2005年4月17日日曜日
一日中ゲームをしていた。
一日中ゲームをしていた。
という文章が不真面目である事の証明になった今日、何を行えば僕は誠実さを証明する事が出来るのだろうか。
少し前までは、一日中ゲームをしていたという事実をブログに書くという事は真面目である事であり、誠実さの証明でもあった。
それが今では、不誠実さの証明になってしまっている。
この変化はあまりにも極から極で、残酷だ。
時間の流れと共に移り変わらないものはない。
僕だって変わらねばならないのだろう。
だが、急激な変化は痛みを伴う。
痛みを耐え切られるだけの体力があればいいのだが、無い場合はどうなるのだろう。一体何が残るのだろう。
痛みを感じなくなる位に傲慢になるのが一番手っ取り早いのだろうと思う。
その、傲慢になる事自体が耐え難い痛みである場合は一体どうすればいいのだ。
ありとあらゆる間違い。
ブログを1つ書くたびに、それが1つ露呈する。
けれどもその間違いを正せる力が僕にはなく、間違ってるよと笑うしかない。
火の手の上がったスーパーマーケットを遠巻きに見守る野次馬。
消せないし、守れない。何一つ残らない。
笑うべきなのだ。
笑えばいいのだ。
そうすれば、少しは楽になる。
けれども、もはや笑えるだけの体力が残っていない。
とりあえず、ブログを書くべきなのだろう。ブログを。
人生の中心に矢口真里やmixiやパチスロがあるという人間が健全ではないように、人生の中心にブログがあるという状況は健全ではないという事実は理解出来る。
では、何があれば健全なのだ。
義務か仕事か愛する人か、夢か希望かDOTA allsatarsか。
そのようなものは、どこにも転がってはいない。
探して求めて掴み取らねば手に入らない。
当たり前の事ではあるが、健全さというものは生じるものではなく、掴み取るものなのだ。
それを行えるだけの体力が僕にはもう残っていない。
極めて軟弱、ゆるゆる、どろどろ、べぢょー、ぐじゃー。
もう少し体力があれば色々と遊べたろうなと思ったりもする。
楽しかったろうな、と思ったりもする。
けれども、もう贅沢は言わない。
今はブログを1つ書くだけの体力が1日1度湧けばいい。
あとは一日中ゲームをするだけの体力があれば、それだけでいい。
それすら無くても良いか。
もう既に無くなりつつあるし。