2005年4月2日土曜日

エイプリルフール



とても悲しい。
その投稿日が4月の1日であるというだけで、その全てが疑われてしまう世界が悲しい。


何を書いても疑われ、何を書いても嘘になる。
インターネット仮死。
ブログが死ぬ日だ。
なにが面白いのかわからない。

そんなに嘘をつきたいのならば、暦を免罪符にする卑怯な後ろ盾を用意せず、自分自身の責任で世界の全てを欺くべきだ。
無責任すぎる。
迷惑だ。



そりゃあまあ、僕は疑われるに値するのだろう。
不誠実な文章を書いてきたし、誰にもわからない事柄を誰にもわからないように書いてきた。書いた本人にすら伝わらないかもしれないという恐怖を抱きながら投稿ボタンを押したのは一度や二度の事ではない。
けれども誠実にやってきたし、責任は全て僕にある。

それが嘘や大げさや紛らわしいであったとすれば、悪いのは僕だ。
責められるべきは真性引き篭もりhankakueisuuだ。

ところが、その投稿日が4月1日であるというただそれだけの理由で、僕は免責され、4月1日という暦が一人断罪される。



僕は投稿するだけの人である。
それがどのように読まれようと、受け止められようと、誤読誤解をされようと、それに対して干渉するつもりはないし、文句を言える立場に無い。

けれども、僕の投稿で僕が放置され、4月1日だ4月1日だと受け取られるのは心外である。

真性引き篭もりの文章がくだらないと判定されれば嘲笑われるべきなのは僕であり、真性引き篭もりの文章が駄目であると判断されれば責め立てられるのは僕であり、真性引き篭もりの文章が意味不明であると判断されれば罵倒されるのは僕なのである。
それが嘘であると読まれれば、責められるのは僕であるべきなのだ。
僕はそこまで卑怯じゃあない。
罪無き暦を責めるのはよせ。
いけない冤罪。



真性引き篭もりの投稿に対する罵倒嘲笑鼻笑い、軽蔑蔑視罵り反射の全ては僕に向けられるべきであり、それを暦に向けるなどというのは全然違うのである。

エイプリルフールなんて糞っくらえだ。
死んでしまえ。