2005年4月18日月曜日

凄いエントリー



まったく同じ文章であっても、誰が書いたのかによってその価値は変化する。

中村光一が「運です」と言えば泣けるし、
飯野賢治が「運です」と言えば殴りたくなる。
湯川栄一が「運です」と言えば引くけれど、
山内溥が「運です」と言えば、なんかひれ伏す。

それは、ブログであっても同じ事だ。



凄いブロガーのブログは何が書かれていても凄いし、駄目なブロガーのブログはどんな事が書かれていても駄目だ。色眼鏡だというのではなく、事実としてそうなのだ。


ブログにおいて問われるのは文章の質ではなく、人間の質なのだ。
残念な事に、あるいは、喜ばしい事に。



なにを書いても凄い、といった状態に突入したブログは無敵だ。
例えば、本能寺以後の明智光秀がブログを書いたら、それこそ何を書いても面白いだろう。

社長ブログなどはある意味ではそのような状態に近かったのに、物凄くつまらなかったのは、堀江貴文という人間のブロガーとしての力の無さだろう。彼には、ウェブ上で凄い文章というものを書く上で必要なものが全て欠けているように思える。
「いや、あれは実はゴーストライターで本当の堀江貴文は物凄く面白いのです」みたいな起死回生の言い訳が存在するのかもしれないけれど。そんな話はアリエモン。




凄いブログというものの1つとして、その人にしか見えない世界を書くというものがある。B級アイドルやB級キャッチャー、B級弁護士やB級声優のブログが凄いのは、その人にしか書けない内側からのブログだからである。


ビバリーヒルズが青春の苦悩を内側から描き、ERが緊急医療室の苦悩を、アリーマクビールが独身女の苦悩を、ヒルズに恋してがプログラマーの苦悩をリアルに描いて成功したように、凄いブログに必須なものは、リアルさと誠実さだ。悪く言うと苦悩であり、良く言うと呵責だ。


内側からのブログというものは抜群に面白い。
ブログが無かったら決して読めなかったであろうクラスの書き手の日常というものがブログによって読む事が出来るようになった時代というものは、本当に楽しく素晴らしい。
もちろん、内側からならなんだってよいわけではなく、やっぱり問われるのはその人の誠実さみたいなもの、一人としての説得力だと思うのだけれど。


人の不幸は蜜の味とはよくいったもので、人としての説得力を持つ誰かが悩んでいる文章を「フーン」と流すのはとても心地良いウェブサーフィンだ。一般に言う面白さはまったくなくても面白いのだ。

そのリアルさというものは、別に職業や身分などではなくてもよい。
書き積み重ねてきた文章により生み出された立ち姿でも構わないのである。

同じように、その悩みは別に深刻なものでなくても構わない。
土鍋で上手くご飯が炊けないとかパンツ履いていたとかそういうレベルでいいのだ。
誠実で正直であれば、その内容は問われないのだ。





話は変わるという訳でもないのだけれど、とあるブログが光を失った。
もちろん、僕の中での話しであり、世間的にはどうだか知らない。

そのブログが凄かったのは、棺桶の中から「まだ生き返れるんじゃないか」「いや、もう無理だよ」といった実況中継を行っていた点にあった。
そりゃあもう物凄くて、初見で過去ログ全部読んだくらいに面白かった。

けれども、そこから抜け出た瞬間にそれはもう全部無くなってしまった。
批判は私怨に見えてしまうし、分析は嘲笑に見えてしまう。
砂の船から逃げ出した勝ち組狸による負け組批判が面白いわけがない。もちろん、それが完璧な文章であればそれであっても面白いのだろうけれど、そういう重さは感じられない。


ところが、ウェブ上には同じような私怨に近い感情を抱く人間がいる。
ブログ読者には自分をブログの味方だと位置づける人が多いのだ。だから、その凄さとは無関係にブログとしてはこれから先も隆盛を極めるのだろうなと思う。旧来の面白さに引き寄せられていた人はそれなりに消えつつも読み続けるだろうし。

けれども、何を書いても凄かった時代は過ぎ去ったのだろうなという感じがする。まるで、当ブログのように。



真性引き篭もりで言うと、何を書いても凄かったのはDOTA allstarsのCDキーを咀嚼して飲み込むまでだ。DOTA allsatarsが書けなくなった時点で僕はブロガーとしての価値を失ってしまったのだ。まったく、愚かな事をしてしまった。

けれども世の中にはDOTA allstars以外の事に興味があるウェブサーファーの方が圧倒的に多い。今の僕がDOTA allsatarだった頃の自分よりも凄いとは思えないのだけれど、それとはかけ離れた所で一人何かが歩いている。

まあ、「拾われたくらいで動揺するな」と書いておきながら拾われて動揺しまくり誤字脱字を直したりリンク張ってみたり後悔して慌ててリンク外してみたりというあたふたを繰り返す真性引き篭もりhankakueisuuというのは、ある意味では物凄くリアルなのかもしれないけれど。10コメント中9コメント記名とかありえないから。マジで。



凄さを計る物差しが存在していない以上、凄さを指し示す事は出来ない。
なんか滅茶苦茶な文章だな。



うお、23時59分だ投稿してしまおう。


カレンダーを埋める為の投稿を罵倒しておいてカレンダーを埋める為に慌てて投稿ボタンを押すという、凄さの欠片も無い投稿。
まあいいや。



頑張って、頑張って、DOTA allsatarsなんて無くても凄さを取り戻せる日が来るまで頑張って書いて、まあその結果として取り戻せたらそれでいいし、取り戻せなくたってそれでいいか。
失われたものを取り戻せるか取り戻せぬかなんて、運だ。
1つ1つ積み上げなおせば、取り戻せるかもしれないし。
重要なのは積み重ねる事だ。取り戻せないかもしれないけれど。
運だ。そんなもの運だ。全部運だ。




「運です山脈」