罪であるとゲーテだかニートだかも言っていたではないか。
今まさに死のうとしている太陽の下で年の瀬にうかれている100億心の無関心、100億人の罪人どもに僕は果てしない怒りを覚える。人はいつだって愚かだ。

しかしながら、僕は違う。
無関心でも罪人でも愚かでもない。
1人の人間として、男として、太陽を愛し、立派で純然たる太陽系民として、僕は立ち上がる。
僕自身は太陽の恩恵というものを感じた事は無い。
遠いところにある遠い存在である。
僕には関係ないと思っていた。
しかしである。
死ぬとなると話は別だ。
太陽が何をしてくれたかではない。
僕が太陽の為に何を出来るのかである。
僕が太陽を救うのだ。
一心不乱に救うのだ。
決めた。僕は残りの人生の全てを太陽に奉げる。
太陽の為に生き、太陽の為に死ぬ。
太陽と共に生き、太陽に殉じる。
太陽に立ちはだかるものがあればこの手で排除する。太陽に背く者がいれば斬る。太陽にはそれだけの価値があるし、そうするだけの価値がある。太陽が死ぬという事とくらべれば、真性引き篭もりであるとか、3D酔いが酷いとか、一日中吐き気がするだとかいった問題など問題とすら呼べぬほどに些細な事である。問題は太陽だ。その一点だ。太陽を救うのだ。
僕は太陽を救った男として未来永劫語り継がれ、太陽は未来永劫生き続ける。そうなるのだ。死なせはせぬ。

ヘリウムが駄目ならヘリウムをいっぱい吸うし、水素が駄目なら水素をいっぱい吸うよ。だから、死なないでくれ。死なせはせぬ。
我が太陽よ、太陽よ。
愛する太陽よ。