2004年12月3日金曜日

ダイエットをする事にした。



ふと、太らねばならぬと思い立ち、食べに食べまくっていると太った。
くっぷりとしている。

痩せようと思う。
出会い系ブログはやめにして、ダイエット日記にしようと思う。

どうしてくっぷりとしてしまったのだろう。朝青龍やロバートデニーロのようになる予定だったのに水茄子に割り箸をさした化け物のような体になってしまった。まず、水茄子がかわいそうだ。割り箸を挿さずに食べてあげた方がよい。また、割り箸もかわいそうだ。割り箸は食事に使うものであり、出来ることならば行楽地であまりおいしくないのに1280円もする殻つき海老の入った幕の内弁当を食べる際に使ってあげるべきだ。いや、何が一番かわいそうかと考えると、水茄子に割り箸を刺した化け物に乗せられるご先祖様が一番かわいそうである。年に一度のイベントに水茄子に割り箸を刺したものはないだろう。あまりにも酷い扱いだ。
例えば、乙姫と彦星などは年に一度とはいえよろしくやりおるのだ。水茄子に乗せられたりはせぬ。しかも宇宙が終わるまでやりたい放題だ。宇宙が終わるまでかどうかはわからないけれども、100年の恋とかそういう次元ではない事は確かだ。物凄い。
それに比べて水茄子に割り箸とはなんだ。まったく。せめて、かぼちゃの馬車くらいは用意するべきだ。無礼にも程がある。

いや、水茄子に割り箸を持ち出した僕が悪かったのだろう。あまりにも季節感が無さ過ぎる。冬に相応しい、冬に相応する表現で私自身を書き綴るべきなのである。そう反省し、思いついたのがカエルであるからして、救われないので痩せることにした。

カエルを飲み込んだアオダイショウのような体になってしまった。「つちのこだー!」とか叫ばれては捕らえられて剥製にされ、賞金目当てに持ち込まれるも「アオダイショウでした」などと冷静に返されてなんだ、こんな事なら生皮を剥いで財布に入れておいた方が金になったじゃねーか、などと残酷な罵倒を投げかけられ、道端に投げ捨てられ、その捨てられた剥製を見つけた人が「蛇の生皮みっけ!」と駆け寄るも、蛇の生皮ではなく蛇の剥製、それもカエルを飲み込んだアオダイショウの剥製であるからしてご利益などあるはずもなく、気持ち悪さだけを残して置き去りにされる運命だ。そのような道を歩むのはいやなので、痩せることにした。ダイエットである。カエルを書いてみたが、やっぱり書かない方がよかった。水茄子でいいや。水茄子で。


とりあえず2キログラムほど痩せようと思い、やせる事にした。
2キログラムの肉といったら物凄い量である。
朝食に、2キログラムのベーコンが出てきたらびっくりするだろう。ベーコンならまだよいが、松坂牛とかなら物凄い事になる。財布がすっからかんだ。

この2キログラムをもっとも効率よく捨て去るにはどのような方法がよいかと少し悩み考えたていると、金の卵を産むのが一番よいという結論に達した。

なにしろ、金だ。2キロの金だ。
金の卵を2キログラム分産めば、それ即ち2キログラムのダイエットに成功した事であり、尚且つ2キログラムの金を手に入れられる。これは物凄く大きい。
金2キログラムというと、200万円以上だ。
それだけあれば、プレイステーション2もドラゴンクエスト8も買い放題だ、いや、1台と1本あれば十分かな、などと200万円の使い道を考えていると、落とし穴に気がついた。

金の卵といえども、それは卵であるからして中身は金ではない。
生卵だ。

うっかりしていた。
そこで、卵に占める殻の割合を調べて、金の卵がいかほどの現金収入に繋がるのかを計算してから金の卵を産もうと思ったのだけれど、殻の重さなどどこを調べても見つからない。
この袋小路を抜ける方法として唯一思いついたのが、金の卵を実際に割って、殻の重さを実際に計測してみるという解法なのだけれど、あいにく手元に秤が無いので目方を量る事は出来ない。

ああ、駄目だ。
金の卵はやめにしよう。
産むには情報が足りなさ過ぎると判断し、他の方法で2キログラムを捨て去らねばならぬと少し悩んでみたのだけれど、何一つ思い浮かばない。捨て去るのにうってつけの場所となるとテトラポットなのだけれど、2キログラムというのはテトラポットから投げ捨てるには重過ぎるのでそれも駄目だ。

2キログラムめ、2キログラムめ、と忌み言を唱えていると、次第に2キログラムに愛着がわいてきて、なぜだか理由はよくわからないのだけれど、2キログラムがいとおしくなってきた。捨て去るには少し惜しい。

世間での2キログラムというと、ちくわの1本程度の価値も無いものであるのだけれど、この2キログラムは、食っちゃ寝、食っちゃ寝、ブログ書いては食い、頭痛薬を飲んで食い、食べ過ぎのあまり吐き気を催しては悔いて食いという苦闘の末に手に入れたものなのである。

手に入れようともがいた結果、予定通りのものが手に入る事など稀の稀だ。大抵は何か別のものを入手してしまう。そして、やがては愛着を抱き、それにすがって過ごさねばならぬというのもよくあるはなしだ。一度手にしたものを捨て去るというのは、至極困難である。例えそれが、世間ではまったく価値の無いがらくたであっても。2キログラムであったとしても。

予定ではロバートデニーロが手に入るはずだった。
それと比べれば2キログラムというのはあまりにも醜い。
しかしながら、この2キログラムこそが僕の努力の結晶であり、生きてきた証なのである。捨て去りたいなどという感情はもう、微塵も残っていない。どうせ、2キログラムを捨て去ってみたところでスティーブンセガールにはなれぬ。せいぜい割り箸をさしたきゅうりくらいが関の山。水茄子でいいや。水茄子で。


今僕は2キログラムと共にある。
何か食べようと思う。